雨音の向こう側
ランチタイムも一番忙しい時間帯を過ぎ、店内は落ち着いてきた。
時計を見上げると、時刻は十三時半過ぎ。
安室はエプロンに手をかけて、マスターとバイト仲間の梓に声をかけた。
「休憩入ります。ついでに、上行ってきます」
「はーい」
「行ってらっしゃい。──あ、ちょっと待った。これ、もし食べられそうだったら」
マスターが冷蔵庫からイチゴのパックを取り出した。梓がそれを受け取り適当な紙袋に入れて、安室に手渡す。
「よろしくお願いします」
「よろしくね」
「はい」
安室がうなずくと、マスターは天井を見上げた。つられたように、梓も上に目をやる。
「……早く良くなるといいですねぇ、コナンくん」
「そうですね」
「午前中見に行った時は、ぐっすり寝てましたけど……ちょっと苦しそうでした。休憩室の冷凍庫に氷枕ありますから、もし毛利さんちで見つからなかったら、取りに来て下さいね」
「そうします」
うなずいて、イチゴの入った紙袋を手に入り口の扉を開ける。
外は雨だった。
──「今週末には、関東も梅雨入りするでしょう」
今朝テレビで聞いた言葉を思い浮かべながら、薄暗い空を見上げて、安室は傘をささずに足を踏み出した。
行く先は同じ建物の上の階。階段まではほんの数メートルだ。傘をさす方が手間がかかる。
水が跳ねないように、しかし駆け足で、階段口にたどり着き、安室はポケットから預かった合鍵を取り出した。
毛利家の鍵だ。
家では居候の少年が一人、風邪を引いて留守番をしている。
安室は、可愛らしいキーホルダーがついた鍵を握り込むと、階段を上り始めた。
(──不用心な人たちだ)
いくら、安室が毛利小五郎の弟子だからといって。気軽に信用し過ぎだ。
目論見通りに、安室が毛利親子の信頼を得ているだけ──なのだとしても。
安室は、今朝準備中のポアロに「お願いがあって」とやってきた蘭を思い返した。
「コナンくん、少し熱を出しちゃって、今日は学校お休みなんです。……普段ならお父さんがすぐ下の事務所にいるんですけど、昨日から仕事でいなくて」
「毛利さん、最近忙しいねぇ」
「そうなんです。……ありがたいことなんですけど」
蘭は困ったように笑った。
名探偵として知名度が上がった小五郎は、なかなかに多忙だ。仕事は選んでいる──と言っているが、小五郎はああ見えて根がお人好しだ。困っている人の依頼─特に女性からの依頼は、大小関わらず、何でも受けてしまう。そういう人柄が好かれてか、あるいは調子の良さを利用されてか、依頼は引っ切りなし。今回も、以前色々と世話になった依頼人に呼ばれての仕事で、どうしても断れなかったらしい。
「私が休んで見てるつもりだったんですけど……テストが近いの、コナンくん知ってて。絶対駄目だ、留守番くらい出来るって聞かなくて。無理矢理送り出されちゃったんです」
「それはコナンくんらしいというか……しっかりしてますからね」
「ええ。……確かに、しっかりしてるんですけど。でも、病気の時はいつもと違うと思うんです。何かあったら電話するって言ってますけど、心配で」
蘭は眉を下げると、梓たちに頭を下げた。
「こんなことお願いするの、ご迷惑なのはわかっているんですけど……お昼に一度だけ、コナンくんの様子を見に行っていただけないでしょうか。コナンくんのお昼ご飯は、お粥用意してあるので」
「迷惑なんてことないよ! もう、頭上げて蘭ちゃん。私か安室さん、手が空いてる方が見に行くから、まかせて! いいですよね、マスター」
梓は蘭の肩に手を置き、そう言う。マスターもうなずいた。
「もちろん。何度か様子を見に行くようにするよ」
「ありがとうございます……! 私も、学校が終わったらすぐに帰ってきますので。お願いします」
「お任せ下さい」
蘭が差し出した合鍵を、安室が受け取る。
ホッとした様子で、蘭は学校に向かった。
熱がある時に一人なのは心細いだろう。そう言って梓が午前中に一度、様子を見に行った。
その時、コナンは眠っていたようだ。
「熱でちょっとだけ苦しそうでしたけど……蘭ちゃんの言う通り、高熱ってほどではなかったです。……すぐ治るといいですねぇ。いつも元気な子だから、何だかかわいそうで」
そうして、ランチタイムが一段落したいま、安室が様子を見に行くことにしたわけだが。
安室はたどり着いた三階の毛利家の玄関の前で、一つ息を吐いた。
玄関の扉は、合鍵であっさりと開いた。
家主の依頼なのに、不法侵入でもしているような居心地の悪い気分で、安室は靴を脱ぎ「お邪魔します」と室内に向かって声をかけた。
「……」
しばらく待ってみたが、応えはない。
家の中は、シンと静まり返り、雨の音だけがかすかに聞こえた。
コナンはまだ寝ているようだ。
安室はとりあえず居間からキッチンに入り、「失礼します」と小さくつぶやいて冷蔵庫を開けた。持参したイチゴをしまって、低い位置に入れてある小鍋を取り出してみる。
フタを開けると、中はお粥だった。手をつけられた形跡はない。
鍋をコンロに置いて、居間に戻る。
居間の机の上には、内服薬の袋が置いてあった。それを手に取り「一日三回、毎食後」の記載を確認すると、安室は寝室に向かった。
小五郎とコナンが寝室にしている部屋の戸を開けると、薄暗い部屋の中、コナンがベッドで眠っていた。
普段は、小五郎がベッドで、コナンは床に布団を敷いて寝ているはずだ。病気の時は特別なのか、あるいは小五郎が不在だからか。
ベッドサイドを見ると、水のペットボトルやタオル、スマートフォン、眼鏡が置いてあった。彼がベッドを使っているのは、これらを床に置くと、踏んだり倒したりしそうだから──という理由も、ありそうだった。
梓の言っていた通り、コナンはふうふうと、少し荒い息をしている。
静かな室内にはその呼吸音と、パチパチと弾けるような硬い雨音だけが響いていた。
近寄ってのぞき込んだが、起きる様子はない。
(……無防備だな)
赤く上気した顔を見下ろし、そう思う。
ここに、害意を持った人間が侵入したらどうするつもりなのだろう。
──この少年はきっと、毛利蘭が自分を一日一人で置いてはおかないと、出がけに世話を頼む相手がポアロの人間しかいないことを、見越しているはずだ。そうなれば、安室がここに来ることだって、きっと予想していたに違いない。
それなのに。安室は玄関を入ってから、一つの障害物にも触れず、ここに至っている。
危害を加えるはずがないと高をくくっているのか。──それとも、見越した上で、何らかの対策をしているのか。
安室はベッドの脇にしゃがむと、そっと、少年に手を伸ばした。
伸ばした指は、不可思議な仕掛けによって弾かれることもなく、まろい頬にあと数ミリのところまで近づく。
「……」
手を止め、顔をしかめて身を引くと、安室は息を吐いて首を振った。
この子にいま、危害を加えるメリットはない。
(……起こして、食事をさせて薬を飲ませないと)
お粥を温めて、飲み物を用意して。その前に、汗を拭く物を何か持ってきた方がいいかもしれない。
そう考えながら立ち上がり、ふと、窓に目を向ける。
かすかにピアノの音が聞こえる。
──ポーン、ポン。……ポン。
子どもが手遊びをしているような、不規則で途切れ途切れの音。
実際、この時間帯なら、就学前の子どもが遊んでいるに違いない。
雨音は、相変わらずパチパチと硬い音を立てている。いささか耳障りな硬い音は、どこか火が爆ぜるような音にも聞こえた。
ぎゅっと、子どもの眉間にしわが寄り、口から小さなうめき声が漏れる。
火を連想したせいか、室内が少し蒸す気がして、安室は一度空気を入れ換えようと身を乗り出すと、ベッドの向こうの窓を開けた。
途端、ザアザアと吹きつける雨音が強くなる。
パチパチという音がすぐそばから聞こえてきて、目を向けると、窓枠に風で飛んできたと思われるペットボトルのラベル片が引っかかり、雨を弾いて音を立てていた。
(音の原因はこれか)
手を伸ばしてラベル片を回収すると、音は止まった。濡れたラベル片は、水を振り払ってしまえば、ただのゴミだった。
濡れた手を室内に戻し、雨が吹き込むから開けたままには出来ないかとため息をついたところで、「ん……」と小さな声がした。
ベッドに目を向けると、ぼんやり、コナンが目を開けている。
「おはよう、コナンくん」
「……あむろさん……?」
コナンは、窓を閉める安室を見上げて目を瞬かせ、手元のゴミに目を向けると、数秒、間を置いて、ふっと自嘲するような笑みを浮かべた。
そしてゆっくり数度、気だるげに瞬きして、また安室を見上げる。
「……蘭姉ちゃん?」
あまり話す気力がないのか、随分と省略された問いに、強ばった体を動かし、うなずく。
「お昼ご飯まだだろう。お粥温めて持ってくるから、待ってて」
「何時……?」
「もう二時前だ」
「あー……ごめんなさい。ありがと」
安室はベッドサイドのタオルを持って部屋を出ると、それを濡らして絞り、一度戻った。
「汗、そのままにしておくと冷えるから、拭いた方がいい。自分で出来る?」
「ん」
コナンは濡れタオルを受け取ると顔に押し当てた。しばらくして、のろのろと汗を拭いだした様子を見て、大丈夫だろうと判断してキッチンに向かう。
小さな鍋に入ったお粥は、卵だけ入ったシンプルなものだった。ほのかに出汁の香りがして、丁寧に作られたものであることがわかる。
くつくつと煮える米を見ながら、先程コナンが見せた自嘲するような表情を思い出す。
──何が原因だろう。
安室が家に入り込んでいたことへの呆れ。いや、先程捨てたラベル片に向けられた視線を思い出すと、聡い子どもがあの一瞬で、耳障りな音の正体に気づいて、なんだそんなものかと思った──というのが、近い気がする。
寝ていても、外界の音は耳に入るものだ。耳障りな硬い音。不規則で拙いピアノの音。それは熱に浮かされた頭に、不快に響いただろう。
(……大人みたいな笑い方だったな)
あの子どもが、子どもらしからぬ表情をするのはいつものことだ。けれど先程のあれは、小学生のする顔ではなかったし、どこか、いつもの顔と違っていた。
挫折。あるいは無力感。──かつて鏡に映った己の顔の中に見たそれと、よく似た何か。
無意識に、眉根を寄せる。
あの子どもが、そんな感情に縁があるとは、にわかには信じがたい。
コナンは、安室にとってある種のヒーローのような、一点の曇りもない光のような存在だった。自分とは、違う生き物。
──そう、思っていたのに。
(誰が、あの子に)
鍋からふつふつと音がして、安室はハッと火を止めた。
温めたお粥とイチゴを持って部屋に戻った時には、コナンはベッドの上に起き上がって、ぼんやり窓の方を見ていた。
「──まだ熱、下がらないみたいだね」
声をかけると、ピクリと肩が反応する。
「安室さん。ありがとう」
振り返った顔には、いつもの眼鏡がかけられていた。
それがいつもの彼のスタイルなのに、何故か、線を引かれたような、何かを隠されたような気がして、もやもやとした不快感がこみ上げる。
いますぐそれをむしり取ってしまいたい。
むしり取って、暴いてしまいたいような、衝動。
「……あの。何か怒ってる……?」
困惑気味に問われ、安室は感情を内にしまい込んでにっこりと笑みを浮かべた。
「ごめんごめん。大丈夫なのかなって、心配になっただけだよ」
コナンは差し出されたお粥の器を受け取って、「大丈夫」とつぶやいた。
「熱はだいぶ下がったから。……いただきます」
コナンはシンプルな卵がゆをレンゲですくって少しずつ飲み込みはじめる。
「もし食べられるようなら、イチゴもあるよ。マスターからお見舞い」
「ありがと」
会話が途切れ、沈黙が落ちる。
何か話そうと思えば話せるだろうが、いまのこの子に会話は負担だろう。そうなると、ただ見守るしかない。
黙ってコナンの食事を見ていると、コナンは半分ほど食べたところでレンゲを置いて、イチゴに手を伸ばした。
「……蘭姉ちゃん、テスト近くて」
「うん?」
珍しく、要領を得ない言葉に、首を傾げながら相づちを打つ。
コナンはイチゴの器に目を落としたままぽつぽつと続けた。
「春先に大会遠征があって、授業出れないこともあったから……追いつくために必死に頑張ってるんだ。……『学校行って』って言ったら、ポアロに迷惑かけるだろうなって、わかってたんだけど」
ようやく何が言いたいかを理解して、苦笑する。
「別に気にしなくていい。ほんの数秒の距離だ。大した手間ではないよ」
コナンは「そうだけど」とつぶやいた。
申し訳なさそうな様子のどこかに、不本意そうな色も見える。安室に対して「借りを作った」と思っているのだろう。
本当に、子どもらしくない。──でも。
(そう思うのは、当然だ)
自分たちの関係は、ちょっとした状況の変化でがらりと変わる可能性がある。
安室のことは警戒するべきだし、貸し借りなんて作るべきではない。
でも、思えば安室は、もう何度も、この子に借りを作っていた。それは、ちょっとした事件解決の手助けや、お見舞い程度では返し切れないほどのもので。
(……だから、少しくらい)
「安室さん?」
声をかけられて、ハッと顔を上げる。
「ごめん。食べ終わった」
「……ああ」
コナンは、イチゴを間に挟みつつお粥を完食していた。
食器を片付けに部屋を出て、薬を持って戻ってきた時には、コナンはまた、窓の方を見ていた。
──何か、よほど気になることがあるらしい。
ピアノの音は、まだかすかに続いている。
(ピアノ。雨。──違う。雨じゃなく、もしかしたら、さっきまで鳴っていた耳障りな音か。……パチパチと、火が爆ぜるような)
安室は目を細めた。
(──火)
無意識に、頭の中で検索する。
探り屋として組織に潜入した安室透は、調査が得意だ。毛利小五郎の解決した事件は全て調べ上げ、概要に目を通していた。
小五郎が過去関与した事件。ピアノ。火。
とある島で起きた、被疑者死亡で終わったひとつの事件。
一見、その事件に他との際だった違いはなかったけれど。
調書は調書。ただの文書だ。その裏で何が起きていたかを、知るすべはない。
気配に気づいたのか、コナンが振り返った。
安室は微笑んで、薬を手渡す。
「ちゃんと飲まないと治らないよ」
「はぁい」
水と一緒に手渡すと、コナンは器用に粉薬を飲み込んだ。
「──コナンくんは、そのまま粉薬飲めるんだね」
「え?」
こくりと喉が動いた後、いささか怠そうな視線が向けられる。
「君くらいの年の子は、苦手なんだと思ってた。……居間の机の上、服薬用のゼリーもあったんだけど」
普段とそう変わらぬやりとりのはずなのに、コナンは、はっきりと不快げな顔をした。
今日は、愛想笑いでごまかす気力がないのだ。
そう、気づいて。安室は無意識に続けた。
「さっきから気にしてるのは、火が燃えるみたいな雨の音? ピアノの音? ……それとも、両方かな。いつまでも、君を捕らえているのは」
一瞬。眼鏡の奥の瞳が傷ついたように見開かれた。
それを目の当たりにして、たじろぐ。
傷つけるつもりは──あった。明確に。でも、本気で傷つけるつもりはなかった。傷つくと、思わなかった。
まるで子どものような言い訳だ。
コナンは、はっと息を吐いた。ゆっくり、立てた膝に額を預ける。
「……だったら何だよ。あんたには関係ないだろ」
その通りだ。
安室は黙って、息を吐いた。
「──そうだね」
安室は少年の手からコップを取り上げた。
「もう寝た方がいい。病気にはそれが一番だ」
コナンは黙って横になった。
眼鏡は、鼻の上に乗ったまま。それを指摘出来ずに、安室は少年の寝顔を見つめた。
「……もう帰れよ」
「君が寝るまではここにいる。そう頼まれている」
小さな嘘に、チッと軽い舌打ちが返る。コナンは安室に背を向けた。
ピアノの音は止んで、さあさあと降る穏やかな雨の音だけがする。
まだ少し苦しそうな呼吸は、それでも薬のおかげか、段々穏やかなものになっていった。
(──馬鹿なことをした)
小さな背中を見つめながら、ひたひたと胸のうちに後悔が広がる。
理不尽な、振る舞いだった。
無防備さに苛立ちながら、隠されれば憤り、気を許される隙もないことを嘆いて、少年の心をとらえる何かに勝手に嫉妬し、傷つけた。
子ども相手に──いや、大人相手であろうと、していいことではなかったけれど、熱を出して弱っている所を狙い澄まして言葉を投げたのは、卑怯だった。
「……ごめん」
多分もう寝てしまっただろうと思いながら、小さくつぶやく。
反応はない。
そのことに安堵し、同時に自嘲しながら、独りごちる。
「君も、蘭さんも。不用心に僕を家にあげて……でも君は、そんな体調でも遠慮ばかりする。だから……」
言いながら、言い訳にもなっていないなと呆れ、もう一度謝罪を口にしようとした時、ふと、小さな体が身じろぎした。
口を閉ざした安室の前で、コナンはゆっくりと向きを変え、大きな瞳で安室を見上げた。
「──それはつまり……構って欲しかった、ってこと?」
目を見開く。
──『構って欲しかった』
あんまりな言葉だったが──しかし、それは間違いなく、自分の真意であった。
一定の距離を置いた自分たちの関係で、何かしらのリアクションを得ようと望めば、相手の嫌がる所に踏み込むしかない。──まるで子どものようなコミュニケーションだ。真実子どもである彼ならともかく、既に成人して久しい自分がこれとは、恥じ入るしかない。
安室はうめいて額を押さえた。
「……その言い方は」
ふはっと笑う声がする。その後で軽く咳き込んで、コナンはごろりと仰向けになって目を閉じ、息を吐いた。
「遠慮したつもりは、なかったんだけど。……むしろ、梓姉ちゃんやマスターはともかく、安室さんなら迷惑かけてもいいかって。面倒だけど。それより蘭姉ちゃんが学校に行く方が大事だから」
「……なるほど」
それはそれで。
多少は頼りにされているのか、いいように利用されているのか、歯牙にもかけられていないのか。
──複雑な気分だ。
コナンは眠たげにまばたきしながらつぶやく。
「弱ってるとこ狙って攻撃するのは普通のことだし。……いや、普通、じゃねーか」
黙ったままでいると、コナンはふっとまた自嘲するような笑みを浮かべた。
「隠してるもの、無理矢理暴いて。白日の下にさらすのが……探偵で。それは、普通のことじゃない」
言葉に詰まる。
応えは求めていなかったのか、コナンは黙って目を閉じた。
──それが、この子の後悔なのだろうか。
安室は目を伏せる。
(──確かに、その通りだ)
探偵も、広義の探偵と言える警察官も、誰かが隠しているものを暴き立てる存在だ。相手が犯罪者だとしても、「根っからの犯罪者」という存在は少なく、大多数の犯罪者が偶発的に、あるいはやむにやまれず犯罪に手を染めていることは事実で、相手に非があろうとも、真実を明らかにすることは時に、痛みを伴う。犯罪者も、被害者も、関係者も、そして、探偵も。
探偵とは、そういう、ある意味で暴力的な存在だ。──でも。
目の前の探偵がそれだけの存在ではないことを、安室はよく、知っていた。
ずっと長い間隠してきた顔を──本当の自分を暴かれた時のことを、思い出す。
無遠慮に踏み込まれ、暴かれて。焦りや危機感を、敗北感を、覚えたけれど。
でも、それだけではなかった。
安室は口を開く。
「君は、探偵で。探偵は確かに、人の隠したものを暴き立てる嫌な存在だけれど。暴き出された真実に。真実を……見つけ出してくれた、ことに。救われる人が、いるんだ」
あの時。この小さな子どもに正体を見破られたのだと確信した時に、感じたのは焦りだけではなかった。
それもあったけれど──でも、自分の中にいる「降谷零」の存在を見つけ出してくれたことに。自分は確かに、歓喜していた。
「……僕は、知ってる」
うっすらと、少年が目を開け、また閉じる。
聞こえていたのかもしれないし、聞こえなかったのかもしれない。
呼吸は落ち着いて、穏やかなものになっていた。
しばらくそれを見守って、立ち上がりかけた時、小さくつぶやく声がした。
「……あんたはいつか……オレの……」
驚いて見つめたが、少年はもぞもぞと口を動かして、また沈黙した。
すうすうと穏やかな寝息が聞こえてくる。どれだけ待っても、その先は聞けないようだった。
手を伸ばして、そっと眼鏡を外す。
(──いつか)
現れた幼い素顔を見つめて、つぶやく。
「……いつか。君の正体を」
見つけ出して、暴いて。目の前に突き出した時に。
この子は、どんな顔をするだろうか。
それは、どんなシチュエーションになるだろうか。
──まだ、確かには想像出来なかった。
でも。
(笑って、いたら)
どんなにいいだろうと、願う。
「──早く良くなって」
眠る少年にそうささやいて、眼鏡をベッドサイドに置いて立ち上がり、毛利家を出た。
薄暗い階段を下り切って、まだ雨の降り続く街の景色をつかの間眺めると、安室は深呼吸して店に向かって駆け出した。