ホワイトデー空中戦
お茶や休憩で訪れる客で忙しい時間帯が過ぎ、客足も落ち着いた夕刻。一息ついた安室がふと外を見ると、見慣れた子どもが店の前を通り過ぎていくところだった。
その横顔には珍しく、困ったような、うんざりしたような色が見える。安室は外に出て声をかけた。
「コナンくん」
上の階へ続く階段をのぼりかけていた少年──江戸川コナンが振り返り、安室を見て「ああ」という顔をする。
「安室さん。こんにちは」
「こんにちは。今帰り?」
「うん」
「今日はみんなと遊ばなかったのかい」
そうたずねたのは、コナンの帰宅時間が少々半端な時間だったからだ。
少年探偵団の子たちと遊んで帰ってくる時は、だいたい五時から六時くらいでもっと遅い。しかし、まっすぐ帰宅したにしては少し遅い、今はそんな時間だ。
学校で居残りをさせられるような素行の悪い子ではないし──と考え、いや、この子の場合は学校で起きた事件を解決しようとして何か無茶をして怒られた可能性はあるか、と考え直す。
コナンはため息をついた。
「──ちょっとね」
「何か悩み事? ──良かったら、お店で何か食べていくかい?」
コナンは少し迷う素振りを見せたが、しばらくしてうなずいた。
春が近づき早いところでは桜も咲き始める時期とはいえ、まだまだ寒い日も多い。
ココアを出すと、コナンはありがとうと礼を言いカップを手で包んだ。
「何かあったの? 随分困った顔してるけど」
他に客もいないしと、隣に座ってたずねると、コナンは憂鬱そうに顔をしかめた。そしてまたため息をつく。
「……別に、大したことじゃないんだけどさ」
「うん」
「ちょっと……お小遣い、足りなくて……」
「──お小遣い」
予想外の悩みに、目が丸くなる。
小遣い。──確かにこの子は小学生だし、そもそもいまは居候の身だから、小遣いがたくさん与えられているとは思えないが。
「ええっと……新刊が出るとか?」
「うっ……先週買っちゃったのがまずかったよなやっぱり……!」
コナンは頭を抱える。この反応を見ると、欲しい本を買う金が無いわけではなさそうだ。というよりも、本を買ったせいでお金が足りなくなった──ということのようだ。
「でも三年ぶりの新刊で前評判もあれだけいいやつ読まないとか無理だし」
「……三年ぶり、ねぇ」
つぶやくと、コナンはハッと顔を上げた。
「と……とにかく、お金が無くて困ってるんだよ!」
三年前は四歳だったはずの小学一年生は、追及は許さないと言わんばかりにそう叫んだ。
ふむ、と安室は首を傾げる。
貸してあげようか、と言うのは簡単だが、この子がそれを受け取るはずがないし、第一その対応も大人としてあまり褒められたものではない。とりあえず確認する。
「何に使うの?」
たずねると、コナンはしぶしぶ口を開いた。
「……来週、ホワイトデーでしょ」
「ああ」
言われて気づく。
バレンタインに物をもらわないようにしている自分にはあまり縁のないイベントなので、すっかり頭から抜けていた。
先月のバレンタインに、コナンと賭けをしたことを思い返す。
「そういえばコナンくん、チョコ十二個もらったんだっけ」
バレンタイン当日には、安室のクッキーしか受け取っていないはずだが、その前に十二個もらっていたことは、本人の口から聞いている。
──十二個。
どう考えても多すぎる。コナンは少年探偵団なんてやっているから顔が広いし、老若男女を問わずみんなに可愛がられている。たくさんもらうんだろうなと思ってはいたが、想像以上だ。
本人もモテている自覚はあるようなのだが、少しずれているというか、この程度のモテは大したことじゃないと思っている雰囲気があるが、そんなわけがない。
世間一般と比較すればモテるタイプの自分だって、小学生の時にそんなにたくさんチョコはもらっていなかった。いや、中学だって、高校だってだ。下駄箱や机がチョコレートであふれるなんて光景は、フィクションの中や、芸能人でもなければ、ありえないのである。
「いや、十二個って言っても親戚のおばさんとか、そういうの入れてだから。──でもさ、もらったからにはお返ししないわけにはいかないし。同級生ならともかく、大人の人にその辺で買ったお菓子返すわけにもいかないでしょ?」
ブランドチョコだったしなぁ、とコナンはぼやく。安室は苦笑して指摘する。
「大人はそんなこと気にしないと思うよ。お返しなんてしたら、気を遣わせたって、逆に恐縮するんじゃないかな」
「それは、そうかもしれないけど……」
わかっていても、何もしないのは引っかかるらしい。律儀な子だ。
こういう子だからモテるんだろうなと思いながら、ため息をつく。
「でもまあ、状況はよくわかったよ。ホワイトデーのお返しをどうするか、悩んでるってことだね」
「そう。……ほんと、どーすっかなぁ」
コナンはココアをすすってため息をついた。
小さな丸い頭の中は、お返しのことでずっといっぱいらしい。少しもやっとする気持ちを心の底に押し込めて、安室は口を開いた。
「手作りのお菓子にしたら? それならお金はそんなにかからないし、気持ちも伝わるだろう?」
彼にチョコをあげた大人たちも、下手に買ったものを返すよりは素直に受け取りやすいはずだ。
しかしコナンは恨めしげに安室を見上げた。
「あのね。誰も彼もが安室さんみたいに料理上手なわけじゃないんだよ。人にあげられるようなお菓子なんて、ボクに作れるわけないじゃん!」
言われて、それもそうだと気づく。
手作りのお菓子なんて、普段から作り慣れていないとハードルが高い。人にあげるなら尚更だ。彼から賭けの時に渡されたチョコレートは手作りだったが、あれは蘭と一緒に作ったもの。ホワイトデーのお返しをする相手にはきっと蘭も含まれているのだろうから、今回蘭に頼るわけにはいかない。
──でも。こういう時に頼れる相手は他にも、しかもすぐそばにいるではないか。
気づいていないのか、それとも安室に頼る発想がないのか。どちらにせよ少々面白くない。
眉間にしわを寄せると、コナンは首を傾げる。安室はため息をついて、小さな額を指で弾いた。
「それくらい、僕が教えてあげるよ」
コナンは額を押さえ、目を丸くした。
「え。でも……」
「僕じゃ不安かな?」
「そ、ういうわけじゃ、ないけど……」
コナンは顔をしかめる。
何が不満なのだろう。元々、仲良しこよしな間柄ではないが、この程度の助太刀に裏があると思われるのは、心外だ。
「こんなことで貸し一つなんて言わないよ」
「別に、そんなこと疑ってないけど……」
「じゃあ……ああ、そうか。成果ゼロ個のモテない男が、モテる君をひがんでわざと変なもの作らせて意地悪しよう──なんてことも企んでないから。安心して」
冗談めかして言うと、コナンはムッと目を細めて安室をにらむ。安室は首を傾げた。
「……ええと、何?」
「べっつに! いいよ、わかったよ。じゃあ、お願いする」
ぷくっと頬をふくらませて、コナンは不機嫌そうにそう言う。
そんなに自分の力を借りるのは嫌なのか。
若干へこみながら、安室は口を開いた。
「そうしたら、いつ作ろうか? 学校の子には、金曜日に渡さないといけないよね」
バレンタインが日曜日で閏年ではない今年は、ホワイトデーも日曜日だ。
コナンはあっさり元の調子に戻って、うなずいた。
「うん。作るのは、いつでもいいよ。安室さんが時間取れる日で。今週は、あともう半日授業ばっかりだし」
「毛利さんの家で作るわけにもいかないし、ここ使うとなると……水曜の昼の休憩時間がベストかな」
「明後日ね、わかった。ボク、何を用意すればいい?」
「材料はこっちで準備するから、ラッピング用の袋とか……何を作るかによるけど」
「簡単なのがいい」
「わかってるよ。──ところでコナンくん」
「なに?」
安室はにっこりと微笑んで、たずねる。
「バレンタインは、誰から何をもらったの?」
「え」
コナンは戸惑ったように目を瞬かせた後で、警戒した様子で安室を見上げた。
「必要? その情報」
「勿論。だって、チョコレートをくれた人にチョコレートを返すわけにもいかないだろ? 手作りだったなら尚更ね」
コナンは「ああ」とうなずいて、ぼそぼそと答える。
「手作りなんて……蘭姉ちゃんと、一緒に作ってた園子姉ちゃんと……あとはクッキーもらったくらいだよ」
「ふうん。……クッキーね」
蘭と園子が作ったのは、コナンがくれたのと同じトリュフチョコレートだろう。
その他に、クッキー。同級生だろうか。クッキーは簡単に出来るし失敗も少ないから、小さな子でも作りやすい。
「じゃあクッキーは無しだね。他は?」
たずねると、何故か軽く足を蹴られた。
「何。どうしたの」
コナンはぷくっとふくれてそっぽを向く。
「べっつに! 他は全部チョコレート」
「高いやつ?」
「それは親戚のおばさんとか蘭姉ちゃんのお母さんとか……大人の人からだよ。学校でもらったのは普通にお店で売ってそうなやつ」
「普通に、ね」
安室はため息をつく。「普通に売ってそうなやつ」とはまた、渡した子が聞いたら怒りそうだ。
気の毒に。しかし彼女たちがチョコを渡した江戸川コナンという少年は、小学一年生のわりにいい物を与えられなれていて目も舌も肥えているのである。
それよりも。
「大人の人って、具体的には?」
「え…………ジョディ先生、とか……?」
なるほど。あのFBIか。顔をしかめると、コナンは慌てたように続ける。
「佐藤刑事にももらったよ! チロルチョコ」
「……わかりやすく義理だね」
「本命なわけないでしょ。いいじゃん、チロルチョコ美味しいし。チョコに貴賤はないんだから、誰からのどんなチョコでも一個は一個だよ」
コナンはむきになって言う。「そんなものも数に数えていたのか」と呆れられたと思ったようだ。
「たしかにね」と神妙な顔で同意したらまたポカポカ足を蹴られた。
それをなだめながら、頭の中でコナンでも作れそうなものを考える。
比較的簡単に出来て、見栄えもするもの。
「──よし。じゃあ、マフィンにしようか。一つでもそこそこボリュームがあるし」
「え。マフィン……出来るかな」
足をとめ、不安げな顔をするコナンに笑う。
「大丈夫。ホットケーキミックス使ったり、簡単なレシピたくさんあるから」
「ほんとに?」
「ほんとほんと」
コナンは疑わしげな顔をして安室を見上げたが、「大丈夫だよ」と重ねて言うと、ため息をついてうなずいた。
「わかった。よろしくお願いします」
「うん。頑張って美味しいの作ろうね」
「──うん」
コナンは真面目にうなずく。自分から言い出しておきながら、心の隅で少しだけ、こんなに真剣に作ってもらえるなんていいなと思ってしまって、安室は自嘲した。
水曜日。
closedの札がかかったポアロにやって来たコナンは、安室が用意した材料を見て不安げに顔をしかめた。
「あのさ……なんか粉が色々あるけど、ホットケーキミックスで簡単に作るんじゃなかったの?」
安室は苦笑する。
「色々って、薄力粉とベーキングパウダーだけだよ。ホットケーキミックスでも作れるけど、一から作った方が美味しいからね、やっぱり。それに、手間も難易度も大して変わらないよ」
「そうかな……」
コナンは「騙されたのでは」とぼやきながら手を洗い、持参したエプロンをつけると店のテーブルに広げた材料と向かい合う。
「じゃあ始めようか。コナンくん、卵割れる?」
「多分……」
コナンは恐る恐る小さな手で卵をつかむ。
「失敗しても大丈夫だよ。どうせ溶くんだから」
「それもそっか」
コナンはあっさり開き直って、ボウルのふちに勢いよく卵をぶつける。案の定殻が入ったが、取り除けば問題ない。
「卵は全部割れたかな。そしたら砂糖を入れて、よく混ぜる。ここでしっかり混ぜるのがポイント」
「わかった」
コナンはうなずいて混ぜ始める。最初は調子良く混ぜていたが、疲れてきたのか動きが悪くなったので、途中で交代した。
「やっぱり大変じゃん……」
「まだ最初の工程だよ。諦めが早すぎない?」
「そーだけど。こんなに混ぜないと駄目なの? もう十分な気がするけど」
「もう少しもったりするまで混ぜた方がいいかな。この一手間が重要なんだ。──どうせあげるなら、美味しい方がいいだろ?」
「モテる男は言うことが違うね」
コナンは安室の指示通りにボウルに溶かしたバターを入れながら顔をしかめる。混ぜるのは完全に安室に任せるつもりのようだ。
塩を少々。次に牛乳。少しずつ混ぜていく。
コナンは先程の安室の発言を好意的に取ったようだが、実のところ、そんな良いものではない。苦笑して口を開く。
「──これは、バレンタインに十二個もチョコをもらうモテ男にアドバイスだけど。手作りのお返しは、経済的なだけじゃなくて他にも良い点があるんだよ」
「良い点?」
「そう」
安室は重々しくうなずいた。
「美味しい手作りお菓子をお返ししたらね──翌年以降、手作りをもらう確率を一気に減らせる」
コナンはぽかんと目を丸くし、一拍置いて理解したのか、呆れたように目を細めた。
「普通、手作りってありがたがるものじゃないの……?」
「食品だよ? 不安もあるだろう」
「──確かに」
冗談めかしてアドバイスしたが、内容は決して冗談ではない。
悪意を持っておかしなものを贈ってくる人間はごく稀にだが、いる。それに、好意のつもりでも、不確かな情報をもとに食中毒になりかねないものを作ってしまう人も少なからずいると、安室は経験からよく知っていた。
好意はありがたい。手作りのお菓子がいけないわけではない。でも、不特定多数からのそれは、出来れば避けたい。
そういう時、こちらにお菓子作りのスキルがあることをアピールしておくと良いのだ。この人には下手なものは渡せないな、思わせられる。少々性格が悪いが、これは自分だけでなく周りを傷つけないためでもあるのだ。
だいたい混ざったかな、と手を止めるとコナンがため息をついた。
「……やっぱ、プロでもない人の手作りなんて嬉しくないか」
「全部駄目なわけじゃないよ。場合によるんじゃないかな。コナンくんだって、蘭さんや歩美ちゃんから手作りのものをもらっても困らないだろう?」
「……じゃあ」
「うん?」
コナンは安室を見上げる。何だろうか、と見つめ返すと、コナンは首を振った。
「なんでもない。……っていうか、自分が渡すのはいいわけ? 一回少年探偵団で依頼受けただけの子とかいるんだけど。その子はよく知らないボクから手作りもらうの嫌じゃないかな」
「バレンタインにチョコをあげた相手を『よく知らない』とは言わないと思うよ?」
「でも義理だよ、あんなの」
「それは僕にはわからないけど……まあ、大目に見てもらおう。自覚してる分、生焼けのマフィンを渡したりしないように注意しようね」
「はあい」
コナンは肩をすくめた。
交代して、安室が粉を振り入れてコナンが混ぜていく。
「そういえば、渡すのに時間がかかる人とかいる? 焼き菓子だから賞味期限が短いわけじゃないけど、何日もは保たないよ」
「あー、遠くから送ってきた人には、何か別の返すよ」
遠く。親戚のおばさん──工藤有希子のことだろうか。海外にいる人には、さすがに手作りマフィンは送れない。
「──うん、こんなものかな」
「これで終わり? 何か混ぜたりしないの? シンプル過ぎない?」
「急にやる気が復活したね。シンプルな方が失敗しないんだよ。それに、上にチョコチップ乗せるから見た目が寂しいってことはないよ。安心して」
苦笑して答えると、それもそうかとコナンはうなずいた。
あとは出来た生地を型に入れて焼けば完成だ。
「──ふう。結構疲れるね」
「ご苦労様」
「安室さんもね。ありがとう」
焼くのはオーブンは任せて、片付けをしてコーヒーを飲みながら焼き上がりを待つ。
コナンはミルクの入ったコーヒーを飲みながら、ラッピング用に持ってきた袋とリボンのチェックをする。透明な袋と、色とりどりのリボン。雑貨屋でコナンがこれを買うところを想像すると微笑ましい。
「そういえば、マフィンってどのくらい日持ちするの?」
「二、三日かな」
「あ、じゃあ金曜日ギリギリじゃん。ホワイトデーまで保たないね」
「……」
「ま、どうせ早く渡すんだし明日配っちまうか」
「──それがいいかもね」
安室は内心の動揺を隠しながらコーヒーを口にする。
コナンは気づいていないようだ。
──バレンタイン。安室は賭けを持ちかけて、当日コナンが自分以外の人からチョコレートを受け取らないようにした。
コナンはチョコレートをたくさんもらうんだろうなと思ったら──少し、悔しかったのだ。
自分が、正面切ってこの子にチョコレートを渡せないことが。彼が、自分だけでなくみんなに慕われる「みんなの」ヒーローだと、目の当たりにすることが。
だから、下らない賭けを、子どもっぽい意地悪をした。コナンはそんなことには全く気づいていないようだったけれど。
おまけに、他の人と同じチョコレートは嫌だからとクッキーを作って、でも直接渡せずにこっそり彼のコートに忍ばせた安室に、コナンは正面から、チョコレートを突きつけてきた。
(──ずるいよなぁ)
いや、ずるいのは自分だが、コナンはかっこよくてずるい。あと、テンパりすぎて顔が赤くなっていたのも可愛くてずるかった。
──いや。バレンタインでこりずに、手作りを口実に、ホワイトデー当日より早くお返しをさせてしまおうと、この子のホワイトデーの予定をまっ白にしてしまおうとしている自分が、やっぱりずるいのだ。ずるいというか、馬鹿みたいだというか。
他の子と差別化したいと思って作ったクッキーもどうやらかぶっていたようだし、下らない策略を巡らせても良いことにはならないということなのだろう、結局は。
チン、とオーブンが鳴った。
立ち上がり、オーブンを開けると、しっかりきれいに焼けたマフィン。
コナンはホッと息を吐いた。
「やった。うまく出来てる! よね?」
「うん。きれいに焼けてるね。──ラッピングはしばらく冷ましてからね。必要なのは、十二個? 遠くの人の分はいらないんだっけ」
「うん。あ、でもおじさんに見つかったらくれって言われそうだから、おじさんの分も入れて十二個かな」
「了解。一、二、三──全部で十四個か。余りが二つあるから、これは焼け具合と味の確認を兼ねて食べちゃおうか」
「やった!」
全部きれいに焼けるかわからないので、元々必要数より多めに作っている。だから余りが出るのは当然だし、確認のために食べるのも作り手の義務だ。──決して、コナンが作ったマフィンを食べたいから余分が出るようにしたわけではない。
(それにこれは、お手伝いの正当な報酬だ)
自分に言い訳をしながら、コナンにマフィンを手渡す。
コナンはまだ熱いマフィンを慎重に受け取って、しばらく冷ました後で二つに割った。
「──良かった、ちゃんと焼けてる」
「ん、味も大丈夫だよ」
出来たてのマフィンを一口食べてそう言うと、コナンも急いでマフィンを口に入れた。
「──ほんとだ。美味しい……!」
「良かった。出来たてのお菓子を食べられるのは作り手の特権だからね」
「確かに! ──安室さん、ボクコーヒーもう一杯欲しいな」
「そうだね。これには美味しいコーヒーがぴったりだ」
安室は笑ってコーヒーのおかわりを注いだ。ミルクを注がれる前に急いでカップを引いたコナンは、満足げにマフィンを頬張る。
安室も隣でじっくりマフィンを味わった。ゆっくり味わおうと思っても、さほど大きくはないマフィンは、あっと言う間に消える。
プロというわけではないが日常的に菓子を作っている安室が半分──いや八割くらい手伝ったので当然のことだが、マフィンは売り物と比べても遜色ない出来だった。これならば今後コナンがよく知らぬ人間から手作り菓子をもらうことは減るだろう。
そんなことを考えながらまだせっせとマフィンを食べているコナンを見ていると、視線に気づいたコナンが顔を上げた。
「何?」
「いや。……あのさコナンくん。マフィン、もらったクッキーより美味しく出来てる?」
思わずそうたずねてしまってから、自分で自分の質問にびっくりする。まるで嫉妬でもしているようだ。
そうじゃない。嫉妬しているわけではなく──ちょっと気になるだけだ。
気まずい気持ちでコーヒーをすする安室を、コナンはきょとんとした顔で見上げ、ややあってムッとしたような顔をし、しかし何か気づいて考えるように沈黙した後で──最終的に、ため息をついた。
「……さあね。同じくらいじゃない?」
「同じ」
思わずムッとすると、コナンはぷはっとふきだした。
驚いて、ムッとしたのも忘れて目を瞬かせる。
「コナンくん?」
「なんでもなーい。安室さんは、すごく料理上手だねってこと」
素人(多分)のクッキーと同じくらいと言っておきながらすごく料理上手とは、どういう意味だ。それとも、クッキーは同級生からだと思ったのは勘違いで、事件かなにかで知り合ったパティシエからもらったとか、そういうことだったのだろうか。
安室の疑問符を浮かべた顔には気づいているだろうに、何故か急に機嫌が良くなったように見えるコナンはそれを無視して、冷めたマフィンを袋に詰めて一生懸命リボンを結ぶと、礼を言って帰って行ってしまった。
コナンは、宣言通り次の日にはマフィンを配り終えたらしい。
翌朝ポアロに来た小五郎は「世話になったな」と言い、放課後蘭と一緒にやって来た園子は「ガキンチョの癖に美味しいと思ったらやっぱり裏に安室さんがいたんですね」と笑った。歩美はさらにその次の金曜日にやって来て、「歩美にも今度マフィン教えてね」とやや悔しそうにお願いをしてきた。
(──達成感……というよりもちょっと空しさがあるな……)
日曜日。店の前の掃除をしながら、安室は内心自嘲した。
色々工作をしたが、コナンがバレンタインにたくさんチョコをもらって、きちんと一人一人にそのお返しをしたことに変わりはない。
安室の些細な意地悪や自己満足なんて、彼は知らないままだ。
その時、足音がしてコナンが姿を見せた。
「コナンくん。これから遊びに行くの?」
「うん。博士んち」
コナンはそう答えて安室のそばまで来ると、突然、「後ろ向いて」と言った。
安室は目を瞬かせる。
「え? どうして?」
「いいから」
「──わかったよ」
怖い顔をするコナンに、さて何だろうなと思いながら大人しく後ろを向く。この子に背中を見せるのはちょっと落ち着かない。
コナンは近づいてきて、安室のエプロンに触れた。
盗聴器でも仕掛けているのか。しかしこんな堂々と──と戸惑っていると、声がする。
「──やっぱりちゃんと言っておこうと思って」
「何を?」
「……あのね。ボクがバレンタインにもらったのは、チョコレート十二個と……クッキー一つで、十三個だよ」
「え……」
安室は目を瞬かせる。
──言われた言葉の意味を考え。
安室は慌てて振り返った。コナンは怒ったような、少し赤い顔で安室の腰のあたりを叩いた。
「お返し、全部ちゃんとしたから! 中身はこの前一緒に食べたからいいでしょ」
「コナ、」
「じゃあね!」
コナンはそう言うと、あっという間に駆けていってしまった。
──十二個のチョコレートと、一つのクッキーで、十三個。
つまり、コナンはちゃんと安室からもらったものもバレンタインに数えてくれていて。
「……クッキーって、僕か……!」
思わず顔を押さえる。
勝手に、自分からの分はカウントもされていないのだろうと思い込んで。勝手に面白くない気持ちになって。馬鹿じゃないだろうか。
蹴られるはずだし、笑われるはずだ。
しゃがみ込んで、そういえばと体を捻って叩かれたところを見れば、エプロンの紐に、黄色いリボンがちょうちょ結びに結ばれていた。──コナンがマフィンの袋にせっせと結んでいたのと同じリボンだ。
(あの子は……!)
安室は赤くなった顔を隠すように頭を抱える。
中身は一緒に食べた。確かに。
味見なんかではなくて、あれはちゃんと安室へのお返しだったのだと、不格好に結ばれたリボンが言っている。
こうしてはいられない、と安室は立ち上がった。
チョコは交換したようなものだし、お返しなんてもらっても困るだろうと何も用意していなかったが、一方的にお返しをもらって、そのままではいられない。
コナンが帰ってくるまでに、とびきり美味しいレモンパイを作ろう。
緊急事態なので私用で使っても怒られないだろうか、賄賂に一切れ献上すれば梓は見逃してくれるかな、と思いながら安室は黄色いリボンを押さえてポアロの扉を開けた。