母猫は夢見ている




 前回の帰国から、数か月後。有希子は久しぶりに成田に降り立った。
 コナンと安室のことが気になっていたので、本当はもう少し早く来たかったのだが、優作ほどではなくても忙しい身だ。なかなか予定が取れず、気づけばこのタイミングになってしまった。

「今回は、どんな御用事で? コナンくんの『お出かけ』、ようやく予定が決まったんですか」

 親切にも空港まで迎えに来てくれた沖矢が、車中でたずねてくる。有希子は首を振った。

「それはまだみたい。今回は、単純に私が来たかったから」

 一度仕事で駄目になった安室とコナンの「お出かけ」は、その後二度ほど再設定されたが、いずれも安室の仕事で事前キャンセルとなっていた。
 コナンは、「あの人本当に忙しいよなぁ」と呆れつつも気にした様子はなくけろっとしているが、安室の方は、心中穏やかではないだろう。
 それを想像すると、気の毒にと思う気持ちが八割、申し訳ないけれども少々面白く思ってしまうのが二割、というところだ。

「そうなんですか、早く決まるといいですね」

 そんなことを言う沖矢の場合は、面白がる気持ちの割合がやや多そうだ。

「今回も、優作さんはお留守番ですか?」
「ええ。忙しくて。仕事が途切れないのは、ありがたい話だけどね」
「コナンくんが残念がるでしょうね」
「そうねぇ」

 息子は若干、ファザコン気味だ。優作のような優秀な男が父親ならまあそうなるだろう。

「コナンくんも、またしばらく工藤邸に来るんですよね。丁度いい時間ですし、ついでに学校まで迎えに行きますか?」

 そう問われ、有希子は眉を下げた。

「ううん、先手を取って駄目だしされてるから。目立つから嫌なんですって。ごめんなさいね」

 昨日電話で飛行機の到着時間と、沖矢が迎えに来てくれることを伝えたところ、コナンに「学校には絶対来るなよ」と釘をさされてしまったのだ。そういうお年頃だとわかっていても、つまらない。
 迎えに行けたら、コナンの同級生で沖矢のお姫様である哀のことも、送ってあげられただろうに。
 有希子の謝罪に、沖矢は苦笑した。

「なるほど。有名な女優さんが身内にいると、気を遣うものなのかもしれませんね」
「いまの小学生が私のこと知ってるわけないのに」
「先生方はそうはいかないでしょうし、お名前を知らなくても、美しい女性には、目をひかれてしまうものですよ」
「あら、上手ね、昴ちゃん。ありがとう」
「御礼を言われるようなことでは。それでは、直接家でよろしいですか」
「ええ」

 答えて、ふと思いつく。

「ねえ昴ちゃん、昴ちゃんはポアロのシフトに詳しい? 今日、透くんいるかしら。ケーキ食べたくなっちゃった」
「さあ……あそこの店員さんにはあまりよく思われていないので、近づかないようにしていますから。──寄って行かれますか? 私は、先に荷物をもって戻っておきますよ」

 少し素っ気ない口調だ。ここの二人は相変わらずこうなのだな、と内心でため息をつく。
 沖矢─赤井よりも、安室の側の問題なのだろうが、赤井も赤井で彼には思うところがありそうだ。これについては、有希子が口出しをする分野ではない。
 有希子は少し考えてから、いいわ、と首を振った。

「ポアロに行くなら一度『着替えて』からいかないといけないし。荷物も多いから、昴ちゃんだけに任せるのは悪いしね」
「荷物は元々、全て私が運び入れるつもりでしたが。確かにたくさんですね」

 積み込んだトランクの数を思い出したのか、沖矢の視線がミラー越しに車の後ろに向けられる。

「コナンちゃんのお洋服、買ってきたのよ」
「……先日も、たくさん持ってこられたように記憶していますが」
「いやね、この前の服はもう季節外れじゃない!」

 有希子の言葉に、沖矢はやや間をおいて、うなずいた。

「確かに」

 心にもない同意であることが丸わかりな声だ。衣服に全く関心がないのだろう。
 まったく、磨けば光る逸材のくせにおしゃれに関心がないなんて、損失もいいところだ。
 男の子って駄目ね、と有希子はため息をついた。



 一度工藤家で荷物を下ろして、休憩もそこそこに変装をすると、有希子はポアロに向かった。
 コナンが帰ってきたら、勝手に見に行くなと止められるかもしれない。その前に、と思ったのだ。
 前回、作戦のためにと偵察に来た時に見聞きした二人の会話は何とも可愛いものだったが、安室単体では、きちんと観察したことがない。普段はどんな感じなのだろう、という好奇心がメインだが、前回食べたケーキがお世辞抜きに美味しかったので食べておきたいというのも本当だ。
 いるといいけど……と思いながら店の扉を押す。
 のぞき込んだ店内には客の老婦人が一人、女性店員が一人だった。──安室はいないようだ。
 ガッカリしながら、以前コナンが座っていたカウンター席に座る。
 店員がお冷とおしぼりを出してくれた。

「ご注文は、何になさいますか」
「今日は、ケーキセットあるかしら。前に食べて、美味しかったから食べに来たんですけど」
「ございますよ。本日のケーキは、オレンジのチョコレートケーキです」
「美味しそう。じゃあ、ケーキセットを、本日のケーキとコーヒーで」
「はい」

 ケーキはすぐに出てきた。
 オレンジピールが飾られていて見た目も可愛い。

「このケーキ、どこから仕入れてるんですか」
「自家製なんですよ。得意なものがおりまして。今日も……そろそろ休憩から戻ると思いますが」

 どうやら休憩で外しているだけで、安室はいるようだ。
 わざわざ前回と同じ変装をして足を運んだかいがあったと嬉しくなる。
 ケーキを一口食べると、オレンジの酸味とチョコの甘さが絶妙なバランスで、美味しかった。有名店のケーキにも劣らない。

(透くん、パティシエになれるんじゃないかしら)

 以前赤井に、息子と一緒に料理するのが夢だ、と言ったが、お菓子作りもいいかもしれない。
 実の息子と、その息子が匿っている青年は、言えば付き合ってくれるが、どちらも料理にあまり関心がないから、贅沢を言うと、少々張り合いがない。

(秀ちゃんも透くんも、息子っていうには大きいけどね)

 若い頃に新一を生んだので、有希子は高校生の母親としてはかなり若い方、小学生のコナンの母親としても十分に通じる年齢だ。
 三十前後の二人とは、十も年が違わない。息子というよりは弟という方が近いし、未婚であれば恋人だって十分あり得る。
 結婚して二十年近くになるとはいえ、きれいにしていたい気持ちは今もあるし、ちやほやされるのだって嫌いではない。それでも、この二人に関して言えば、有希子自身がどう、というより、息子と仲良くしているのを愛でたい気持ちが強かった。
 出来れば三人で仲良くして欲しいところではあるが、いまは難しいだろう。
 であればとりあえずは、それぞれ息子と仲良くしていて欲しいし──息子のことをよろしく頼みたい。

 出来が良く、自分の考えをしっかりもっていて、やりたいことも決めている有希子の息子は、早くから自立心が強かった。
 有希子たちが海外移住を決めた時も、新一は、自分一人で日本に残ることを決めてしまっていて、相談するしないという話ではなかった。
 事件に巻き込まれて、体が縮むなんて目に遭った時だって、親に頼っては来なかった。
 優作や有希子が頼りにならない、と思っているわけではないと思う。単にあの子は、自分のしたことの責任を、自分で取ろうとしていただけ。心配している親の気なんて、知りもしないで。
 一度話し合ってからは、赤井の時や哀の時のように、要所要所で頼ってくれるようにはなったが、まだまだ足りない。保護者としては、本当は全部大人に任せて欲しいくらいなのだ。
 見守って、助けられるところは助けよう、と優作が決めたから、有希子もそうしているが、どうしたって、心配だ。
 だから。
 無茶をしがちな息子のそばに、手助けをしてくれるような大人がいると、少しは安心だ。
 阿笠。赤井。出来れば、安室も。
 ただ、赤井も安室もそれぞれ自分たちの任務があるし、特に安室の場合、潜入捜査とはいえ、コナンの体を小さくした組織の幹部をやっているわけで、そう簡単に、味方になって欲しいと乞えるものではないだろう。
 コナンの猫で完全にほだされてくれないかな、と思うのは、安室に味方になって欲しいからでもある。
 息子はそこまで考えていないだろうし、安室も、見聞きする彼の性格からすると、公私の別はしっかりつけるタイプだから、ほだされたところで、苦しむことになるだけだろう──と思うと、これは有希子のとても身勝手な思惑なのだった。

 小さくため息をついて、舌の上のチョコレートケーキをコーヒーで溶かす。
 安室はまだ、休憩から戻らない。
 そっと店内を見回して、有希子はふと、カウンターの端、レジに近いところに飾られた一輪挿しに気づいた。
 一輪挿しの花瓶には、造花の赤いカーネーションが飾られていた。
 プラスチックではなく、薄い、花紙というのだったか、学芸会や運動会の看板に飾る紙の花を作る時の紙で、作られているようだ。茎と、紙の葉っぱまで丁寧についている。
 こんな小さな、本物の花と同じくらいのサイズのものは初めて見た。
 店員の女性と目が合ったので、微笑む。

「これ。可愛らしいお花ね」

 そう言うと、店員は顔をほころばせた。

「ありがとうございます。うちの、最年少の常連さんにもらったんですよ。ここの上に住んでる、小学生なんです」
「──そう、なの」

 思わぬ答えに驚いて、少し反応が遅れてしまった。
 上に住んでいる小学生。──コナンのことだ。
 コナンが、この花を作ったのか。
 彼は、そんな趣味のある子ではない。自主的に作ったわけではないだろう。
 この時期に、カーネーション、ということは。

「……もしかして、母の日の?」
「ええ。その子、親御さんが海外にいるみたいなので、渡す人がいないからお店にくれたんじゃないかと」

 やっぱり。
 そう思うと同時に、「どうして?」という疑問がこみ上げた。
 確かに、「江戸川文代」はそういう設定だ。有希子も、海外にいる。
 お世話になっている蘭に──というのは、心情的に出来なかったのだろう。幼馴染の女の子に母の日のプレゼントは、ない。
 けれど、だからといって何故ここか。

(……母の日なら、私でしょ)

 確かに、有希子は普段日本にいない。それに母の日は、もう過ぎている。渡したくても渡せなかったのは、事実だ。

(……でも、数日遅れでも、行くって、わかってたじゃない)

 有希子はじっと自分のものではないカーネーションを見つめる。
 つたなさはあるが、丁寧に作ったのだろう。よく出来ている。
 不器用なわけではないが、関心がないことにはとことん関心がない子なので、学校の課題なんて、適当なものは適当だ。これは、頑張って作った部類だろう。何を、誰を思って、こんなに丁寧に作ったのだろう。
 ──もっと早く来れば、もらえただろうか。
 それともやっぱり、誕生日にも来れなかったのが、いけなかったのだろうか。

 五月。母の日の前に、新一の誕生日があった。
 有希子だって優作だって、誕生日には帰ってきたかった。でも、どうしても外せない予定があったし、新一を呼ぼうにも、いまの彼は簡単に海外に出れない身だ。元々あまり自分の誕生日には関心のない子で、「いいよそんなの」とあっさり言ったこともあり、気にしつつも、電話でおめでとうを伝えてプレゼントを送付するだけにした。
 今回の帰国は、実のところ、遅い誕生日祝いをするための帰国でもある。でも。

(当日に駆けつけないとか、やっぱり親失格だったかしら……)

 来たかったのだ、という気持ちに嘘はなくても、結果放置した事実に変わりはない。
 今年の誕生日、コナンは蘭や友人たちと、ポアロでお祝いしたと聞いている。でもそれも、沖矢からの情報で、コナンから聞いたわけではない。
 本人は、わざわざ親に報告するほど自身の誕生日にはしゃいではいなかったのだろうし、有希子たちを親失格なんて思ったりはしないだろうと、わかってはいるけれど、こうして自分が貰えなかった「母の日の贈り物」を見ると、気持ちが沈んでしまう。
 自分は誕生日を直接祝いもせずに、母の日だけ贈り物が欲しいなんて、むしのいい願いなのかもしれない。でも。

(──いいなぁ。これ欲しい……)

 新一の手作りなんて、レアだ。
 これまでにもらった手作りのプレゼントなんて、それこそ彼が小学生だった時の、「肩たたき券」と「ホームズのお話をひとつ読んであげる券」くらいで、それが最初で最後だ。ちなみにどちらも、半分だけ使って、残りはいまも大切に取ってある。
 その時、店の奥の扉が開いた。
 エプロンを付けた安室が姿を見せる。休憩が終わって戻ってきたようだ。

「休憩いただきました。梓さん、次どうぞ」

 安室はそう声をかけ、カウンター席の変装した有希子の姿を見て、笑顔を見せた。覚えてくれていたようだ。

「いらっしゃいませ。お久しぶりですね」
「こんにちは。今日のケーキもとても美味しいわ」
「あら、安室さん、お客様とお知り合いですか?」
「以前いらした時に、コナンくんにケーキをごちそうして下さったんですよ」
「あら、そうなんですか! さっきお話したこのお花、そのコナンくんが、作ったんですよ」
「もしかしたらそうかもって思ってました」

 先にいたおばあさんが立ち上がって、梓と呼ばれた女性店員が会計対応する。彼女は客を見送ると、そのまま休憩に入った。
 店には、安室と有希子の二人だけになった。
 コーヒーを飲みながら、そっとうかがう。

(……やっぱり、かっこいいわね)

 仕込みをする安室の顔を眺めながら、改めて思う。優作とも新一とも、赤井ともタイプが違うが、女性が放ってはおかない整った顔立ちをしている。職業を考えれば、この際立った容姿は良し悪しだろう。
 安室がふと顔をあげた。目が合って、にっこりと笑みを向けられる。
 見られるのに慣れている人間の反応だ。
 気まずい素振りを作って見せて、有希子は口を開いた。

「この前のぼうやは、元気にしてますか?」
「ええ、元気いっぱいですよ」

 安室はうなずいた。

「先日ここでお誕生日会があったんですが、いっぱい食べて、お友だちにプレゼントをもらって、楽しそうにしていました」
「そう、お誕生日だったの。店員さんも、何かプレゼントしたの?」
「当日のケーキと料理をプレゼント代わりに」
「ここのケーキ、とても美味しいものね。お料理もお上手なんでしょうから、きっとぼうやも喜んだでしょう」
「だといいんですが」

 安室は何か思い出したのか、やわらかく微笑んだ。
 この顔を見るに、きっとあの子はとても喜んだのだろう。有希子も思わず微笑む。
 たくさんの人に祝われた、楽しい誕生日だったなら良かった。

「今日も来るかしら」
「そうですね……ああ、いや。今日からお泊りだって言ってたから、今日は来ないでしょう」
「あら、残念。お祝いに、またケーキごちそうしようかと思ったのに」
「伝えておきますよ」
「お泊りって、旅行?」
「みたいですね。僕も詳しくはないんですが」

 ほんのわずかにしかめた顔は、泊まり先にいる沖矢のことを思い出してのことだろうか。空港から家に向かう車の中で見た沖矢の微妙な反応を連想する。
 本当に、ここの二人もややこしい。フォークを置いて、話題を変える。

「ケーキ、ごちそうさまでした。美味しかったわ。もっと食べたいくらい」
「ありがとうございます。自慢のケーキですからどうぞおいくつでも──と店員としてはおすすめしたいですが。おやつを食べすぎても、晩御飯で調整できますよ?」

 そそのかすような、いたずらっぽい笑みに笑ってしまう。

「あら、そんなこと言われたら迷ってしまうわね。お誕生日のケーキは、何を作ったの?」
「お誕生日会ですか? シンプルに、苺のショートケーキです」
「今日、ショートケーキはあります?」
「ございますよ」
「じゃあ、ショートケーキを一つ、いただこうかしら」
「はい」

 ちょっとカロリーオーバーだが、いいだろう。
 息子の誕生日を祝ってくれた彼へのささやかな御礼の気持ちだ。
 空の皿が回収され、追加されたおかわりのコーヒーを飲みながらぼんやりしていると、声をかけられた。

「──それ、気になりますか?」

 視線がカーネーションに向いていることに気づいたのだろう。有希子はショートケーキの皿を礼を言って受け取り、苦笑した。

「……息子に母の日の贈り物をもらったのなんて、いつが最後だったかしらって思ってしまって」
「お子さんがいらっしゃるんですか」
「高校生なの」
「それは、一番、その手の贈り物をするのが恥ずかしい時期かもしれませんね」
「店員さんも、そうだった?」
「ええ。生意気な時期ですから」

 少しばかり早いタイミングで返ってきた、当たり障りのない答え。嘘、だろう。
 女優としての観察眼──と言いたいところだが、調べて知っていた彼の経歴からの推測半分。カンニングみたいなものだ。
 さすがに職業柄、演技は上手だ。本心を隠すのがとても上手い。
 ──だから、息子が妙な勘違いをして迷走するのだろうけれども。
 卒のない態度を見ていると、少し意地悪したくなってしまう。

「これがここにあるっていうことは、あの子にとってお母さんみたいな人が、このお店にいるってことなのかしら。さっきの店員さん? それともあなた?」
「──どうでしょう。僕……は違うと思いたいですけれど」

 安室は少し困った顔で首を傾げた。
 そうだろう。母親的と言われても、微妙だろう。
 予想通りに困った顔は可愛いかった。
 少し満足してコーヒーを飲んだところで、安室が続ける。

「そもそも、あの子が親を恋しがっているか、というと少し疑問なんですよね。しっかりしているというか、あっさりしているので。小さくても男の子ですから、親離れは早いのかもしれませんね」

 思いの外グサリと、その言葉が刺さる。
 油断もあったし、安室が出てくる前に考えていたこともあるだろう。

(親離れって。……確かに新ちゃんは自立心旺盛な子だけど、ちゃーんと私たちを頼ってくれるんだから! ──もう、息子がいるって言ったばかりなのに意地悪ね。…………いえ、待って。素っ気ない息子がいるって言ったから、男の子なんてそんなものって、慰めてくれてるのかもしれないわ)

 一度ムッとした後で、冷静に考える。客に嫌味を言う必要はないので、その可能性濃厚だ。
 ひとつため息をついて、苦笑する。

「……だといいわね。いえ、いいわけではないけれど、寂しがっていないなら、その方がいいわ。同じ親としては少し寂しいけれど」

 安室は笑った。

「お客様は、いいお母様なんでしょうね」
「え?」
「他所の子のことをそこまで親身に心配出来る人はあまりいませんよ。それに、素っ気ない息子さんのお話をされても、寂しそうなご様子がありません。一人で歩き出した息子さんを、愛情を持って見守っていらっしゃるんでしょう。息子さんが素っ気ないのも、お母様の愛情があって当たり前だから、甘えているのかもしれませんよ」

 思わぬフォローに、考える前にため息がこぼれた。

「……そうかしら」

 首を傾げた安室に、余計なことを言ったなと一瞬後悔したが、いいかと開き直って続ける。

「……正直、仕事仕事で放置しがちなんです。学校の行事があっても行けないことが多かったし……大事な日も。……気にしないって言ってくれますけど、それも気を遣ってのことかもしれません。──甘えているのは親の私の方。母の日のプレゼントなんて、貰えなくって当然なんです」

 完全な愚痴だ。安室は黙ってカップを拭いていたが、しばらくして口を開いた。

「息子さんのことを存じ上げないので、これは僕の勝手な考えですが……子どもは親にどう思われているかに、とても敏感なものです。気にかけてくれているか、無関心なのか──そういうことは、きちんと伝わります。──例えば、さっき話をしていた子ですが、先日のお誕生日会に、親御さんはいらっしゃらなかったんです。海外にいて、簡単には帰って来れないからって」

 有希子が見つめると、安室は小さく笑う。

「年に一度の、誕生日です。しかも、あの子はまだ小学一年生だ。寂しいだろうなと、思ったんですが。『誰よりもお祝いしたいって思ってくれてるのは知ってるから』って、けろっと。あの子はちゃんと、知ってるんですよね。──多分、お客様の息子さんも、同じじゃないでしょうか。こうして気にかけていらっしゃるんですから、悪いお母さんのはずがないですよ」
「……そうかしら」
「そうですよ。息子さんが、羨ましいです」

 冗談めかした口調で言われ、思わず笑う。

「ふふっ、ありがとう。──私もあなたみたいな息子ならもう一人欲しいわ」

 観察をしに来たつもりで、なぐさめられてしまった。
 もちろん、安室の言葉には建前も、客へのリップサービスも含まれているだろう。安室は店員として、感じよく振る舞っているだけだ。
 でも、決して上辺だけの言葉ではないと、そう感じた。
 目的がなんであれ、かける言葉が真実親身なものなのであれば、客が彼に寄せる信頼は本物で、安室が「いい店員さん」だということも、本当のことだ。
 安室ははにかむような笑みを見せた。

「ありがとうございます」

 やわらかい笑顔だった。
 これは、演技だ。気分を持ち直した客を、さらに気分よくさせるためのもの。
 わかってはいても、この母性本能をくすぐる笑みにはきゅんとしてしまう。

(演技だってわかってても、仕方ないなって思っちゃうんだよ)

 悔しそうなコナンの声がよみがえり、有希子は笑った。
 その通りだ。仕方ない。
 やっぱり、新ちゃんとは好みが似てるわ、と考えていると、安室が口を開く。

「大変光栄なんですが、でも僕では息子さんに立候補できる年でもないですね。羨ましいなんて、図々しいことを言いました」
「あら、そんなことないわよ」

(フォローも卒ないわね。ちょっとわざとらしい感じもするけど、なかなか良いわよ、透くん)

 きちんとこちらの話を聞いてくれるし、高得点だ。
 買い物に一緒に行ったら、きっと楽しいだろう。彼なら、どれだけ時間をかけても、表向きは、喜んで付き合ってくれるに違いない。
 そうやって、内心辟易しているのを連れ回すのも楽しそう、と思わせるタイプだと思う。
 うずうずする。──誰かと話して同意して欲しい。

(シャロン──って、そういうわけにもいかないわね。シャロンは絶対、透くんをお買い物付き合わせてると思うのよね……。どんなか聞きたいのに)

 仕方ない、家に帰ってコナンと話をしよう。勝手に安室を見に見に行ったと知ったら怒るかもしれないが、あの子だって誰かと安室の話が出来るなら、嬉しいに決まっている。
 帰って、コナンと話をして。お誕生日も改めてちゃんとお祝いしよう。
 そう決めて、ショートケーキを食べてしまう。

「とっても美味しかった。愚痴も、聞いてくれてありがとう」
「とんでもない。こちらこそ、勝手なことを色々言って、申し訳ありませんでした」

 微笑む安室に、にっこりと笑みを返す。

「いいえ。楽しかったわ。──息子に欲しいっていうのも、嘘じゃないのよ」

 有希子の言葉に安室は目を丸くしたあとで、「ありがとうございます」と笑った。




 工藤家に戻ると、コナンが来ていた。
 迎えに出てきたコナンは有希子の変装を見て、目を丸くする。

「か…有希子お姉さん、どうしたのその格好」
「ポアロでお茶してきたの!」
「はっ!?」

 怒られる前に、変装を落としてくると引っ込む。着替えて居間に行くと、沖矢と、むすっとしたコナンが待っていた。
 あらあら、と苦笑する有希子に、沖矢が「コーヒーをいれてきますね」と立ち上がる。
 礼を言って、コナンの隣に座る。

「久しぶりね、新ちゃん。なに怒ってるの?」
「……何で勝手に安室さん見に行ったんだよ」
「あら、新ちゃんの許可がいるの? 透くんのケーキ食べたかったんだもの。美味しかったわ」
「余計なことしなかっただろうな」
「余計なことってなにかしら」

 わざとらしく、視線をそらす。
 そらした視線の端。たまにしか帰らないが見慣れている自宅の居間の一部にふと違和感をおぼえて、有希子はそちらに目を向けた。
 ──棚の上の、有希子が用意した覚えのないグラスに、無造作に花がさしてあった。
 赤い、花だ。

「余計なことは余計なことだよ。この間も笑ったりするから──」
「新ちゃん」
「あ? 何……」

 有希子は立ち上がって、グラスに飾られた、赤い花を手に取った。
 造花のカーネーション。さっきポアロで見たのと、同じものだ。
 そっと、でもしっかりそのカーネーションを握りしめて振り返る。

「新ちゃん! これなあに?」
「え」

 コナンは目を丸くして、カーネーションを見ると、パッと気まずげに顔をしかめた。

「何って……造花じゃないの」
「カーネーションでしょ!? 新ちゃん、これ、私のよね!?」

 歯切れの悪い言葉にもどかしくなって、ずいっと顔を近づけると、コナンはもごもごと口ごもる。

「知んねーけど……ここんちにあるなら、そうなんじゃない」
「もー! そうじゃなくって、これは新ちゃんが私に、作ってくれたのよね? そうでしょう? 知ってるのよ、ポアロで見たんだから! 学校で作ったんでしょ!」
「げっ……いや……まあ、そうだけど……」
「母の日に!」
「……あー、そうだよ! そーですけど! 何か悪いかよ」
「悪いわよ! 私にくれるんだったら、こんな、何も言わずに飾っとくなんてことしないで、直接渡してくれないと! お母さん大好きって言って」
「誰がそこまでするか!」
「そこまでしなくていいから、ほら、ちゃんと新ちゃんからちょうだい。ほらほら」

 カーネーションをコナンに握らせる。
 はいどうぞ、と姿勢を正すと、コナンは顔をしかめて、ため息をつき、しぶしぶという態度で、有希子に差し出す。

「はい。……いつもありがと。……あと……心配かけて…ごめん」

 可愛くない。
 可愛くないところが物凄く可愛い。
 有希子と優作の息子は、やっぱりパーフェクトだ。
 有希子はカーネーションを受け取って、小さくなった息子ごとぎゅうっと抱きしめた。

「ありがとう新ちゃん……! 大好き!」

 ぐえっ、と腕の中で可愛くない悲鳴があがる。

「知ってるっつの……!」

 当たり前のように返された言葉に、口元が緩む。
 欲を言えば。リボンでもつけてくれたらもっとプレゼントっぽくて良かったし、そもそも飾っていたグラスは台所から適当に持ってきたもので可愛さの欠片もない。
 こういうところ男の子は気が利かない……と頭の片隅で思ったが、そんな素っ気なさだって可愛い。
 そういえば、ポアロの一輪挿しは可愛かった。他に花は飾っていなかったから、あのお花のために誰かが用意したのだろう。安室だろうか。

「嬉しい。もう、ポアロにお花があったから、新ちゃん私にはくれないのかと思っちゃった」
「はあ? あー……あれは、持ってるとこ見られたし、この前ごちそうしてもらったから御礼に一つ渡しただけだよ」
「……そうなの」

 御礼に、とカーネーションをもらった安室を想像する。
 さぞ、微妙な気分になっただろう。有希子は心の中で安室に謝罪した。

(あの時あんなこと言って、透くん傷ついちゃったかもしれないわね……ごめんなさい。この子深く考えずに行動することがあるのよ……)

 仕方ない子だと、腕に力を込めると、「もう放してよ」と文句を言われた。
 キッチンから戻ってきた沖矢が二人を見て笑う。

「おや、仲良しですね」
「そうよ。仲良しなのよ! ねー、コナンちゃん」

 ちゅっとやわらかい頬にキスしてやる。お手入れはちゃんと続けているようだ。
 コナンはぎゃあと悲鳴をあげた。

「はーなーしーてー!」
「やーよ!」
「コーヒーをどうぞ」
「ありがと、昴ちゃん」

 有希子はコナンを抱っこしたままソファに座り直して、沖矢に自慢する。

「見て見て、昴ちゃん。コナンちゃんに母の日のお花もらっちゃった」
「やっぱり、有希子さんに渡したかったんですね。数日前に、ここに飾っておくんだって、持ってきたんですよ」
「そうなの? もう。受け取れたから良かったけど、次いつ来るかわからなかったんだから、送ってくれたら良かったのに」
「ただの紙の造花じゃん……わざわざそっちに送る程のものじゃないでしょ」
「もー、そんなこと言って! まあいいわ。ちゃーんとコナンちゃんのプレゼントを察知して、私は来たわけだから。以心伝心、愛の力よ」
「ほんとかよ……」

 コナンは疑わしげだ。

「ほんとよ! まあ、お誕生日のお祝いも、したかったんだけどね。いっぱいプレゼント持ってきたから、明日はいっぱい着せ替えしましょうね」
「プレゼントって、ミステリーじゃなくてまた服なの!? もういいって……」
「服以外にも、優作から預かってるけど」
「え」
「デートのお洋服決めたら、渡してあげる」
「何それ! デートじゃないし、服はこの前決めたじゃん!」
「何か月前だと思ってるの。季節外れでしょ! 格好にも手を抜かない方が、猫の威力は増すって、この前も言ったでしょう」
「そうだけど……」

 コナンは不満げに口を尖らせた。
 沖矢が同情するような気の毒げな顔でコナンを見ている。まったく、この二人のおしゃれへの関心のなさには困ってしまう。

「でも、まだいつ行くか決まってないし」
「時間があるのはいいことよ。傾向と対策が出来るもの。色んなパターンをいくつか着てみて、当日に向けて、透くんの反応を探ってみてもいいんじゃないかしら」
「……なるほど」

 コナンは有希子の提案に興味を持ったようだ。
 沖矢が呆れた顔をしているが、無視だ。有希子はしれっと話を広げる。

「今度何見るか決めるって話してたけど、もうプランは決まったの?」
「パンダとハムスター。ねえ、動物園でパンダ見る時とハムスター見る時に攻撃力が上がる格好ってある?」
「あるわよ」
「……あるんですか」

 沖矢が思わず、という感じでつぶやく。有希子は力強くうなずいた。

「もちろん! 白黒メインでコーデするとか、ふわふわした生地のお洋服とか、色々出来るわ。見るのは、パンダとハムスターだけ?」
「あとゾウと爬虫類」
「どういうラインナップなんだ」
「お互いの好みと目的を元に駆け引きした結果なんだよ」

 首を傾げる赤井にそう答えて、コナンは有希子を見上げた。

「ゾウと並んで可愛く、サンドイッチを食べて可愛く、爬虫類館にいて可愛く見えるやつがいい」
「ボウヤは無茶を言うな……」
「全方位攻撃よりも、ここぞ、というところを一点集中して狙った方がいいわよ。具体的には、デートの後半。前半はそこへ向けての蓄積ね」
「後半……爬虫類か、最後に見るやつだけど、最後はまだ決めてない」
「あらじゃあ、まずそれを決めたら?」
「んー、でも最後は二人で決めようって約束したんだよね。後で安室さんと話しとく。あ、それより、か…有希子お姉さん。爬虫類館みたいな全然可愛くないところで出来るアピールってなにかある? 相談しなきゃと思ってたんだ」
「爬虫類館ねえ」
「両生類もいるって」
「……なかなかにどうでもいい情報だな」

 赤井がちょいちょい、ツッコミを入れるが気にしないことにする。

「コナンちゃんは、どう思うの?」
「え? まあ、ありがちなのは、『蛇怖ーい!』とか……? でもオレ別に蛇怖くないし、キャラじゃねーし」
「あら、実際怖いか怖くないかは、関係ないのよ。怖いって主張なんてしなくてもね、こう、ぎゅっと透くんの袖を掴むだけでいいの。そうしたら何も言わなくても勝手に、『強がってるけど怖いんじゃないかな?』って勘違いしてくれるから」
「なるほど」
「有希子さん」

 赤井がたしなめるように声をかけてくる。相変わらず彼は父親のように過保護だ。

「あらなに、秀ちゃん」

 首を傾げると、赤井は咳払いして雑になっていた口調を戻した。

「沖矢です。……若干やり過ぎなのでは」
「あら、こんなの初歩の初歩じゃない」
「あ、そうだ」

 コナンは何か思い出したように顔をあげ、沖矢の隣に移動した。
 大きな目をきらきらさせながら彼を見上げる。

「オレ聞きたいことがあったんだ。ねえ、FBIにも猫かぶりの演技に耐性つける特訓とか研修とか、ある?」

 問われた男の眉間にしわが寄る。

「……も、とは?」
「公安は、特殊な訓練をしてるから、ボクの猫かぶりが通じないんだって。どんな訓練してるか知りたいんだけど、安室さんも風見さんも教えてくれねーんだよ」
「……私は日本の大学院生なので、アメリカの連邦捜査局についてはよくわかりません」
「なにそれ、けち!」

 FBIなんて知りません、という顔でそっぽを向く沖矢と、その腕をつかんで揺さぶるコナンに、ふきだしてしまう。

「……有希子さん」

 助けて下さい、と顔に書いてある。安室とはまた違った、可愛い困り顔だ。
 可愛いもう一人の「息子」に助けを求められては動かないわけにはいかないと、有希子は立ち上がると、コナンを抱き上げた。

「はいはい、いったん相談は中断。そろそろお夕飯の準備しましょうか。──今日はお誕生日とお花の御礼に、なんでも美味しいもの作るわよ!」

 コナンは不満げな顔をしたが、時計を見てこんな時間かと、抗議を諦めて大人しく沖矢から手を離し、有希子を見上げた。

「今日はどこか食べに行けばいいんじゃない? 帰ってきたばっかりで疲れてるでしょ」
「あら、優しい。でも今日は、お母さんっぽいことしたい日なの!」
「ええ……? 何でそんな……いや、あの花ほんとに図工で作っただけなんだけど……。そんなに喜ばれたら逆に申し訳ないっていうか……」
「お馬鹿さんねぇ」

 まったく、わかっていないのだから嫌になってしまう。
 でも親の気持ちなんて、子どもは知らないくらいで丁度いいのかもしれない。

「いいのよ! リクエストがないなら、今日は特製のビーフシチューを作りましょう」
「お手伝いします」
「いいの? ありがとう、昴ちゃん」
「勿論です。──私は母の日に何も出来ていませんから。お手伝いくらいさせて下さい」

 ふふっと有希子は笑った。
 こうして余計な気遣いをせず有希子を母扱いしてくるところが、赤井の赤井らしいところだ。その方が有希子が喜ぶことだって、彼はちゃんと知っているのだ。

「じゃあ遠慮なく。コナンちゃんも。気になるならお手伝いして」
「いいけど……」
「お手伝いが嫌なら、今夜一緒に寝てくれるのでもいいのよ? そっちにする?」
「はあ!? やだよ! 恥ずかしい!」
「冷たいわね。……じゃあ、これはどう? 秘蔵の『ホームズのお話ひとつ読んであげる券』を使うから、私が寝るまで枕元で本を読んでくれる? 時差ボケで眠れないと嫌だもの」
「なっ」

 コナンが目を大きく見開いた。
 丸い頬がみるみるうちに真っ赤になる。

「ホ……って、何でそんなもん取ってあるんだよ!」
「だって、私の宝物だもの」
「おや、それは何ですか? 素敵なチケットですね」
「昴ちゃんも欲しい? ダメよ、私のだから。欲しかったら、今度お誕生日にでもねだってみたら?」
「そうします。俄然誕生日が楽しみになってきました」
「ちょっ……か、有希子おばさん! 余計なこと言うなってば! だいたい! ホームズを寝物語にしようなんて何もわかってねー!」

 ホームズ読んでるのに眠くなるわけないだろ、とわめく息子を、笑いながら抱きしめる。

「昴ちゃんのお誕生日、楽しみね。そうだ、明日はコナンちゃんの誕生日ケーキも焼きましょう。透くんのケーキには負けないんだから!」

 とりあえずは、今日の夕飯だ。
 有希子はカーネーションを大事に、テーブルに置いた。
 二人の息子と──いつかもう一人も入れて、料理が出来たらいいなと思う。
 コナンと沖矢と安室──いや、新一と赤井と降谷と、揃って料理をしたり、買い物に行くのがいまの工藤有希子の夢だ。優作がいればパーフェクト。
 そのためには、色々解決しなければならない問題が山積みかもしれない。でも、優秀な息子が、丸っとしっかり解決するから、大丈夫。なにせ彼には、優作だって有希子だって、ついているのだ。
 だから安室も安心して、子猫にほだされるといい。

「透くんを落とすために、頑張りましょうね!」
「何で母さんが気合入れてるんだよ……」

 小声でぼやくコナンを抱えて、有希子は足取り軽くキッチンへ向かって行った。