テディベアがみてる 2
目を開けて、薄く光の差し込む部屋の中で時計を確認する。
時刻は八時過ぎ。少し寝過ごしてしまったようだ。
赤井は起き上がって、手早く着替えを済ませた。沖矢昴の扮装をする時ならともかく、素顔でいる分には着るものに気を遣うこともない。
枕元に座っているシュウを手に取り、扉を開けると、階下の音が聞こえてきた。同時に良い匂いもする。今朝は洋食らしい。
洗面所で顔を洗ってから、居間に顔を出す。
「おはようございます」
「おはよう、赤井くん」
家主の工藤優作が読んでいた新聞から顔を上げ、キッチンから有希子が顔を出す。
「おはよう秀ちゃん! ごはんすぐ出来るから、座ってて。コーヒー飲むなら、持っていってね」
「ありがとうございます」
赤井はサーバーからコーヒーを注ぐと、ダイニングの席についた。
居候の身分だしと、手伝おうとしたことはあるのだが、邪魔になるばかりだと気づいてからは大人しく甘えさせてもらっている。
「時差ボケは大丈夫ですか」
「ああ、慣れているからね」
工藤夫妻は、昨日帰国したばかりだ。今回は一週間ほどこちらにいると聞いている。
「はい、お待たせ!」
有希子がトーストとベーコン、スクランブルエッグにサラダという典型的な朝ごはんを運んでくる。昨日帰国したばかりだというのにこちらも元気だ。
さすがに今朝くらいは自分が用意するべきだったのではないか──と考えながらフォークを手に取ったところで、席についた有希子が「あら」と声をあげた。
「秀ちゃん、その子は?」
言われて、いつもの癖でテーブルの端に乗せていた赤いテディベアに目をやる。
「ああ──コナンくんに貰ったんですよ」
「コナンちゃんに?」
有希子は大きな目を丸くした。その表情は、少年との血のつながりを感じさせる。
「ええ、『赤井さんに似てるからお土産に』と」
「なるほど」
優作がハハッと笑った。
「そうか、どことなく既視感があると思ったが、たしかに赤井くんに似てるな」
「ほんとね。ニット帽までそっくり。──お名前は?」
赤井は、コナンが「名前は」と言われてぽかんとしていたのを思い出して少し笑い、答える。
「彼はシュウといいます。名付け親はボウヤ──コナンくんですよ」
「シュウくん?」
有希子は微妙な顔でテディベアを見つめた。
「あの子ったら、秀ちゃんのくまにシュウくんって。ちょっと安直過ぎない?」
「名付けはあまり得意ではなさそうだからな、あの子は」
優作が苦笑する。赤井はフォローした。
「他にもホームズやワトソンという魅力的な名前も提案されたんですが、俺が却下してしまったので。それにシュウは案外この名前を気に入っているようですよ」
「秀ちゃんがそれでいいならいいんだけどね。──それにしてもホームズにワトソンって」
スクランブルエッグを口に運びながらため息をつく有希子に、子どもの頃友だちにワトソンと名前をつけていた赤井は肩をすぼめる。シャーロキアンの習性みたいなものなので許して欲しい。
「しかし、そうしているのを見ると、赤井くんはイギリス育ちなんだと実感するね」
「テディベアですか? ええ、あちらでは一緒にいるのが当たり前の『親密な友だち』ですから」
コナンも、赤井がテディベアを構っていることに驚いていたが、そこは文化の差なのかもしれない。大の大人がぬいぐるみなど──という意識は、薄い方だろう。
「秀ちゃんの最初のお友だちは、どうしてるの?」
「イギリスを離れる時に別れて、それっきりですね」
父からのメッセージ受けて、逃げるようにイギリスを出た時、身の回りのものはほとんど置いていった。そうせざるを得なかった。
母がその後手を回していなければ、廃棄されている可能性が高い。その辺りどうなっているかを、母のメアリーと話す機会はなかった。親不孝な息子の自覚はある。
有希子は「そう」と悲しそうな顔をした。
小さな共犯者を思い出させる顔がくもっているのは落ち着かないので、赤井は話題を元に戻す。
「シュウはどうも、新しくオープンしたテーマパークのマスコットらしいですよ」
「ああ、先週オープンした。鈴木財閥系の会社がオーナーだから、園子ちゃんが連れて行ってくれたんでしょうね」
「湾岸沿いに出来た?」
「そうそう。オープニングイベントの招待状もらってたけど、海外だったじゃない?」
国外にいたのに、相変わらず何でもよく知っている。工藤夫妻は著名人で付き合いも広いから、知り合いから流れてくる情報も多いのだろう。
「言われてみれば、クマのマスコットがいたような……でも、シュウくんみたいな格好、してたかしら」
「たしかに、あまり大衆受けする格好とは言えませんね」
ニット帽に革ジャン、シャツもパンツも黒や紺で暗い色だ。到底、メインマスコットとは思えない。
「ヴィランなのでは?」
「なるほど。ぬいぐるみだから省略されているけど、本当はライフルを持っているのかもね!」
有希子は目を輝かせた。そして、何か思いついたように、にっこりと、非常にチャーミングな笑顔を浮かべる。
赤井は反射で笑みを返した。表情筋の反射神経には自信がないので、もしかしたら引きつっていたかもしれない。
有希子はことりと小首を傾げ、赤井を見上げた。
「秀ちゃん、今日時間ある?」
本来赤井は、女性に対して紳士的に振る舞えるタイプではない。
元恋人のジョディが文句を言っていたように、怪我をしていようが何だろうが、他に優先すべきことがあればそちらを優先するし、頼みごとをされても下らないと思えば即断る。年上の女性への対応は、二十歳を超えて母親と殴り合いの喧嘩をしたことからもお察しの酷さ。組織に潜入していた頃も、ベルモットをはじめ女性幹部からの評判は散々だった。
しかし例外というものは、何にでもあるものだ。
赤井秀一は、工藤有希子の「お願い」に、すこぶる弱かった。
そもそも、赤井は工藤夫妻に頭が上がらない。優作も有希子も、それぞれ赤井が敵わないと思う能力や才能の持ち主で尊敬しているし、現在匿ってもらっているという立場もある。
ジョディたちFBIの同僚が、赤井が工藤夫妻と話しているところを見て「猫をかぶっている」「いい子ぶってる」とからかうが、あの二人相手に乱暴な口をきく気になんてどうしてなれるというのか。──ともかく、赤井は工藤夫妻に弱かった。
そのうち特に有希子に弱いのは、世話になっているからとか、尊敬する相手だからという理由だけでなはない。
──江戸川コナン。
赤井が最も「すごい」と思っているあの小さな少年に、有希子がよく似ているからだ。
コナンが工藤夫妻のどちらに似ているか、と聞かれれば、ほとんどの人間が「優作」と答えるかもしれない。二人はその頭脳明晰なところや、事件や小説に没頭しがちなところがよく似ているし、顔立ちもよく似ている。コナンがもっと──そう、赤井くらいの年になれば、明確に優作に似てくるのかもしれない。
けれど、そばで見ていると、コナンは有希子にもよく似ていた。
何かに気づいて目を輝かせるところや、親しい人間に見せる少しワガママなところ。何かを企んでいる時のとびきりの笑顔。愛嬌と呼ぶべき性質が、本当に、よく似ているのだ。
赤井にとって江戸川コナンは、特別な存在だ。
大切な存在や、守ろうと決めた存在は、他にもいる。家族や、同僚たち。結局守れなかった従妹と、その妹。
コナンはその誰とも違う存在だった。
自分の考えの先を行き、命を救って、活路を開いてくれた。自分のことを守ってくれた。
それでいて年相応に可愛らしくて、とんでもなく危なっかしくて、彼が困難に立ち向かうときは、自分が力になれたらと、自分以外の人間にその座を渡したくないと思うくらいに、執着している相手。
小さな──赤井の推測が正しかったとしても、それでもやはり幼いと言える子どもに対するこの感情を、なんと呼ぶべきか、まだ決めかねているけれど、収まりの悪いこの感情を、手放す気は少しもなかった。
スナイパーは、気が長いのだ。いま答えを出す必要があるとは思えないし、彼が大人になるまでそばに居続ければ、その時見えるものもあるだろうと思っている。
──ともかく。赤井にとって江戸川コナンは別格で、特別な存在であって、その彼と似ている有希子に対しては、どうしても弱くなってしまうのだ。
変装をして、テーマパークにお供するくらいには。
「平日なのに混んでるのね! オープンしたてだからやっぱり、関心も高いのかしら」
サングラスに帽子と、変装とは呼べない程度の変装をした有希子は、感心したようにくるくるあたりを見回した。
私もテディベア見たい、の一言でコナンがシュウを買ってきたテーマパークに行くことになり、赤井は沖矢昴の姿でお供をしている。ちなみに優作は締切が近いからと留守番だ。
妻が男と二人で出かけるのに気にしないのか、と心配になるが、優作は基本的に有希子に対しては放任の態度だ。信頼があるのだろうし、そもそも赤井に下心などあるはずがないことを、知っているのだろう。というか、最近夫妻の中で赤井は息子枠に収まっている気がする。──年は大して違わないはずなのだが。
「残念だけど遊ぶ時間はないから、シュウくんのお友だちだけ見にいきましょ」
買い物のためだけに入場するのはチケットがもったいない気もするが、思いつきの行動だったからもう昼も近いし、夕方夫妻で会食があると言っていたから、たしかに時間はない。
「昴ちゃんは今度コナンちゃんたちとゆっくり、遊びに来たらいいわ」
「そうですね」
隣家に出入りしている子どもたちがみんなで出かけるなら、引率に名乗りを上げる機会もあるだろう。
入口に近い場所にある大きなショップは、半端な時間だからか、客が少なかった。
お菓子やキーホルダーなどの土産を冷やかしながら、奥のぬいぐるみ売り場に向かう。
売り場には、色とりどりで様々な格好をしたテディベアが並んでいた。──しかし。
「あら? シュウくんはいないのね」
「そのようですね」
並んでいるベアの中に、シュウと同じ格好をしたものはいない。どの子も、明るい色のスーツやドレスをまとっていた。
有希子は通りかかった店員に声をかける。店員は有希子に気づいて少し緊張した様子を見せたが、赤いテディベアのことを聞かれると「ああ」とうなずいた。
「あのベアは、残念ながらあまり売れ行きが良くなくて。初回のロットで生産が終了して、いまはもうお取り扱いがないんです」
「あら、そうなの? 格好よかったのに」
「どうしても、男の子のぬいぐるみは女の子のものより売れなくて。メインマスコットや、ペアになっているものは売れるんですが」
言われて売り場を見れば、たしかに、スーツやタキシードを着た男の子には、対になる格好の女の子のぬいぐるみがいるようだった。男の子のぬいぐるみでも、双子や兄弟と一見してわかるものばかりだ。
シュウのあの時格好で、ペアになる女の子のぬいぐるみは想像しにくい。
店員は有希子の礼に首を振ると。一礼して去って行った。
有希子は口をとがらせる。
「残念! シュウくんがたくさん並んでる所見たかったのに」
「そうですね」
なんとなく家にいるシュウが気の毒になって、うなずく。
「ペア。ペアね……あ、そうだ」
パッと、有希子が笑顔で振り返る。
「いいこと思いついた!」という顔に若干警戒しつつ、何ですか、と促すと、有希子はテディベアを一体手に取って、言った。
「シュウくんとペアになる子を探しましょ!」
「──ペア、ですか? シュウの?」
「ええ。一人じゃさみしいもの。相棒を作ってあげましょうよ」
「──なるほど」
面白い考えだな、と思う。
イギリスで育った赤井からすれば、テディベアと子どもは一対一、ベアと子どもがペアと考えるのが普通だ。しかし有希子は、ベアにはベアの相棒が要るという意見らしい。
確かにシュウを気の毒には思ったが、わざわざペアをあてがうことはないのでは──と正直あまり気乗りしなかったのだが、有希子が青いジャケットを着たベアを手に取って言った言葉で、気が変わった。
「ね、これとかちょっとコナンちゃんに似てない?」
見れば、青いジャケットと灰色のズボンというそのベアの服装は、コナンがたまにする格好に似ていた。
「……ほう」
なるほど。いいかもしれない。
コナンにもらったシュウも大事だが、コナンに似た子なら欲しいに決まっている。
赤井はじっとテディベアを見た。
似ている、が、首元のストライプのタイが残念だ。
「これが蝶ネクタイだったら完璧だったんですが」
「そうねー。でも蝶ネクタイをしてる子は、あのタキシードの子くらいね」
有希子が指さしたのは、明らかにウェディングを意識した白いタキシードのベアだ。
「赤じゃないですしね」
あと、欲を言えば眼鏡も欲しいところだが、この店にいるのは視力が良くファッションで眼鏡を身につけることがないベアばかりのようだ。
「……うーん」
有希子は青いジャケットのベアをじっと見つめ、首元に指をかけてまじまじと観察する。
遠くから店員がこちらを見ている。──不審な行動だから仕方ない。
「うん!」
有希子はパッと顔を上げて拳を握った。
「いけるわ、秀ちゃん!」
「沖矢です。──何がいけるんですか」
興奮してうっかり赤井の名を呼んだ有希子をたしなめ、促すと、有希子は「ごめんなさい」と肩をすくめてから、ベアの襟をめくった。
「これね、ネクタイがきれいに取れると思うの。ネクタイを外して、蝶ネクタイをつけてあげればいいんじゃないかしら」
赤井は目を瞬かせる。
「蝶ネクタイを、つける」
「そう。赤いリボンでもいいかも。このテディベア、よく出来てて、お洋服の襟もちゃんとあるの。リボンも通せるはずよ」
「リボンくらいなら、簡単ですね」
「そうそう。あ、眼鏡もワイヤーか何かで作れるんじゃないかしら。お鼻の上に固定するしかないけど」
「──それも出来そうですね」
「ね!」
有希子は笑顔を見せた。
「そうと決まったら昴ちゃん! 一番コナンちゃんに似た顔の子を選びましょう」
「承知しました」
二人は十体ほどの仲から、三十分ほどかけてこれぞという子を選んで、うちに連れて帰ることにした。
コナンが遊びに来たのは、工藤夫妻がアメリカに戻った次の日だった。
来日中は、なんだかんだ都合が合わず、一度食事をしただけらしい。ドライといえばドライだが、家族なんてそんなものかもしれない。──小学一年生に対してそれが普通かは疑問だが、江戸川コナンは普通ではないし、そもそも、工藤夫妻とコナンはただの親戚関係、という「設定」なのだ。
「有希子おばさんたち、うるさくなかった?」
コナンは赤井が出したジュースを飲みながらたずねてくる。
来客も外出の予定もないため、今日は沖矢の変装はしていない赤井は、苦笑した。
「うるさいなんてとんでもない。だいたい、この家の家主は工藤夫妻だろう」
「まあそうなんだけど……。か…有希子おばさんに色々付き合わされてないか心配だったんだよ」
「心配は要らん。俺も好きで付き合わせてもらっているから」
「……ふーん?」
コナンは目を細めて赤井を見上げた。
少しご機嫌斜めな様子だ。オレンジジュースの気分じゃなかっただろうかと考えつつ話を変える。
「優作さんには、色々本もいただいたしな。ボウヤ宛のものも預かってるぞ」
「あ、そうだ、どんなの持ってきてくれたんだろ」
パッと表情が明るくなったことにホッとして、コナンと書庫に移動する。
工藤家の書庫は立派だ。小さな学校の図書館くらいの広さがある。これでさらに蔵書の多くがミステリーだというのだから、素晴らしい。赤井も時間がある時にはここで過ごすことが多かった。
「ほら、これだ」
「あ、この間面白かったって言った人の新作じゃん!」
英語の本を当然のように受け取って、書庫にある椅子に座り、そこでコナンは机の上を見て目を丸くした。
「……え? 何これ、増えてる?」
視線の先にあるのは、テディベアだ。赤い色のシュウと、その隣にいる一回り小さいサイズのテディベア。
コナンが来るまでここで本を読んでいたので、机の上に置いてあったのだ。
「……何、どうしたのこれ」
コナンは不審げに、首元に赤いリボンを結び眼鏡をかけたテディベアを見つめた。
「シュウの相棒だ」
「シュウくんの? 相棒……?」
コナンはオウム返しに繰り返して、許可を取ってテディベアを抱き上げた。
──残念ながら、今日のコナンはカジュアルなパーカスタイルだが、並ぶとやはり、似ている気がする。
有希子と一緒に似た個体を厳選した上、小道具まであつらえたのだから当然だ。
テディベアを見つめるコナンの顔が、なんとも言えない複雑なものになる。しばらくして、コナンは目をすがめて赤井を見上げた。
「……事情を聞いても?」
そこで赤井は、テーマパークに行くことになった経緯を説明する。
コナンは小さく舌打ちした。
「あの人はほんと……それにしても」
大きな目が、不満げに細められる。
「赤井さん、有希子おばさんに甘くない?」
「……そうか?」
自覚はあったがとぼける。コナンは口をへの字に曲げた。
「そうだよ! 付き合う必要ないことにも付き合ってさ。そんなだから、か、有希子おばさんが調子に乗るんだよ。『そんなガキが行くようなところに行けるか、勝手に行けばいい』くらい言えるでしょ、赤井さんなら」
真似のつもりなのか低い声でつむがれたひどい台詞に赤井は目を見開いた。
「待て、ボウヤ。俺がそんなに無礼な男に見えるのか?」
「だって、この間似たようなことFBIの人たちに言ってたじゃん」
言葉に詰まる。たしかに、ジョディたち相手なら多分言うだろう。ふざけてるのか、くらい付け足すかもしれない。
コナンはFBIの面々とのやりとりを見たことがあるから、こんなことを言うのだろうが、赤井が有希子にそんなことを言えるわけがないことくらい、わかっているはずだ。
そもそも、コナンは何故不機嫌なのだろう。
どうすれば機嫌を直してもらえるか──とか考えて、らしくない思考だと自嘲する。
赤井秀一は、本来彼の言う通り、あまり他人を気にしない男だ。仕事の連携に関わるならともかく、プライベートならなおのこと。
それでもコナン相手に、他と同じような、態度や対応が、出来るわけがない。そのことを、自分がどれだけ特別扱いされているかを、コナンはわかっているのだろうか。
(……わかっていないだろうな)
沖矢昴が一人暮らす家の冷蔵庫に自分では飲まないジュースが常備されているのだって、おそらくコナンのためとは思っていないだろう。
ため息をつくと、ピクリと小さな肩が震えた。
考えながら口を開く。
「──有希子さんと優作さんがとても仲の良いご夫婦なのは、ボウヤも知っているだろう? 俺は工藤夫妻を尊敬している。当たり前だが、邪な考えなんて持ってない」
人を間男か何かのように思っているのかと、暗にと責める声に、さすがに反省したのか、コナンは眉を下げる。
「……でも。だって、有希子おばさんモテるし……可愛いし。あ、いやこれは一般的に見たらってことだけど!」
有希子が聞いたら大喜びしそうな台詞だ。常々彼はファザコンの傾向があると思っていたが、マザコンでもあるらしい。
意見には概ね同意なので、そうだなとうなずいて、「でも」と付け加える。
「工藤夫妻は恩人だ。無礼は出来ん。世話になっているし、何より、ボウヤのご家族だからな」
「……オレ?」
きょとりと、大きな目が瞬く。赤井は視線を合わせるためにしゃがんで、そっくりのテディベアを抱えたままのコナンの手を取った。
「そうさ。君に嫌われては困るから、君の大切な人に最大限の礼節を持って接するのは当然のことだ。そうだろう?」
そう言って顔をのぞき込むと、コナンは驚いたように目を見開き、その後で照れたような、拗ねたような、複雑な顔をして黙り込んだ。
しばらくして、降参するように小さくため息をつく。
「……わけわからないことで拗ねて、ガキみたいって、思ってるでしょ」
「どうかな」
赤井は首を傾げた。
「ボウヤが拗ねていた理由によるな。──取られたくなかったのは、ママか? それとも」
チュ、と小さな手に唇を落とすと、目の前の顔がボッと赤く染まる。
「なっ……いや……って、あ! 有希子おばさんはボクのママじゃなくて、親戚のおばさんだから!」
「それは失礼。親子のように仲が良いから間違えてしまった」
しれっと答えるとコナンは「もう!」と怒りながら赤井の手を払った。
その反応に思わず笑う。
──有希子の話題で不機嫌になるのは、大切な家族にちょっかいを出されたくないからか。それもゼロではないだろう。でも、真っ赤になった顔と、先日、テディベアにばかり構っていると機嫌を損ねていたこと思い出せば、別の理由があると自惚れてもいいだろう。
クスクス笑う赤井に、コナンは顔を赤い顔で声をあげた。
「有希子おばさんのことはわかったから! で、この子は何なの!」
テディベアを突き出され、赤井は立ち上がって机の上に放置されていたシュウを手に取った。
「ああ……シュウと同じ型のテディベアは、どうやら廃番らしくてな。かわいそうだから相棒を連れてきたんだ」
「それがこいつ?」
「ああ。よく似てるだろう」
コナンは口をとがらせる。嬉しいのか、困っているのか。どちらとも取れる反応だ。
「こんな格好のクマ、いた?」
「いや。だから蝶ネクタイと眼鏡は彼のためにあつらえたんだ」
「……へ?」
コナンはぽかんと口を開ける。
「阿笠博士にも協力してもらってな。ボウヤの蝶ネクタイと同じ素材のリボンだ。残念ながら変声機ではないが」
「博士? 博士にも見せたの、これ?」
「ああ」
何か問題があるのかと首を傾げる。
ちなみに、眼鏡を作るのに使った黒いワイヤーも阿笠にもらった。隣家の少女が何だか微妙な顔をしていたが、彼女の態度が素っ気ないのはいつものことである。
「…………いや、もういいけど」
コナンは肩を落としてため息をつき、改めてテディベアを見ると、赤井の手からシュウを取って、二体をくっつける。
やがて、ふふっと笑う。
「こいつ、シュウくんと仲良くしてる?」
「ああ、いつでも一緒さ」
「はいはい。──この子、名前は?」
問われて、赤井は口ごもった。
「小さいボウヤ」と呼んでいるのだが、テディベアを自分と同じ呼び方で呼んでいると知ったらまた怒られるかもしれない。
「あー……彼にはまだ名前がないんだ。ボウヤにつけてもらおうと思ってな」
コナンは顔をしかめた。
「何でだよ。この前の話からすると、買ってきた赤井さんが名付け親になるべきだろ」
「俺にはネーミングセンスがない」
「それはボクもだってば……」
そこでコナンの視線が、無意識にか、背後の本棚に向けられる。
書庫のデスクの後ろあたり。少年の頭の高さとさほど変わらない、低い位置の棚。
一瞬だったが、赤井は視線の先に並んだ本の背表紙をしっかり確認できた。
工藤家の書庫がどんな分類法で管理されているのかはわからないが、同じジャンルの小説とはいえ、イギリスの作家と日本の作家の本を並べて置くのは、あまり一般的ではないだろう。
並ぶ二つの名前。
目の前の少年。江戸川、コナン。
(なるほど。そういうことか)
ネーミングセンスがないという彼の自己申告は、たしかに、その通りらしい。
赤井はふっとふきだした。
「えっ、なに。いきなりどうしたの」
「いや、何でもない。──そうだな、ボウヤにあやかるなら、彼の名前はランポ・ドイルにするのがいいかもしれないが……」
一瞬ぽかん、と目を丸くしたコナンが、赤井の視線の先にあるものに気づいて顔を引きつらせる。
困り切った顔に赤井は笑って、コナンを抱き上げた。今日はここまでにしておこう。いずれ、教えてくれると約束をしたのだから。
抱き上げたついでに白状する。
「──実は、彼にはもう『小さいボウヤ』という呼び名があるんだ。ボウヤさえ良ければ、正式に採用したいんだが」
コナンは目を丸くして、口を開き、閉じ、もごもごと何か言いたげにしていたが、やがて長い長いため息をつくと、言った。
「いいよもうそれで……乱歩とかドイルよりは……」
「それは良かった」
赤井は机の上に放置されていた本を取って、コナンに渡す。
「では、シュウと小さいボウヤも連れて、下でコーヒーでも飲みながら本を読もう。今日は、泊まっていけるのか?」
「……うん」
「そうか。なら、有希子さんに教えてもらったシチューを振る舞おう。ボウヤの好物だと聞いた」
「……赤井さんはさぁ」
コナンは顔を赤くして何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わずに、二体のテディベアをぎゅっと抱きしめて、赤井の肩に頭をあずけた。
「……今日はコーヒー飲みたい。砂糖もミルクもなしのやつ」
「勿論、準備しよう」
小さなワガママを了承して、赤井はにっこりと微笑んだ。