バレンタイン攻防戦
「そう言えば、もうすぐバレンタインだね」
二月に入ってしばらくしたある日。
コナンがポアロで本を読みながら小五郎の帰りを待っていると、安室がふとそんなことを言って、コナンの前にパウンドケーキの皿を置いた。
頼んだおぼえのないケーキと、唐突かつこの男らしくない話題に身構えて顔を上げると、安室は「サービスだよ」と言って、パチンとウインクを寄越した。
コナンは顔をしかめて礼を言う。
「ありがと……で? バレンタインだから何?」
「特別何ってわけじゃないよ。ただ、もうすぐだなって思っただけさ。コナンくんはきっとたくさんチョコもらうんだろうね」
「安室さんほどじゃないと思うけど……」
店内の客はいまコナンだけだ。暇なのかもしれない。
そう考えながら、コナンはパウンドケーキにフォークを入れた。茶色い、チョコレート味のパウンドケーキはバレンタイン向けの試作だろうか。
甘さと、ほろ苦さが口に広がる。
「ん、美味しい! ……ボクはこれぐらいの甘さが丁度だけど、女の子はもっと甘い方が好きかもよ」
「なるほど。じゃあ、クリームでも添えて調整しようかな」
そう言って、安室は自分でも一口、パウンドケーキを食べてうなずいた。
「ありがとう」
爽やかな笑顔だ。ここに園子がいたらキャーキャー大騒ぎしたこと間違いなしだ。
この男の裏の顔を知っているので、素直にかっこいいと賞賛するのは何だかしゃくだが、それでも、安室の顔が良いことは否定しようがない事実だ。バレンタインにはさぞ、たくさんのチョコをもらうだろう。
でも、この男の職業柄、よく知らない人からプレゼントをもらうのは大丈夫なのだろうか。
「……安室さんって、チョコ貰ったらどうするの?」
含みをもたせてたずねると、安室は肩をすくめた。
「そもそも、貰わないよ。仕事中はそういうのはお断りすることにしてるし、仕事を離れればチョコレートをくれるような知り合いなんていないから」
「……ふうん」
まあ、そうするしかないだろうなとうなずく。
もらっても捨てるしかないなら、はじめからもらわないようにした方が楽だ。
大変だなあと内心で同情していると、安室は眉を上げた。
「僕よりも、コナンくんだろう。君はたくさんチョコレートをもらうんだろうから、注意しないと。チョコレートの食べ過ぎはあまり良くないよ」
「いや、だからそんなにもらわないってば」
江戸川コナンは、小学生だ。小学一年生なんて、まだ子ども。同級生はまだチョコレートで騒ぐ年ではない。それに、コナンは小学生の自分が、決してもてるタイプではないことをよく理解していた。
あの年頃の女の子が憧れるのは、かけっこが得意なガキ大将タイプで、休み時間に小難しい本を読み、少年探偵団なんておかしな活動をしている眼鏡の男の子は、対象外。ただの変わり者だ。
高校生だった工藤新一ならともかく、江戸川コナンには、バレンタインの日に鞄に持ち帰り用の紙袋を何枚も忍ばせる配慮は不要なのである。
安室は首を傾げた。
「そう? 少年探偵団が解決した事件の依頼人とか、お礼をしたがってる子は多いんじゃない?」
「解決のお礼はその時もらってるし、わざわざバレンタインにチョコ持ってくるような子はいないと思うけど」
コナンはこれまで小学校で解決した事件を思い返す。
無事事件が解決した後に、わざわざお礼をくれそうな子──。
(んー、一番最近猫探し手伝ってあげた二年生の子は、「またお礼するね」って言ってた気がする。……先月なくした筆箱見つけてあげた四年生の子は、お母さんがやたら義理堅かったから、何か持ってくる可能性はある、か? ……あと隣のクラスの子は、事件解決してからよく声かけてくれるし、たしかお姉さんがいたから、一年生でも背伸びしてバレンタインやりたがるかもしんねーな……)
つらつら考えていると、安室が肩をすくめた。
「ほら、心当たりがあるんじゃないか」
安室にそうからかわれると、自惚れを指摘されたような気がしてはずかしくなる。コナンは少し赤くなった頬を、首を振ってごまかした。
「で、も! 今年はバレンタイン、日曜日だし。学校無い日にわざわざ来る子なんていないよ! それより、安室さんは自分の心配した方がいいんじゃないの? この前お姉さんたちが『絶対チョコ渡すんだ』って盛り上がってたの、ボク聞いたんだから」
安室透は「誰にでも優しい好青年」ということになっている。そんな彼が、店に押しかけて来た女子高生のチョコレートを受取拒否するのは、どうなのだろう。普段はその手のプレゼントを全部断っているようだが、「バレンタインだし」「ただのお菓子だし」と強気に押してくる子は、絶対いるだろう。頑なに拒否すれば角が立つし、形だけでも受け取らざるをえない状況になるのではないか。
そう指摘すれば、安室はちょっと眉を下げた。
「……そこはまあ、うまくやるさ」
「だと良いけどね? 女の子の勢いって、すごいからなー」
ニヤニヤ笑うと、安室は顔をしかめ、そしてふと何か思いついたように眉を上げて笑った。
「──じゃあコナンくん、賭けをしようか」
コナンは目を瞬かせる。
「は? ……賭け?」
「そう。『僕がバレンタインにチョコをもらわずに過ごせるか』。……それだけじゃ面白くないか。じゃあ、そうだな。君と僕、どっちがよりチョコをもらわないで、バレンタインを終えるか」
「……はあ?」
コナンは呆れて声をあげた。
どちらがよりチョコをもらわないか……?
そんな情けない賭け、してどうするのだ。
安室はコナンの顔を見て、肩をすくめた。
「僕だってね。せっかくの気持ちを受け取らずに断るのは心苦しいんだよ。だからたしかに君の言うとおり、勢いに押し負けることはあるかもしれない。形だけでも、受け取った方が楽だしね。──でも、受け取っても処分するしかないものを、受け取るのは悪いだろう」
「……それは、まあ」
「だから、頑として受け取らない姿勢を貫くために、協力してよ。これを受け取ったら負け……と思えば頑張れそうだからさ」
「いや、でも、それで何でボクも巻き込むの?? 別に、安室さんがチョコを受け取らずに済むかどうか、だけで良いじゃん」
そう言うと、安室はにこりと笑った。
「それじゃあつまらないじゃないか。それに、『賭け』って言っただろ? 賭けの勝者には賞品が必要だ。──例えば、勝った方が、一回何でも言うことをきくとか……どうかな」
何でも、一回。
コナンはゴクリと息をのんで、安室を見上げた。
その権利は、非常に魅力的だ。
実際この男が素直に言うことを聞くかどうかはともかくとして、自分たちのやや複雑な間柄で、相手に有無を言わせず協力の要請が出来るのは大きい。──いや、協力ではなく、例えば秘密を話せとか、そういう要求が来るとなると、厄介かもしれない。でもそれは、お互い、賭けの代償に「言え」と言われたところで言えるものではないし、コナンも安室にそれを要求する気は無い。安室について知りたいことは山ほどあるが、秘密は暴くものであって、無理矢理吐き出させるものではない、というのがコナンの考えだ。
(安室さんもそれはわかってて、「言うことを聞く」って言い方をしたんだろうけど……ここは念の為ハッキリさせとくか)
「……一回何かお願いが出来る、っていう条件なら、いいよ」
慎重に口を開くと、安室はあっさりうなずいた。
「いいだろう。──それで、賞品が決まったわけだけど……本当に、賭けの内容は『僕がチョコをもらわずに済むか』でいいのかな?」
「え。──あ」
言われて気づく。
それは、不利だ。
安室は以前コナンの協力を得るためになりふり構わぬ無茶をした男だ。女子高生のチョコを断るくらい平気でやり遂げてしまうだろう。賭けが成立しない。
「だ、駄目! でも、ボクとの比較にしても、ボクが不利なのは変わらないじゃん!」
まず、コナンには貰うことが確定しているチョコがいくつかある。
蘭は絶対にくれるだろう。歩美と哀もそう。この二人は、二人で一つの可能性が高いが、それぞれにチョコを用意しないとも言い切れない。ここで既に二つもしくは三つが、確定だ。
それに、どうせ今年も園子は蘭と毛利家でチョコを作るのだろうから、その時ついでにコナンにもくれるかもしれない。世良はあまりバレンタインに興味ないタイプな気がするが、一緒にやるという可能性はある。そうしたら世良もだ。
後は、自宅に送られてくるであろう有希子からのチョコ。よっぽど忙しくしている時以外は、毎年送られてくる。新一宛ならノーカン扱いしてもいいかもしれないが、表向き失踪中の新一の名前でなく、今年はコナンの名前で送ってきそうな気がする。その他にも、ジョディとか、意外と規則がゆるい帝丹小学校の、担任の小林先生がみんなにチョコレートをくれる可能性だって否定出来ない。先ほど思い浮かべたこれまでの依頼人だって、学校がある金曜日にチョコをくれるかもしれない。
──最低でも二つ。下手したら十個以上。
もちろん、安室だってもらう可能性のあるチョコは十じゃきかないくらいあるだろう。でも、安室とコナンが違うのは、コナンがこのチョコレートを断る「それらしい理由」をつけられない、ということだ。
仕事中だから。自分がチョコを受け取ると炎上するから。あるいは、実は付き合っている人がいるから──なんて、安室なら使えるもっともらしい断り文句が、小学生のコナンには使えないのである。その上、もらえるチョコはほぼ義理チョコだ。遠慮して断るのもおかしな話なのである。
「本命のチョコだけカウントするってことにするならいいけど」
「本命かそうじゃないかなんて、どうやって判断するの? 告白つきならそりゃ、本命だろうけど、ただチョコだけでも、本命だってことはあるだろう?」
その通りだ。コナンはむうっと黙った。
「でも、それじゃどうやったってボクが不利だよ」
「ほら、やっぱり、たくさんもらう心当たりがあるんじゃないか」
安室はそうからかった後で、ふむ、とあごに指を当てた。
「でもまあ、そうだね。──じゃあ、こうしようか。『二月十四日にもらったチョコの数』……いや、チョコ以外のお菓子ってこともあるだろうから、『二月十四日にもらったバレンタインの贈り物の数』が対象……ってことでどうかな?」
コナンは少し考えて、顔をしかめて安室を見上げた。
「……それ、今度はボクに有利すぎない?」
その条件だと、コナンがもらうかもしれないチョコのいくつかは対象外にできる。学校でもらうかもしれないチョコがそうだし、有希子からのチョコは、十四日に家に帰らなければ受け取ったことにならないし(どうせ荷物は沖矢が受け取ってくれる)、手作りチョコ派の蘭たちは、当日より前に毛利家で作るのだろうから、そこで「先にちょうだい」といえば済む。
他もなんとかなるだろう。懸念があるとすれば歩美たちだが、ここは、十四日は予定があるということにして、遊ぶのを十三日にすれば良い。それで十四日は引きこもっていれば、ゼロ個達成だ。
しかし、安室は十四日ポアロのシフトが入っている。数日前に女子高生がマスターに確認していたから確実だ。
もちろん、安室なら適当に言いくるめて追い返すことは可能だろう。でも、それは絶対とは言い切れない。──そして。コナンは一つ、重要な情報を把握していた。
実は、ポアロの常連のおばあさんが、日頃お世話になっているお礼にと、安室にマフラーをプレゼントしようと計画しているのだ。先日、たまたま、安室不在の日に梓と話しているのを聞いてしまったのだが、「安室さんには内緒ね」と言っていたから安室は知らないはずである。
──これは、断れないだろう。
梓含め、若い女の子の誰か一人から受け取れば騒がれるだろうが、おばあさん相手に目くじらを立てる人はさすがにいないから、「受け取ると迷惑をかけるかも」という言い訳も成り立たない。これを断るのは、非常に、非常に困難だ。
つまり、安室はバレンタインの贈り物をひとつ、受け取ることがほぼ確定しているのである。
知っていて賭けを受けるのは少しずるいのでは──と一瞬思って、「いやいや賭けだぞ」と首を振り、余裕の出所は何だと安室をにらむ。
「……まさか十四日シフト無くなったとか?」
「疑り深いね。朝から夕方まで入ってるよ。──もちろん、僕が突然の仕事でお休みになったときは、この賭けは不成立でいい」
「……」
──考える。
安室が受け取る可能性があるバレンタインの贈り物は一つ。
コナンは、調整すればゼロが可能だが──しかし、例えば不意にやって来た客や、そう、英理が小五郎のついでくれた、なんて場合は、回避できない可能性がまだある。
そう考えれば、なかなか良い勝負になるかもしれない。
それにイレギュラーが無ければ、勝てる可能性が高いし、何より、おそらく負けることはない。
「──いいよ」
パウンドケーキを飲み込んで、コナンは答えた。
「その賭け、乗った」
勝率の高い賭けでも、手を抜くつもりはないし、万が一の可能性は潰さなければならない。
コナンはまずすみやかに、少年探偵団の面々に十四日の日曜日に予定が入ったことを伝えた。
歩美はとても残念そうだったが、「ならば十三日に」と、前日の約束で納得してくれた。灰原には「何か企んでいるのか」と不審げな目で見られたが、小五郎の仕事に付き合うのだと適当な嘘をついてごまかした。
蘭にも、チョコ作りの日程を確認した。案の定、園子と二人で前々日の金曜日に作る予定とのこと。丁度半日で授業が終わる日なのだという。
「コナンくん、チョコ作りに興味があるの? なら一緒に作ろっか」と何故かコナンも一緒に作ることになってしまったが、ついでに英理の情報が取れたので、良しとする。──英理の小五郎宛のチョコは蘭が預かっていて、当日蘭から渡すことになっているそうだ。これでイレギュラー要因が一つ消えた。英理は「蘭とコナンくんで食べて」と既にチョコを蘭に渡していて、「先に食べちゃおっか」と蘭と二人でありがたく、バレンタイン前にいただいた。
沖矢には、有希子から何か届くかも知れないが後で取りに行くと伝えている。
(──完璧!)
しかし、油断してはならない。相手は、安室透だ。
勝つためには何を仕掛けてくるかわからないし、何も仕掛けてこないはずがない。
(例えば匿名装ってポストにオレ宛のチョコを入れるとか。梓さん使うとか……)
それに、当日コナンが引きこもっていても、「先生に差し入れに来ました!」といつもの手口でやってくるかもしれない。そこでバレンタインのサービスなどと言ってお菓子の一つでも置いて行かれたら勝ちが消える。
しかし、それも対策は考え済みだ。
賭けは、「どちらがバレンタインの贈り物をを少なくもらうか」であって、一つももらってはいけないわけではない。
(──つまり、やられたらやり返せばいいんだ)
やられたらやり返す。チョコにはチョコだ。
幸い、コナンは蘭とチョコを作ることになっている。安室にあげる分を、その時用意しておいて、チョコをもらったら、すかさずお返しをすれば良い。お返しなら、受け取らないわけにはいかないから、それでチャラだ。
あとは、ポストに匿名チョコを入れられたとしても、「誰からのものかわからない食べ物なんて気持ち悪い」と言えば、蘭も小五郎も納得して捨ててくれるだろう。受け取ったことにはならない。──出来れば食べ物を粗末にしたくないので、これは止めて欲しいが。
(後は、梓姉ちゃんに根回しだな)
コナンへのチョコ防止、プラス、駄目元で安室へチョコを渡してはどうかとそそのかしてみよう。
十二日。蘭たちとのチョコ作りが無事終わって、夕食までにはまだ時間があったので、ポアロに向かう。今日安室がいないことは確認済みだ。
「こんにちは」
「あら、いらっしゃい、コナンくん」
梓が笑顔で迎えてくれる。今日はマスターも不在のようだ。
もう夕飯が近い時間だからか、フードメニューが得意な安室が休みの日だからか、店内は空いていて、常連のおばあさんが一人、編み物をしながらコーヒーを飲んでいるだけだった。
(……あれ?)
手元をちらりと見て、コナンは違和感を覚えておばあさんの隣に座る。
おばあさんが編んでいるのは先日まで編んでいた安室用のブラウンのマフラーではなく、明るいピンク色のショールだった。
「こんばんは。──おばあさん、マフラーはもう完成したの?」
顔見知りのコナンの問いに、おばあさんは顔を上げてうなずいた。
「ええ。一昨日ね」
「そっか。それで、次の編んでるんだね」
どうやら明後日のバレンタインには間に合ったようだ。ホッとしていると、注文を取りに来た梓が爆弾を落とした。
「安室さん、すっごくよろこんでましたよ!」
「えっ」
目を丸くしたコナンに、梓は首を傾げる。
「どうかした? あ、そうか。コナンくんは、安室さん用だって知らなかったよね」
「え、いや……それは、ごめんなさい、この前話してたの聞いちゃって、知ってたんだけど……バレンタインの贈り物じゃなかったの?」
おばあさんは「そうそう」と笑った。
「でもねぇ、一週間くらい前かしら? 安室さんが風邪引いて、くしゃみしてて。『最近特に寒いですね』って、あんまりに寒そうだったから……じゃあ急いで作って早く渡さないとって」
なんだと、とコナンは目を剥いた。
一週間前と言えば、丁度賭けが成立した頃──そう考えて、ハッとする。
ちょっとずるかもしれない、なんてとんだ甘い勘違いだった。安室は、常連のおばあさんのサプライズプレゼントをしっかり把握していたのである。その上で、バレンタインより早くにもらえるように一芝居打ったのだ。──完全に油断していた。
「こんなおばあさんからバレンタインって言ってもねぇ。そこに拘るよりも、一日でも早く使ってくれる方が嬉しいものね」
ほわほわとおばあさんは笑って言う。
梓もため息をついた。
「……それに、あんな、バレンタインで苦労したお話聞いちゃうと、バレンタインに何かあげるのはちょっとためらっちゃいますよね……もてるっていうのも大変なんですね……まさかバレンタインがトラウマになってるなんて」
「大変よねぇ」
「コナンくんも、学校で今日たくさんもらったんじゃない? それとも明日以降かな?」
「え。アハハ……うん、すっごくたくさんもらったから、しばらくはお菓子は見なくないかな……なんて」
「あら残念。バレンタインに来てくれたら、サービスしようと思ってたのに」
「……気持ちだけありがたくもらっとくね」
こっちも駄目か、とコナンは歯噛みする。
安室は予想通り先手を打っていた。
おそらく同情を買えるように、さりげなく、バレンタインにいい思い出がないという情報を流して、チョコを渡そうとする人を減らしたのだ。もし当日、それを知らぬ誰が持ってきても、困った顔をすれば常連客の誰かが加勢してくれる可能性も高く、受取拒否もしやすい。
蘭が「安室さんはたくさんもらいそうだし、却って迷惑だから止めとこうね」と言っていた時、疑えば良かった。あの義理堅い蘭が、昨今半ばお歳暮と化している義理チョコを準備しないという時点でおかしかったのだ。園子が「私も。真さんが妬いちゃうし!」などと言うのを聞いて、「そんなものか、蘭もオレに気ぃ遣ってんのかな」とか呑気に考えていたが、甘かった。この様子では蘭たちにも根回しをしていた可能性が高い。
コナンは「あ、蘭姉ちゃんから夕飯出来たって連絡来ちゃった!」と注文もせずにポアロを出ると、さてどうするかと考えた。
有利に進んでいると思っていたが、振り出しだ。
安室は十四日の女子高生たちの攻撃をしのぎきればゼロ。コナンもこのままいけばゼロ。──引き分けだ。
(それに、おばあさんのマフラーのことを把握してたなら、オレがそれで油断してると思ってるはず。ぜってー、何か仕掛けてくる)
一つでも受け取ってしまえば、それで負けになるかもしれないのだ。
警戒しなければ、とピリピリしながら、コナンは翌日十三日を過ごした。
歩美と哀からはそれぞれにチョコをもらった。一緒に買いに行ったのだと言う。
ついでに寄った工藤家では、有希子からのチョコと、ジョディが置いていったというチョコをもらった。蘭から新一へのチョコレートも届いていた。
学校の子たちからのチョコは金曜日に受取り済なので、これで、あとは当日のイレギュラーを警戒するだけである。
そして十四日。
コナンは朝新聞を取りに下りた小五郎が戻ってくるのを迎え、手元を確認した。
「……ねぇおじさん、何か怪しい荷物とか入ってなかった?」
「あん? 怪しい荷物? んなもんねーよ」
「ほんと?」
「当たり前だろ。何なんだよ怪しい荷物って……」
小五郎はぶつぶつ言いながら食卓につき新聞を広げる。
蘭が朝食を並べながらからかうように言った。
「あ、もしかしてコナンくん、誰かがチョコ届けてくれるんじゃないかって気にしてるんじゃない?」
「えっ、ちっ違うよ!」
違わないが、蘭が想像しているような意味ではない。
「チョコォ? あ、何だよ今日バレンタインか。カーッ、小学生のくせに色気づきやがって! オイ蘭、オレのチョコはどうした」
「もー、用意してあるけど、まずは朝ご飯でしょ! ──ちゃんとお母さんからのも預かってますから、後でお礼の連絡してよね」
小五郎はぶっとお茶を吹き出した。お父さん汚い、と蘭が悲鳴を上げる。ハハ、と苦笑しながら、コナンは内心首を傾げた。
仕掛けてくるなら夜中、あるいはポアロに出勤する前の朝だと思っていたのだ。
──それが無かった、となると。
(安室さんもオレが不審な荷物は受け取らないとわかってたか。……なら、日中家に来るかもしんねーな)
そう考えてそわそわと警戒していたが──夕方になっても、安室は事務所に顔を出さなかった。
(おかしいな……)
そう思いながら窓から下をのぞき込んでいると、ふと、あるものが目に入った。
コナンはパッと窓から離れ、「ちょっと出かけてくる!」と小五郎に声をかけるとコートを羽織って外に出た。
安室の動向が気になる──というのはあるが、もう一つ。
階段を下りきって、こっそりとポアロの方を見れば、そこには予想通り、女子高生の姿があった。
ポアロからは少し離れた所で、二人、じっとポアロの入口を見つめている。
(──やっぱりな)
予想していたのだ。安室がどれだけ事前に予防線を張ろうと、それでも押しかけてくる子は、いるのではないかと。
店で「仕事中は受け取れない」と言われても、終わった後なら。──そう考える子はいるのではないか、と。
コナンはこそこそとダッフルコートのフードをかぶって申し訳程度に顔を隠すと、様子をうかがう。
──ここで様子を見ているのは、決して、野次馬的な興味からではない。
彼女たちが安室に突撃しても、安室はなんだかんだ言い訳して受取を拒否するだろう。それを、邪魔するのだ。子どものふりをして、「いいなあ、安室さんもらってあげないの?」とでも言えば、拒否しにくい雰囲気を作れるはず。安室にチョコを受け取らせる最後のチャンスだ。
女子高生たちは、「もうすぐかな」と話しながらそわそわと、一人が手にした小さな紙袋の中を何度も確認する。「受け取ってもらえるかなー?」「大丈夫だって!」と励まし合う声はキャッキャと弾んでいて、緊張しているというよりは、なんだか楽しげだ。狭い道で立ち止まって話している彼女たちは少し通行の邪魔になっていて、でも、そんなことは少しも気づいていないようだった。
少し、呆れる。
(……芸能人の出待ちかよ)
顔が良いから、安室はもてる。でも、ほとんどは冷やかし半分のファンだ。ご近所にいる、ちょっと素敵な大人の人に憧れているだけ。
彼女たちは、安室がどれだけ腹黒くて、隠し事ばかりで──守るべきもののために、孤独に戦っていることなんて、知らないで。顔だけ見て、はしゃいでいるのだ。
そんなことを考えてしまって、コナンはギクリとした。
知らないのなんて、自分だって同じだ。自分は知っていると言えるほど、安室のことを知っているわけではない。
それに、彼女たちがただミーハーなファンだなんて、どうして決めつけられるのだ。寒い中こうして長い時間待っている彼女たちの気持ちは、安室のことを知らなくたって、真剣かもしれない。
(でも、だとしたらそれを利用するのは……)
一瞬、躊躇う。
その時、「来た!」と悲鳴のような高い囁きが聞こえた。
ポアロの扉が開き、「お先です」と言う安室の声がする。
(いや。躊躇うな。これは賭けだし、受け取ってもらえないはずのチョコを受け取らせるなら、あの子たちに悪いことはしてない……!)
──でも。
そうやって無理矢理受け取らせたチョコを、安室はどんな気持ちで廃棄するのか。
ぐ、と下を向いた時。
「──あ、コナンくん! 迎えに来てくれたの?」
女子高生たちが声をあげる前に、安室が声をあげた。──コナンに向かって。
予想外の流れにぽかんとして顔を上げると、安室は階段室から少しはみ出して様子をうかがっていたコナンに手を上げた。そのまま長い足でさっさと近づいてくると、コナンを抱き上げる。
「待たせてごめんね。今日はお誘いありがとう」
「……え。は?」
何を言っているのかわからず目を瞬かせると、安室は首を傾げた。
「あれ? 毛利先生から聞いてない? 夕飯にお誘いいただいたんだけど」
「し、らない……」
そんなこと聞いていない。
でも、そう言えば、今日蘭は園子と二人で遊びに行っていて──海外で武者修行中の京極にバレンタインに会えずに荒れる園子を慰めに、園子の家に泊まりに行っているのだ──なのに、小五郎は夕飯に出かけるぞとも何も言っていなかった。
「蘭さんがいないんだろう? 代わりに夕飯作りに行く約束をしてたんだよ」
安室はコナンの思考を読んだように言う。
たしかに、それはいかにも小五郎が頼みそうなことだけど──と唸っていると、背後から声がかかった。
「あの、安室さん!」
「はい?」
安室は穏やかに振り返る。女子高生たちだ。
二人は気まずげにコナンに目をやってから、仕方ないと腹を括ったのか、「これ」と紙袋を差し出した。
「バレンタイン……もし良かったら受け取ってもらえませんか」
コナンは安室を見る。
安室は少し困ったように眉を下げた。
「……ごめんね。お客様からそういうのは受け取れないんだ」
「でも、お仕事はもう終わりましたよね。私たち、いまお客さんじゃないし」
「それでも、僕にとって君たちはお店に来てくれる大切なお客様だよ」
きっぱり、優しく、安室は拒絶する。
肩に置いた手を、思わずぎゅっと握る。断られたのも、断ったのも、自分ではないのに、何故がチクリとした。
たじろいだ女子高生たちに、安室は微笑んだ。
「気持ちだけいただくね。ありがとう。──いま、ご覧の通り両手も塞がってるから……ね?」
そう言ってコナンを抱え直す。
小さな子どもの視線に気づいて、彼女たちはまた気まずげな顔をして、しかし「わかりました」と答えると、ぺこりと頭を下げて、パタパタと駆け足で去って行った。
──それを見えなくなるまで見送ってため息をつくと、安室はコナンがかぶっていたフードを払ってぽんぽんと頭を撫で、にっこり笑った。
「ありがとう。助かったよ、コナンくん」
コナンは顔をしかめる。
邪魔をするどころか、まんまと利用されてしまった。
ため息が出る。
「……いつから気づいてたの」
「気づいてたわけじゃないよ。賭けかな。でも、彼女たちがいるのは店の中からも見えていたし、なら君が邪魔しに来るかもなとは思ってた」
コナンはため息をついた。
また、読まれていたわけだ。
「……うちに来るってのは?」
「先生と約束したのは、本当。申し出たのは僕だけどね」
「……」
コナンはじとっと安室をにらんだが、安室は気にせずにたずねてくる。
「それで、コナンくん。今日はいくつもらった?」
「ゼロだよ。ぜーんぶ、昨日と一昨日もらったから。──安室さんは?」
「僕もゼロだよ」
ならば引き分け──となるところだが、安室はそれを口にしない。
まだ何か企んでいるな、とコナンは安室のコートのポケットに手を突っ込んだ。
「うわっ」
「今日うちはお菓子持ち込み禁止だから。チェックする」
「君は本当に疑り深いな……」
安室は呆れた顔で、しかしコナンの好きにさせる。
ポケットには財布と家の鍵しか入っていない。ジーンズのお尻のポケットにも手を突っ込んで確認してやったが収穫なしだ。
「……まさか夕飯がバレンタインプレゼントとか」
「言わないよ」
安室はふき出した。
「食材はうちにあるのを使ってくださいって言われてるのに、そんな図々しいこと言えないさ」
なるほど、言われてみれば確かに手ぶらだ。
安室は苦笑してコナンを抱えたまま階段を上り始める。
「──もう何も仕掛けないよ。だから安心して」
──本当だろうか。
自分から賭けを持ち出しておきながら、あっさり終了なんて、おかしい。
(もう仕掛けないってことは、すでに仕込みは終わってるってことか?)
むむむ、と唸るコナンを抱えたまま、安室は毛利家の呼び鈴を鳴らす。
小五郎が出てきて、腕の中のコナンを見るとあきれ顔になった。
「おう、いらっしゃい。──なんだお前、安室くん迎えに行ったのか。そんなに早く飯食いたかったのかよ」
「えっ……いや」
ごにょごにょ口ごもるコナンを下ろして、安室はにっこり笑う。
「お邪魔します。お腹空いてるなら早く作らないといけませんね」
「お、それなら大丈夫だぞ。なんと、今日はカニだ。カニ鍋すんぞ。鍋ならすぐ出来るだろ」
「え? カニなんてどうしたの。蘭姉ちゃんも居ない時に……」
「さっき、いつものお礼にって、送られてきたんだよ。こういうのは鮮度が命だからな。どーせ蘭は園子お嬢様の家でいいもん食ってるだろ」
思わず安室を見る。
「それ、怪しい荷物じゃない!?」
コナンが声をあげると、小五郎は「馬鹿野郎」と拳骨を落とした。
「ヨーコちゃんからバレンタインのプレゼントだよ! 『毛利先生ならチョコレートはたくさんいただいてるでしょうから』~ってな!」
「それ、本物の沖野ヨーコさん?」
「当たり前だろ! ちゃーんとお礼の電話もしたからな」
「そう言えば沖野ヨーコさんはいま北海道でロケ中って聞きましたよ。ロケでも先生のことを思い出されたんですね」
「まあ、俺とヨーコちゃんの仲だからな!」
どんな仲だよ、とため息をつくコナンを放って、安室はコートを脱いで小五郎の後をついてキッチンへ向かう。
「野菜はあるからよ、あと酒のつまみがあると最高だな」と言う小五郎の声と愛想良く答えている安室の声に、コナンも慌ててコートを脱いで居間の隅に投げると、後を追った。
──本当に沖野ヨーコからの荷物なのだろうか。
今日になっていきなりカニなんて怪しいことこの上ない。確かに小五郎は直通の電話番号を知っているが、話したのは本物の沖野ヨーコだろうか。
ごそごそと、キッチンでカニが入っていた発泡スチロールを確認する。
(配達伝票は……北海道からでヨーコちゃんの事務所が送り主……宛先はおじさん)
それを確認して、コナンは息を吐いた。
ならば本当に関係ない、ヨーコからの贈り物だろう。
小五郎とコナン宛、ならともかく、これをコナン宛の贈り物にはカウント出来ないのだから。
ホッとして──安室をうかがう。
これから別の荷物が届くか。
あるいは本当に、終了なのか。
冷蔵庫をチェックしてテキパキ料理を始めた安室が、何も隠し持っていないのは先ほど確認した通りだ。
「おいコナン、そんなとこで邪魔してねーでこっち来い」
「お手伝いする」
「鍋だから簡単だし、そんなにお手伝いしてもらうことはないよ」
「じゃあ手伝うこと出来るまで待ってる」
そう言うと、小五郎は「好きにしろ」と言い、安室は苦笑して料理を続けた。
トントン、と包丁がまな板に当たる音がする。
座ってそれを眺めていると──何だか疲れてしまった。
今日一日、いや、ここ二、三日ずっと、何をされるかと警戒してきたのだ。
(……こんな疲れるバレンタイン初めてだぜ)
たかがチョコレート。それに、「どちらがチョコを少なくもらうか」なんて他人が聞いたら笑うこと間違いなしの下らない賭けだ。
(ん? 待てよ。……よく考えてみれば。安室さんは別に、オレに何の妨害工作もしてこなかったよな)
例えば歩美たちに今日本当はコナンに何の予定もないことをバラして、チョコの受け渡しを十四日にするようなこともしなかったようだし、梓も一昨日の一言でするなり納得してくれた。
気づいて、すっと、頭が冷える。
(……そうだよな。たかが、バレンタインのチョコで。馬鹿みたいな、賭けだ)
賭けと言われて真剣になったけれど、もしかしたらそれは、コナンだけだったのではないか。
よくよく考えれば、賭けに勝っても、負けても、どうでもいいのだ。コナンの協力が欲しければ、安室はきっとまた強引に巻き込むのだろうし、自分だってよっぽどでなければ協力してしまうだろう。賭けで勝って権利を得る必要なんてない。
安室は、面倒臭い話題を、子どもじみた賭けを持ち出すことでそらしたかっただけかもしれない。そして、適当に、ほどほどに、付き合ってみせた。
──自分は、仕掛けられた勝負が楽しくて──嬉しかった、のに。
「コナンくん?」
声をかけられて、ハッとする。
安室は首を傾げて、いつの間にか出来上がっていたおつまみの皿を差し出した。
「これ、先生の所に持っていってくれる?」
「……わかった」
コナンは大人しくそれを受け取って、すでに酒を飲み始めている小五郎の所へ持っていった。
気づいてしまえば、一人空回りしていたことが馬鹿馬鹿しくて、コナンはそのままキッチンには戻らずこたつに潜り込んだ。
カニは美味しかった。
小五郎は終始ご機嫌で、徒歩で帰るならいいだろうと、安室も酒に付き合わせた。安室はさすがというか何というか、飲んでいるように見えるのに顔色が全然変わらない。
時計は午後九時を回って、これ以降宅配便が来ることもない時間になった。
──賭けは本当に終了していた。
自分ばかりむきになって馬鹿みたいだと思うと自然不機嫌になり無口になってしまったが、カニのせいかそれを指摘されることもなく、安室は小五郎の話す名探偵毛利小五郎の武勇伝を拝聴している。
「俺くらいになると、こうしてバレンタインに有名人から贈り物が届くわけだ。安室くんも俺のような名探偵を目指して精進しなさい」
「はい、先生! 先生ほどの方だと、今日は他にもたくさんもらったんでしょうね」
「あ? ……あー、まあな! 出かけた先でもチョコもらってくれ~って言われたりな」
「さすがです!」
適当なことを言っているが、どうせ昼間行ったタバコ屋のおばあちゃんからおまけにチロルチョコをもらったとか、その程度だろうと心の中で突っ込む。
安室のテンションがやや高いのは、酔っているふりなのかどうなのか。──多分、小五郎に付き合ってやっているのだろう。付き合いのいいことだ。
「安室くんこそ、今日はどんだけ収穫があったんだ」
「僕は一つも」
「は? なんだ、情けないな。コナンだって十個はもらってたのによ」
「違うよ、十二個だよ」
「けっ、ガキがお友達にチョコもらって調子に乗ってんなよ!? 安室くんに一つ分けてやれ!」
「もー、おじさんお酒臭い! 近づかないで!」
「なんだとぅ?」
うざがらみする小五郎を、まあまあと安室がなだめる。
「いいんですよ。それにバレンタインは数じゃありません。本当に欲しいチョコが一つあればそれで十分じゃないですか!」
「一つももらえなかった奴が何言ってんだ」
「う……仰る通りです」
「だからもっと頑張って俺のように立派な名探偵を目指すべきなんだ! わかるか安室くん」
「そうですね! 精進します!」
話がループしている。コナンは呆れて雑炊をすすった。
しばらくすると小五郎は寝てしまった。
今日はお開きだ。安室は手際良く片付けを済ませるとコートを羽織った。
「じゃあ、お邪魔しました」
「……料理、色々ありがと。ごちそうさま」
「ほとんどカニ茹でただけだよ。こちらこそごちそうさまだ。先生にも伝えておいて」
あっさりそう笑った安室は、本当にこのまま帰るようだった。
──すました顔を見ていると、ふつりと怒りがわいた。
そして、思い出した。
そうだ。相手にされていなかったと思えば悔しいし、下らない賭けに真剣になっていた子どもを笑うなら笑えばいいが。
十四日はまだ終わっていないし──勝負だってついていない。
(──勝手に終わらせたつもりだろうけど。そうはいかねーからな!?)
「ちょっと、そこで待ってて」
「え?」
コナンはぽかんとした安室を放ってキッチンへ向かうと、冷蔵庫の奥から、もしものためにと作っておいたチョコを取り出した。それを持って戻り、安室に押しつける。
「はい!」
「え? 何……」
安室は目を瞬かせて、反射で受け取ったそれを見る。
「受け取ったね? それは、ボクから安室さんへ、バレンタインのチョコだから」
安室の目が丸くなる。しかしその顔はすぐに不機嫌層にしかめられた。
「先生に言われたからって、本当に分けてくれなくてもいいんだけど」
「はぁ? 違うよ! それは一昨日ボクが作ったんだよ!」
「え」
安室の目がまた丸くなる。
「コナンくんが……?」
コナンは慌てて言い訳した。
「違、いや、違わないけど、蘭姉ちゃんたちが作ってるのと一緒に作っただけで、買いに行くより恥ずかしくないし……っていうかそもそも! 安室さんのことだからチョコ送りつけてくるか渡してきて『これで一個』とか言いそうだし、ならお返ししてやればいいと思って作っただけで……いや、安室さんは真剣にやってなかったし結局何もしてこなかったけど!? あ、だ、だから! これで安室さんは一個でボクはゼロなんだから、賭けはボクの勝ちだからね!」
言い切って、ざまみろ、と安室を見上げれば、安室は黙って手の中のチョコを見ていた。
──ふと、夕方チョコレートを受け取ってもらえなかった女子高生のことを思い出した。困ったような、安室の顔も。
コナンは我に返って、慌ててチョコを取り返そうと手を伸ばした。
「チョコは! 食べられないのはわかってるから。ボクが引き取るから。一度受け取ったんだからそれでいいでしょ!」
「えっ? 待った、待って。駄目だよ!」
安室はさっとチョコを持った手をコナンの届かない高さに上げてしまう。
「これは僕のなんだろ。余りとかじゃなくて、僕に作ってくれた」
「そっ……そう、だけど! 食べないなら要らないでしょ!」
「食べないなんて言ってないよ」
安室はチョコレートの入った箱をぎゅっと握って、笑った。
「──食べるよ。ありがとう」
何故か、それが嬉しそうに見えてしまって、顔が赤くなる。
コナンは反射で憎まれ口を叩いた。
「……それ、ボクが作ったんだけど? 何入れたかわかんないよ」
「へえ、何だろう。愛情かな?」
「ばっ……返してよ! 賭けに勝ったのボクなんだから言うこと聞いて!」
「折角の権利をそんなことで使っていいのかい? それに、僕は賭けに負けてはいないけど?」
「何言って──え?」
きょとんとすると、安室は羽織ったコートの襟を引っ張った。
「──さっき下で、渡したからね」
コナンはハッとして、慌てて居間に放り出した自分のコートを探る。すぐに、フードの中から小さな箱が転がり落ちてきた。
(嘘だろ。いつの間に!)
──あの時。抱き上げて、フードを取った時か。
「もう何も仕掛けない」と言った、直前。
全然気づかなかった。もう何も仕掛けない、と言ったのはやはり、仕掛けが終わっていたからだったのだ。コナンが想像するよりも、直前に。
箱を手に振り返ると、安室はにこりと笑った。
「ハッピーバレンタイン、コナンくん。──まさか君からもらえると思っていなかったから……勝ったと思ったんだけどな」
ずるい、と叫びたかったが、別に安室はルール違反はしていない。
勝手に送りつけてくることは想定していたのだし、直接服に入れられることくらい予想できても良かったのだ。考え過ぎて他に気を取られたコナンの負けだ。──いや、結果としては引き分けだが、賭けは引き分けでも勝負には負けた気がする。
「……勝手にこんなとこに入れて。溶けてるかもしれないじゃん」
反撃にもなっていない憎まれ口を叩くと、安室は笑った。
「クッキーだから、大丈夫だよ」
「安室さんが作ったの」
「勿論。──そうそう、それ、何か入れたかもしれないから、注意して食べてね」
コナンが顔をしかめると、安室はまた笑った。
「冗談だよ。──と、いうわけでバレンタインはお互い獲得数一で、引き分けだね」
引き分け。お互い、一つ。
コナンは手の中の青いリボンが掛かった箱を見つめる。
期せずして、これはコナンがバレンタイン当日にもらった唯一のチョコになり。コナンの作ったチョコは、安室がもらった唯一のチョコになったわけだ。
まるでプレゼントを交換したみたいだ。
安室を見れば、安室はリボンのシールが貼られた小箱を見つめていた。
その表情に、困ったような色は見えなくて。
コナンはぎゅっとクッキーが入っているという箱を握りしめて、ひとつ、深呼吸して口を開いた。
「──それ」
「え?」
「せっかく作ったのに、捨てられたら嫌なんだけど」
「捨てないよ。本当に」
「そんなの、信じられないよ。安室さんは嘘つきだから」
安室は眉を下げる。
コナンは早口に続けた。
「だから。ボクも、何が入ってるかわかんない怪しいクッキーとか一人で食べられないし。──今から、一緒に食べればいいんじゃない」
そう言うと、安室は目を丸くした。
「……コーヒー飲んでく時間くらいあるでしょ」
重ねて言うと。安室は苦笑して、コートを脱いだ。
「……じゃあ、酔いざましに付き合ってもらおうかな。──コーヒー、僕がいれるよ」
「ん」
コナンは小さくうなずいて、安室と一緒にキッチンに向かった。
その背中を見ながら、少し考えて口を開く。
「……あのさ。安室さんは、賭けに勝ったらボクに頼みたいこと、何かあったの?」
やる気が無かったと思ったのはコナンの誤解で、勝つつもりだったのなら。何か具体的に頼み事があるのではないか。賞品自体、安室からの提案だったわけだし。
そう思ってたずねると、安室は苦笑して、首を振った。
「いまは特にないよ」
「うそ」
「本当だよ。……それに、賭けに勝つことより、賭けに持ち込むことが重要だったというか。その時点で勝っていたっていうか。うん、引き分けは想定外だけど思った以上の成果があったから勝ちみたいなものだな」
「え? 何て言ったの? 何が勝ち?」
「ううん、別に。バレンタインって、いい日だねって」
「はあ……?」
よくわからないが、特に頼みたいことはないのかとがっかりする。
頼みたいことが無かったなら、何がしたかったのだ。バレンタインという日にチョコがもらえず、結果だけ見ればただコナンとチョコを交換しただけ。これのどこにいい日だと思える要素があるのだ。
納得がいかない顔をしていると、安室がコナンの頭をぽんと撫でる。
「こんな時間だし、コーヒーは薄めにしておこうね」
やかんを火にかけてそう言った安室に口をとがらせると、安室は笑う。
その顔が楽しそうで、そして嬉しそうだったので、「まあいいか」とコナンは苦笑して、もらった箱のリボンをほどいた。