立派な猫を極めたい




 土曜日。学校の授業が終わってすぐ、探偵団の面々の誘いを「ごめん」と断って、コナンは足早に帰宅した。
 今日は安室と出かける日だ。
 学校を出る時にスマホを見たが、駄目になった、という連絡は入っていなかった。
 事務所へあがる前にポアロをのぞくと、安室が気づいて、「後でね」と手をあげる。──大丈夫そうだ。
 コナンは「よし」と気合を入れて事務所のドアを開けた。

「おじさん、ただいま!」
「おー」

 小五郎は一瞬顔をあげたが、また新聞に戻る。コナンはそのまま毛利家に上がった。
 蘭はまだ帰宅していないようだ。
 出かけるのはお昼を食べてから。昼は安室が持ってきてくれることになっている。

「今日はぜってー負けねぇからな」

 小五郎が聞いたら、何しに行くんだお前ら、と呆れそうだが、これはコナンにとっては間違いなく、勝負なのである。

(まさか、可愛くない服を着せて攻撃力を下げる狙いとはな……)

 させてなるものかと拳を握り、ボクには可愛い服が似合いますよ、と主張するためのふわふわ白いパーカーに着替える。
 これで軽く上着を羽織れば支度は終了だ。
 安室は、誤解だ、とかなんとか言っていたが、コナンはその言い訳に納得していない。ちゃんと、今日の作戦は立てているのだ。



「だからね、誤解なんだよ」

 小五郎からまんまと軍資金をせしめた安室は、翌日ポアロの前でコナンをつかまえて、そんなことを言った。
 コナンは目をすがめて安室を見上げる。

「何が誤解なの。だって、昨日みたいな服は駄目だって、おじさんと話してたじゃん」
「うん、でもそれは口実っていうか……」
「口実でも、買った服はおじさんに見せないといけないでしょ」
「それはそうだけど……。いや……うん。昨日心配してるって言ったのは本当なんだ。あんまり可愛すぎる格好は危ないんだよ。昨日みたいな服じゃなくても、コナンくんに似合う服はいっぱいあるだろ?」

 やっぱり、可愛い服を阻止しようとしているではないか。
 コナンはさらに目を細めて安室を見る。

「普通の日は、わかったよ。でも、動物園は安室さんと行くんだよね? 安室さんが一緒なのに危ないことってある?」

 安室はぐっと言葉に詰まった。

「無いよね。だいたいさっきの、可愛すぎるとか、そういう心にもないことはあんまり気軽に言わない方がいいと思う」
「心にもない?」
「そうだよ。ボクと大尉が手ぇ振っても、しらっとした顔で見てたくせに」
「……笑顔だったよ」
「嘘だ、すんってしてたもん。前の犬の時と、全然反応違ったし。……やっぱり安室さん犬派なんだ」

 昨日、大尉を抱えて手を振って見せた時の、何とも言えない微妙な笑顔を思い出す。店で猫の真似をした時も「何だこいつ」という顔をしていた。

「それなのに、猫の服を気軽に可愛いとか言ってさ」
「昨日僕は、猫も好きだって言ったと思うんだけど」
「言ってたね。それで、ゾウも好きでパンダも好きなんでしょ」
「コナンくん……人を気の多い男みたいに言わないでくれ」
「爬虫類も両生類も好きなんだ」
「……その通りだけど」
「それで、一番は何が好きなの?」
 じいっとにらむと、安室はそれはそれは、困った顔をした。

「……ええっと」

 その時、店から梓が顔を出した。

「安室さん! 外の掃除はいいので中手伝ってもらえませんか?」
「あ、はい」

 安室は慌てて立ち上がる。
 答えが得られるとは思っていなかったので、ため息をついてそのまま解放することにする。
 じゃあね、と事務所に向かうと、待って、と声をかけられた。

「なに?」
「ずっと言っているつもりだけど、コナンくんを可愛いと思ってるのは本当だよ」

 それは、わかっている。一応、だが。
 しかし、コナンが求めているのは一般的な評価ではないのだ。
 特殊な訓練とやらをしていても太刀打ち出来ないような威力と、反応を欲しているのである。
 たとえ本当に可愛いと思っていても、取り繕えるようでは駄目だ。

『演技だとわかっていても、可愛いからしょうがないなあって思わせてこそ、真の猫かぶりというものよ』

 そう、母も言っていたではないか。

(うん。ちゃんと極めてみせる)

 当初から随分目的も目標も変わってしまったが、動物園に行くのはそのための大事な一歩なのである。
 そして、土曜日のお出かけはそのために気の抜けないイベントなのだ。

「土曜日、負けないからね!」



 そうして、本日というわけだ。

「じゃあ、コナンくんのことよろしくお願いします」
「はい、お任せ下さい」
「安室くんに迷惑かけんなよ?」
「はあい」

 昼食後、毛利親子に見送られ、コナンは安室と一緒に事務所を出た。
 近くに停めた安室の車に乗り込み、シートベルトをつけながらたずねる。

「今日、どこ行くの?」
「いつもお店の買出しに行くところの近くに、アウトレットモールがあるんだ。そこにね」
「安室さんは、いつもそこで買い物してるの?」
「うん」

 嘘か本当か、横顔からはわからない。
 まあ、店の買出しついでに私物の買い物をしている、というのは、忙しいこの男ならあり得る話な気がする。

(昔一回行っただけだから、どんな店入ってるかは知らないけど。……安室さんがいつも着てる服みたいなの売ってる店か)

 チラリと運転席の安室を見る。
 安室の今日の格好は、見慣れた、いつもとそう変わらない普段着だ。
 ──子どもと買い物に行くのに、気合もなにもないのかもしれないが、ちょっとくらい違いがあってもいいのではないか。
 気合を入れてきた自分が馬鹿みたいだ。

(まあ、仕事あがりだし……)

 コナンが着替えられたのは、一度自宅に帰った、というか、そこが集合場所だったからだ。

「──コナンくん、今日は初めて見る格好だね」

 安室にそう言われて、さすがに気づきはするかと少しばかり機嫌が直る。

「うん」
「それも、動物園コーディネート候補から漏れたやつなのかな?」
「そうだよ」
「それもよく似合ってると思うけど。うーん……白い服だと汚れた時に目立ちそうだから、かな?」
「正解」
「確かに、イグアナと遊んだら引っかかっちゃいそうな生地だもんね」
「ちょっと待って、ふれあいコーナーはハムスターだってば! ……いや、待てよ。月が変わってるからスケジュールも変わったんじゃ」
「そう、来月の一時はイグアナだ」
「……ふれあいコーナーに行くタイミングの変更を提案します」
「いいよ」

 安室はあっさりと答え、面白そうに笑った。そこで気づく。

「来月、行けるの?」
「うん。ごめんね、何度も」

 ようやくか、と思うとドキドキする。しかし、期待し過ぎは禁物だ。
 深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

「それは、実際動物園にたどり着いてから、言った方がいいんじゃないかなぁ」
「……確かにね」

 そうだ。次の約束が、確実に実行されるとは限らない。これまでの経緯から言ってもそうはならない可能性はそこそこ高いはずだ。
 でも、と安室は熱心に言う。

「今度は、絶対。邪魔が入らないように根回ししてるから」
「知ってる? 安室さん。そういうのね、言い過ぎるとフラグになるんだよ」
「……はい」

 ちょっと元気がなくなったように見える安室に、慌てて言う。

「えっと、別に、行きたくないとか、どうせ行けるわけないとか思ってるわけじゃなくって。行きたいけど、無理はしないでねってことなんだけど」
「無理はしてないよ。元々誘ったのは僕だし。先生にはこの前、次駄目になったら俺たちが連れてっちまうからなって脅されちゃったからね」
「おじさんが?」
「うん。先生は、コナンくん可愛がってるよね」
「いや……どうだろ」

 いきなり押しかけてきた居候、しかも手のかかる子どもだ。寝室も半分取られているわけで、迷惑に思われている気がするが。

「それにしても」

 安室がふっと、何か思い出したように笑った。

「この間。先生には君の猫、全然効いてなかったね」

 コナンは顔をしかめた。
 先日小五郎のところに今日の外出許可を取りに来た時のことだろう。
 めいいっぱい子どもぶって庇護欲をかきたてようとしてみたのに、小五郎ときたら全くいつも通り。その上どうでもいいとばかりに鬱陶しげに振り払われたのだ。
 もっとも、元々小五郎は、コナンがどんなに猫をかぶっていても「余計なことをすんな」「邪魔だ」と拳骨を落としてくる人だ。それに、コナンがわざとらしく猫をかぶっていても引っかからないというだけで、ちょっとしゅんとして見せると「しょうがないな」と言ってくれるのだが。

「言っとくけど、おじさんには安室さんの顔も効いてなかったからね!」

 まるで効いていないかのように言われるとしゃくだ。安室だっていつもの困り顔が効いていなかったくせに、と言い返すと、安室は肩をすくめた。

「それはそうだろうね……僕は君と違って、ちゃんと狙いをしぼっているから」
「は? 何それ」
「君のその猫は、僕だろうと毛利先生だろうと梓さんだろうと、目暮警部だろうと高木刑事であろうと、その辺にいる人誰であろうと、みんなに発揮されるものじゃないか」
「……処世術のひとつだって言ったじゃん」
「そうだね。それも、わかってるよ」

 安室は苦笑して、車を止めた。いつの間にか、目的地に着いていたようだ。

「じゃあ、買い物を楽しもうか」



 土曜の午後は、人が多い。
 アウトレットに向かう人の群れを目にすると、急に面倒臭くなってきた。元々、ファッションに興味があるわけではなく、買い物も意地のようなものなのだ。

「はぐれないようにね。あと、叫び声とかしても、一人で走っていかないように」
「はあい」
「本当に大丈夫かな……」

 安室はふと、すれ違った親子に目をとめる。一歳か二歳くらいの子どもにつけられたハーネスに注がれた視線に、コナンは慌てて手を差し出す。

「迷子にならないように、手ぇつなご!」

 安室は目を丸くした後、苦笑してコナンの手を取った。

「そう心配しなくても、君が対象年齢から外れてることは承知してるよ」
「でも安室さん、前に首輪がつけられたら楽だって、言ってなかった?」
「──楽だけど、君には似合わないって言ったんだよ。あの可愛らしい紐もね。……っていうか」

 安室は顔をしかめてコナンを見た。

「そういえばあの時、興味あるって言ってたけど……」
「ああ、うん」

 うなずくと、安室はますます顔をしかめる。

「どういう意味かはわからないけど、あまり気軽にああいうことを言わないように」
「どういう意味って、そんなもの一つでこっちに集中するなら簡単だなって、思っただけだよ?」

 コナンはしれっと答えた。つないだ手から腕に、首に、そして顔にと視線を上げて、安室の目を見る。

「ボクに似合わないっていうなら、安室さんつけてみる? 似合うんじゃない」

 にこっと笑うと、安室もにっこりと笑った。

「君は、人に首輪をつけて回るのが趣味なのか?」

 何それ、と言いかけて、もしかして昴の変声機のことを言っているのかと気づき、すっとぼける。

「何のこと? ボク、わかんない」
「……まあいいけど。僕は、首輪をつけられるのはごめんだよ」
「じゃあ、安室さん手で我慢してよね。──買い物行くんでしょ。行こ。安室さんの服から見る?」

 手を引いて歩き出すと、安室はため息をついて答えた。

「──君の服からだよ」
「あ、じゃあ」

 コナンは足を止めた。

「まずちょっと見て欲しいんだけど」

 スマホを取り出すと、安室は目を丸くした。

「……見せてくれるんだ?」
「着せ替えいっぱいするよりはいいかなって」

 動物園に行く服を今日買うなら、これを見られてもあまり影響はない。むしろ、着せ替え人形回避のために積極的に見せるべきでは、と思ったのだ。
 二人はモールの中のベンチに並んで座り、顔を寄せる。

「これは、有希子おばさんに買ってもらったやつなんだけど……」

 言いながら、工藤邸でのファッションショーの写真をスクロールする。

「待った待った、もっとゆっくり」
「いっぱいあるからパッパと見ないと終わんないよ」
「そんなにあるのか……」
「そんなにあるんだよ」

 ちょっと貸して、と言われたので素直にスマホ画面のスクロールを任せる。
 先程よりはゆっくりと、しかし予想よりは早い速度で、写真がめくられていく。
 ──ホッとしたような、ムッとするような。

(じっくり見られたいわけじゃないけど、もうちょっとちゃんと見るべきじゃねーの? あ、ほらこの写真とか我ながら可愛いと思うんだけど)

 ちらりと見上げると、安室はたまに口元に笑みを浮かべながら、しかし真剣に写真を見ていた。

(……まあいいか)

 今日は、服を選びにきたのだ。そして今日の目標は、可愛い系を回避せんと目論む安室の野望を挫くことである。
 そのための作戦は、立ててきた。
 まずはいまの格好。この格好を見れば、服屋の店員がそっちに寄せたものを持って来るだろうし、その方が似合う、と援護してくれる可能性が高い。安室だって、目の前のこれより似合わない服は、心情的に押しつけにくくなるだろう。
 そして、もう一つ。

(昴さんと撮った写真は他に移しといたけど、オレだけで撮った、昴さんコーディネートのちょっとカッコイイ系の奴は残しておいた。──オレの読みが正しければ、これが効くはず)

 梓とのやりとりは聞いていたはずだ。ならば薄々察しをつけているだろうし、そうすれば、他と明らかに傾向が違うこの写真が何かもわかるはずだ。「誰かさん」が見た服を嫌がった安室が、似たようなコーディネートをすすめてくる可能性は、限りなくゼロに近くなる。

(どうだ……?)

 ドキドキと見守る。
 安室は「すごいな」「これ可愛いね」「……ねえもしかしてこれが梓さんが僕の好みじゃないかって言ってたやつ?」などと言いながら写真をスクロールしていき、目当ての写真までたどり着くと、手を止めた。
 コナンはごくりと唾を飲み込んだ。
 じっと、昴コーディネートの写真を見て、安室はにこっと笑って顔を上げた。

「これは、ちょっといままでのと傾向が違うみたいだね」
「うん。そういうのもいいかもねって、試してみたんだー」
「これも、君のおばさんが?」

 コナンは斜め上に視線をそらした。

「まあ、ね」

 曖昧な答えに、安室は目を細めた。

「……ふうん」

 そして、それが最後の写真だと確認すると、逆方向にゆっくりスクロールしていく。

(この反応はどうなんだ……? やっぱ昴さんをにおわせたのはまずかったか……?)

 しかし、それがカッコイイ系を選択肢から消す確実な方法だったのである。

「──君の意図するところは、なんとなくわかったけれど」

 安室は口を開き、淡々と言った。

「方向性は、二つじゃない。山ほどある。……たとえば小学生らしく、戦隊ヒーローもののトレーナーを買うとか」
「小五郎のおじさんと同じこと言わないでよ」

 安室は口を閉じた。若干ショックを受けたようだ。少し間を置いて、咳払いして続ける。

「……とにかく、服なんていろんな選択肢があって、君が動物園に何を着て行くかの選択権は僕にあるんだ」
「え。いつの間にそんな大げさな話になったの」
「嫌だな、コナンくん。最初からそうだったじゃないか」
「動物園に着て行く服を買いに行こうっていうだけで、それを実際着るか着ないかは、ボクの意思だと思うけど」
「わざわざこの日のために、買い物に来たのに? それに、せっかく先生がお金を出してくれたのに」

 わざとらしく嘆く安室に顔をしかめると、安室はため息をついた。

「とにかくね、おかしな服を押し付けられたくなかったら、余計な小細工をしないように」

 そう言って、安室は行くよ、と立ち上がる。

(機嫌悪ー……)

 そこまで昴が嫌いか。ちょっとにおわせただけだろう、とムスッとしながら、しかし、わかっていて地雷を踏みに行ったのはやっぱりやり過ぎだったかと、少し反省する。
 さすがに嫌われたかもしれない。
 二人は無言で、エスカレーターで上の階にのぼる。三階まであがって、安室はようやくコナンに目を向け、ため息をついた。

「……君、わかっててそういう顔してるの?」
「そういう顔って、何」

 安室は通行の邪魔にならないように少し脇に避けて、しゃがんでコナンの顔を覗き込んだ。

「君はずるいな」
「だから、何……」
「別に。──ところで、ハイ。ケータイ返しておくよ」
「あ」

 写真を見せた後、ここまで安室のポケットに仕舞われていたらしい。

(エレベーター上がる間に何かされたってことはねーよな?)

 ない、と思うが何か仕込まれていないか後で灰原に確認してもらおう、と頭の隅に記憶して、スマホを受け取って仕舞う。

「さて、君の服だけど。僕の希望をいくつか述べておこうか」
「うん」

 一体どんな希望が出てくるかと姿勢を正すと、安室は大真面目に条件を上げ始めた。

「まず一つ。ズボンは必ず長いものにすること。膝丈論外。二つ、フード不可」
「何その条件」

 思わずつっこむと、安室は真剣に答えた。

「さっき君が着ていた服だけど、不必要に膝が露出していたり、妙にフードが多かったり、安全性に問題があるものが多い」
「安全性」
「転ぶと膝を怪我するだろう。それに、飛び下りたりした時に、フードが引っかかったら首がしまる危険がある」

 ものすごく真っ当に安全性の話である。

「転ばないし、飛び下りないよ、普通」
「君の場合は信用ならない。本当に、駆けない、つまづかない、飛び下りないと約束出来るの?」
「……」
「ほらね。紐付きも駄目。理由はフードと同様。写真の十七枚目に、ポンポンがついた服があったけど」
「え? ああ、うん?」

 何枚目だかは記憶にないが、確かにポンポンというか、房飾りのついた服があった気がする。

「あれも駄目。危ないから。あとすその長い服も、踏みつけて転ぶ可能性がある」
「転ぶわけないでしょ! それに、フードはお得なんだよ。急に寒くなった時とか」
「その時は僕が何か……ストールとか貸してあげるから」
「ええ……」

 荷物じゃないのか。それにストールだってある意味紐状なのだが。
 しかしそこで、有希子の言葉を思い出す。
 薄着で行って、夕方寒くなったら上着を借りる、というあれだ。サイズが違うだろうと昴につっこまれていたが、何か借りる、というのはもしかしたら効果的かもしれない。

「……まあいいよ、フードつきじゃなくても。ついでにズボンの長さもどうでもいいよ」

 膝は出していかなきゃ、と有希子は言っていたが、安室が小学生の膝にグッとくるタイプでも困る。いや、有希子は全体のバランスのことを言っていたのだったか。上半身がもこもこしがちだった影響だった気がする。

(これはもこもこを封じられたか……?)

 そんなことを考えながら、「よし、じゃあ行こう」と安心した様子の安室に手を引かれて、店に入る。
 ごくごく、一般的な子供服の店だ。
 安室はにっこりと微笑んだ。

「じゃあ、さっきの条件に引っかからないものを一通り着てみようか」

 コナンはぎょっとする。

「着せ替えは三回までって、ボク言ったよね!?」
「勿論、その努力はするけど……ああ、このお店、服の種類が多いなぁ。困ったね、やっぱり何が似合うかは、着てみないとわからないよね」
「さっき色々見たでしょ?」
「うーん、見たかな……あんまりにも危険な服が多くて気になって、細部に意識が行かなかった」
「ろくに見てなかったってこと? ひどい」
「あ、赤は避けた方がいいかなっていうのはわかったよ」
「それは安室さんの好みじゃん!」

 店先でぎゃあぎゃあと騒いでいると、店員に声をかけられた。

「何か気になるものがあれば、ご試着も出来ますよ~」

 店員は振り返った安室を見て、パッと顔を赤らめた。わかりやすい。

「すみません、えっと」

 安室はにっこりと微笑んだ。そして、少し困ったような顔でコナンに目をやる。

「ありがとうございます。実は、色々試着してみたら? って話していたんですけれど、お店の人に悪いからって、遠慮しちゃって」
「はぁ? ──ムグッ」

 叫びかけたところを、取り押さえられて口をふさがれる。

「こら、お店で大声出しちゃ駄目じゃないか」
「遠慮しなくてもいいのよ? たくさん試着しましょ。ちょうど試着室もあいているし……あら、ボウヤとっても可愛いわね」
「そうなんですよ」
「……ハハ。どうもありがとう……」

 まじまじとこちらを見る店員に、苦笑して答える。母より少し年上くらいの女性店員は、安室とコナンを交互に見て、にっこり笑った。

「是非色々着てみて下さい」



 女性が安室の味方についた時点で、コナンの負けは見えていた。
 ああだこうだと引っ切りなしに持ち込まれる服を着て、写真を撮られ、また着替え……何回着替えたか数えるのが面倒になったあたりでようやく、これでいいかと安室が納得した。
 安室が選んだのは至極シンプルなシャツとベストとカーディガンだ。後は転んでも怪我しない、と売り込まれたズボン。
 もはや、自分の目指す方向がどうとか、そういう抵抗をする気力がなかった。完全に負けだ。
 ぐったりしてすすめられたソファに座り、包装を待つ。

「……安室さんああいうのが好きなの? ちょっとシンプル過ぎない?」
「あんまり装飾過剰なものより、シンプルな方がいいんだよ。店員さんだって、賛成していただろう?」
「……そうだけど」

 実際、着てみたらオプションの多い服より顔が引き立つというか、顔に目が行く気はした。他に目を引くポイントがないから当たり前かもしれないが。

「君はせっかく、元がいいんだから、服まで可愛くする必要はないよ」

 ストレートなほめ言葉にぐっと言葉に詰まる。

「……いや、なんか適当に言ってない?」
「そんなことないよ。君は本当に、自信があるんだかないんだか、よくわからないな」
「元が悪くないのは知ってるけど」
「その調子その調子」
「でも……安室さんに言われてもなぁ……」

 自分とも、父とも、赤井とも異なる方向に整った男の顔を見上げると、安室は苦笑した。

「それは褒め言葉と受け取っていいのかな」
「それ以外に何があるの」

 安室はふっと嬉しそうに笑った。

「そうだった。コナンくんは僕の顔が好きなんだった」

 うぬぼれんな、とべしっと叩いてやると安室は笑った。丁度良いタイミングで店員に呼ばれ、安室が立ち上がる。
 コナンはこっそりと、赤くなった頬を押さえる。

(腹立つな、もう)

 店員には笑顔で礼を言い、二人は店を出た。安室は時計を見る。

「さて、ケーキ食べに行こうか」
「え。安室さんの服は?」
「うーん……コナンくんの買い物が楽しくって、思ったより時間使っちゃったから……」

 若干わざとらしい困り声に、ピンとくる。これは自分の服を買うのを回避する気だ。
 すかさず抗議する。

「駄目だよ! 安室さんの服も買わなきゃ」
「でも、そうしたらケーキか本屋、どっちか行けなくなるよ」
「いいよそんなの。この間おじさんにも、ケーキとかお菓子とかあんまり食べるなって言われたし。安室さんの服見なかったら話にならないでしょ! それに、さっきから気になってるんだけど」

 コナンはビシッと安室を指さした。

「折角遊びに行くのにボクだけ張り切ってるのおかしい。安室さんも、もう少し気合入れて!」
「──ハイ」

 安室は気圧されたようにうなずいた。
 コナンも満足してうなずく。

「よし。どこ行く? ここにいつも服買ってるお店があるの?」
「あー、うん」
「何階?」
「……一つ上」
「じゃあ行こう」

 今度はコナンが安室の手を引いて進む。
 あれだけやりたい放題着せ替えさせられたのだ。やり返さねば気が済まない。

 一つ上の階は、紳士服の売り場が多い階のようだった。
 慣れぬ空気に少し速度がゆるむ。親子連れや若い女性の多かった下の階と違い、ここの階は男性か、夫婦ばかりで、気のせいか少し静かだ。

(家族連れどこ行った。男の買い物には子どもは付き合わないもんか?)

 新一の頃には、優作の買い物にはよく付き合ったものだが。いや、あれは有希子に無理矢理連れていかれていただけか。

「……安室さんの行くお店どこ?」

 たずねると、安室はその奥かな、とコナンの手を引いて歩き出した。
 学生──新一くらいの年の子が着るような服を売る店から、少し年齢層が高くなり、スーツを売る店も見える。

(あ、ここ親父のスーツと同じブランド。こんなとこにも入ってるんだ)

 通り過ぎかけて、コナンは足を止めた。つられて安室も足を止める。

「どうしたの? ここはスーツのお店だよ」
「……ねえ安室さん。安室さんは、スーツ着ないの?」

 安室は非常に微妙な顔をした。
 わかっている。安室透は、スーツなんて着ないだろう。スーツを着るとしたら、この男がバーボンか、あるいは本来の仕事についている時。それは、わかっているが……見たことがないので、見てみたくなったのだ。

「今日は動物園行く時の服買うんだろう」
「そうだけど、動物園にスーツ着て行っちゃいけないって決まりはないでしょ」
「ないけど、普通はスーツじゃ行かないだろう」
「そうかもしれないけど……」

 見てみたい。安室と服を買いに来るなんて、滅多にない、もしかしたらもう二度とないかもしれない機会なのだ。

「ボク見てみたいな。ダメ?」

 駄目元で上目遣いにおねだりしてみる。安室はにっこり笑った。

「──駄目」
「えー」
「買うつもりもないのに試着なんて迷惑だろう」
「買えばいいじゃん。お金はあるんでしょ?」
「君に使うお金はあるって言ったんだ。子供服とスーツは違う」
「そりゃそうだけど。ちょっとだけでも、駄目? 探偵さんのお仕事にも、スーツは要ると思うなぁ」
「駄、目」

 安室はコナンを片手で抱えると、歩き出す。そして二つ隣のカジュアルな店に入った。

「はい、ここだよ」
「……いつもと同じじゃん」
「いつも服を買っているお店って言っただろ」
「……安室さんはボクのあんな格好やこんな格好を見ておいて……」
「人聞きが悪いな。僕がどんな服着てたっていいだろう。そんなに変わらないよ。自慢じゃないけど、どんな格好してもそれなりに見えるんだよ僕は」
「知ってるよ。でもいつもと違う格好が見たいんだもん」
「趣旨が変わってないか?」

 つっこまれて、正直に言う。

「僕があれだけ着せ替えされたのに、安室さんはしないのずるい」

 安室は額を押さえた。

「……わかった。この店でどんな格好でもするから、スーツは勘弁して。あれは……ちょっと気軽に出来る格好ではないんだ」

 どうやら、どうあってもスーツを着る気はないらしい。本来の格好に近いから、だろうか。──ここは引きどころだろう。

「……わかった」

 コナンはうなずく。
 そして少し気まずげな安室に、ニコッと笑ってみせる。

「いま、どんな格好でもするって言ったよね?」

 安室は、顔をしかめた。

「言ったよね?」
「──ハイ」
「よし」

 コナンは、近くでこちらの様子をうかがっていた若い男性店員に声をかける。

「すみません! 試着出来ますか」
「勿論ですよ」
「……何着ればいいの、コナンくん」

 問われて、コナンはキョロキョロと店内を見回した。誰かの服を選ぶなんて初めてだ。
 コナンは店の中をぐるぐると回って、いくつか目星をつける。

「うん。じゃあまず、これと、あれとあれ!」




 安室の試着を待つ間、ここにどうぞ、と店員が椅子を出してくれた。ぺこりと頭を下げて礼を言う。

「ありがとうございます」
「どういたしまして。いま着替えてるのは……パパ? お兄ちゃん?」
「ううん、どっちでもないよ。ご近所の、お兄さんなの」
「なるほど」

 店員はコナンの答えに納得したようにうなずいた。コナンと安室は、親子にしては年が近いし、兄弟にしては離れて見える。顔も似ていない。どんな関係かと、疑問に思っていたのだろう。

「それにしても、かっこいいお兄さんですねー」
「でしょ」
「──コナンくん、着たけど」

 試着室のカーテンが開く。
 おお、とコナンは手を叩いた。

「可愛い」
「か……いや、サイズ大きいよって言ったじゃないか」

 出てきた安室は若干困り顔だ。
 安室が着ているのは、ややサイズが大きめのニットカーディガンだ。少々肩や袖まわりがダボついているが、それがいい。
 コナンは感心して

「オーバーサイズは効くって、ほんとなんだ」
「誰に何を聞いたんだ……」
「誰でもいいでしょ。──じゃあ、次」

 安室は先程遠慮なくコナンの写真を撮ってくれたが、安室の写真はまずいだろう。じっと見つめて記憶して、次を指示する。
 安室は諦めたように、はい、と答えた。
 次に着せたのは、先ほどコナンが買ったのと似た雰囲気の服だ。

「……」
「コナンくん、何かコメントは?」
「……似合うし格好いい」

 が、お揃いっぽい格好はなんだか恥ずかしい。

(うーん……赤井さんとお揃いもちょっと恥ずかしかったけど……それ以上に何か恥ずかしいような)
「微妙なら次に行こうか」
「び、微妙じゃないよ! もうちょっと見せて」
「はいはい」

 何だか照れくさいような気持ちを押さえて、記憶に残す。

「──いいよ、次」

 そうして何着か、可愛い雰囲気のものやカッコイイ雰囲気のもの、ちょっとラフな感じのもの、フォーマルに近いもの……と着てもらい。
 コナンは感心してつぶやいた。

「何着ても似合うな……」

 試着に立ち会っていた店員が、ぷはっと笑う。コナンの視線を受けて、店員はすみません、と頭を下げた。

「本当にどれも似合ってたね」
「でしょ? どれがいいかなぁ……黒でまとめたのも良かったけど、ちょっと決まり過ぎてるかな……。こっちのピンクの指し色似合うのもびっくりした。ピンクが似合う成人男性とか安室さんくらいだよ。……ねえ、お兄さんはどれが良かったと思う?」

 困って意見を求める。

「そうですねー、ほんとにどれも良かったですが……上を白でまとめたコーディネートが、柔らかい印象で良かったんじゃないかなぁ」
「確かに。ちょっと甘い感じで似合ってた。……うーん、でもボクに白は汚れるって言ってたから、白駄目かなぁ」
「汚れ……どこか行くの?」
「うん、あのね、今度一緒に動物園行くの」
「へえ。それは楽しみだ」
「うん!」

 ジャッといささか乱暴に試着室のカーテンが開く。

「あ、お疲れ様」
「お疲れ様でしたー」
「……どうも」

 何故か疲れたような、少し赤い顔で安室が出てくる。
 狭いところで何度も着替えたから蒸し暑かったのかもしれない。

「安室さん、安室さんはどれが良かった? どれにする?」
「……どれでもいいよ。コナンくん選んで」
「え。困るよ。だって全部似合ってたもん……」
「そうですね、全部お似合いでしたね」
「ね!」

 店員が楽しげに相づちを打つのに、そうだろう、とコナンは頷いた。

 安室が深いため息をつく。

「……じゃあ全部下さい」
「ありがとうございまーす」

 店員はキープしていた服をいそいそと畳み始める。

「あ、最初に着たのはサイズひとつ下のでお願いします」
「駄目だってば、あのサイズがいいんじゃん」

 慌てて抗議すると、店員は安室に目を向けた。

「どうされますか?」
「……そのままでいいです」
「はーい」

 安室は大人しく会計を済ませた。
 服が包まれるのを待ちながら、妙な満足感で足をパタパタ揺らしていると、隣に座った安室がため息をついた。
 一仕事終えた気分なのだろう。着せ替えは疲れるのだ。安室も思い知っただろう。
 会話がない二人に気を遣ったのか、気さくな店員が話しかけてくる。

「満足いくお買い物出来ました?」
「うん!」
「それは良かった。一緒にお出かけするんでしたっけ。楽しみだね」
「うん。あ、ねえ安室さん、どの服着ていく?」
「どれにしようね……」
「ボクの服は、知ってるでしょ。バランスを考えると……あんまりお揃いっぽいのは、うん、ちょっと恥ずかしいから……二番目に着たの以外だったらなんでもいいよ! 楽しみだなー」
「…………ずるい」
「は?」

 急に聞こえてきた低い声に、コナンは目を丸くした。安室は顔をあげると、妙に据わった目でコナンを見た。

「ずるい。僕はあれこれ買いたいのを我慢して、断腸の思いで一組にしたのに。ずるいだろう。コナンくん、下の階に戻ろう」
「は? なんで? 自分で買っておいて何言ってるの?」
「すみません、服、後で取りに来るのでまとめておいていただけますか」
「いいですよー」
「よろしくお願いします」

 安室はにっこり微笑んで、コナンを小脇に抱えて立ち上がる。

「ちょっと待って。どこ行くの」
「だから、下の階だよ。コナンくんの服を買うんだ」
「さっき買ったじゃん! ほら、その袋!」
「もっと買う。──安心して。先生にはうまく予算内の領収書を提出するから」
「ケーキは? 本屋は?」
「ケーキはいいんだろ。本屋は……うん、諦めて」
「嘘でしょ!」
「僕は本気だよ」

 いってらっしゃいませー、という店員の呑気な声に送られて、二人はまた下の階に戻ることになった。



「……何この疲労感」
「本当だね……」

 コナン向けにと、服をもう二セット程買い足され、ショッピングモールを出ると、既にうちに戻らねばならない時間だった。
 荷物を積み終わった車の中で、ようやく一息つく。

「こんなので悪いけど」

 そう言って手渡されたジュースに礼を言って、キャップを開ける。安室も缶コーヒーを飲んで、ふう、とため息をついた。
 そして、ふっとふきだす。

「こんなに買い物したの初めてだな」
「ボクもだよ」

 買い物は、有希子か蘭に無理に引っ張って行かれ付き合わされるばかりだったので、新鮮だった。

(可愛さがアピール出来る服……って感じにはならなかったけど、安室さんで着せ替え出来たし……普段と違う顔も見れた気がするし。まあ、一勝一敗ってことで、いいか)

 冷たいジュースが体に染みる。一気に半分ほど飲んで、喉の渇きを癒し、そんなことも意識せずに買い物に夢中になっていたのかと苦笑する。
 くしゃん、とくしゃみが出た。

「寒い? 暖房入れようか」
「それほどじゃないよ、大丈夫」
「でも日が落ちて冷えたからな」

 安室は後部座席に身を乗り出して、紙袋の中から買ったばかりの服を取り出した。少しためらった後で、歯で値札の紐を噛み切る。

「はい、いま羽織ってるの脱いで、これ着て。こっちの方が少しあったかいと思う。──コナンくん?」
「え。あ、ありがと」

 コナンは慌てて受け取る。
 別に、日頃の安室がしないちょっと乱暴な仕草に見とれたとか、そういうわけではないぞと、ぷるぷると首を振って、手渡された少し厚めのカーディガンに袖を通す。

「……あれ。こんなのも買ってたっけ?」
「それは、コナンくんに似合うかなあって、追加で買ったやつ」
「はあ? いつの間にそんな……」

 ぶつぶつ言いながら、きれいな青のカーディガンを着てみれば、少し袖が長い。

(試着しないからサイズ間違ってるじゃん)

 内心そう思いながら、まあまあ好きな色だと袖を握ると、なるほど、と安室がうなずいた。

「なにがなるほど?」
「確かに、少し大きめのサイズは可愛いなって」

 しれっと言う安室に顔をしかめる。

「……なに、これわざと?」
「そう。──でもコナンくん。多分、君に教えを授けた人は、ワンサイズ大きめがいいって言いたかったわけじゃないと思うな」
「……それはわかってるよ」

 コナンはむうっとふくれた。
 有希子が優作の上着を借りると攻撃力が上がる、というのは、つまり彼シャツ的なあれで、しかし、昴の指摘の通り、安室とコナンではサイズが違い過ぎるのである。

「安室さんが風見さんの上着借りるとか……そういう話でしょ」
「例えが不適切だ」

 安室は顔をしかめ、コナンはふきだした。
 車が発進する。

「──動物園。お弁当はサンドイッチでいい?」
「いいよ。あと唐揚げ食べたいな」
「了解」

 くう、と小さくお腹が鳴る。
 お腹が空いた。さすがに、一切休憩も飲み食いもせずに買い物というのは、この小さな体には負担だったようだ。ジュースを流し込んでなだめるように腹を撫で、ふあ、とあくびをする。

「……ごめん」

 急に真剣なトーンの謝罪が来て、コナンは目を丸くした。

「え。何が」
「もう少し配慮するべきだった。休憩したり、お茶したり。むきになって……というか、夢中で引っ張り回しちゃって。ごめん、疲れたよね」

 見上げた横顔は、少ししょんぼりしているように見えた。
 ただそれは、いつもの作った悲しげな顔ではない。どうやら安室は、本気で失敗したと反省しているらしい。
 コナンはぽすんとシートに背を預けた。

「……確かに、いっぱい試着して疲れたし、ケーキはともかく、大きな本屋は行きたかったな」
「うん」

 ますますしょげた。コナンは小さく笑う。
 安室の作った困り顔は、なんとかしてあげなくっちゃ、という気になるが、いまのこの顔は、ちょっとからかいたくなる顔だ。
 前に見た、へこんだ顔とも少し違う、新しい顔。

(でも、頭撫でたくなるのは同じかな)

 運転中なので、そんなことは出来ないけれど。
 高速に入る手前で、車は信号で停まった。
 いつまでもしょんぼりさせているのも可哀想なので、コナンは口を開いた。

「でもさ」

 安室の視線がこちらに向いたので、笑って見せる。

「今日、すっごく楽しかったから、いいんじゃない? 引っ張り回したのは、ボクもだし。それに──」

 考えながら、コナンはうなずいて、安室を見上げた。

「そうだよ。つまりそれって、今日はボクだけに、集中してたってことでしょ。──『大変良く出来ました』だよ、安室さん」

 いまならいいか、と手を伸ばして安室の頭を撫でる。
 安室が目を丸くして、固まった。
 パパッと後ろの車がクラクションを鳴らした。

「あ、信号青だよ」

 指摘に正面を向いた安室が、グッとアクセルを踏んで急発進する。

「おわっ」

 思わずシートベルトを握る。

「……コナンくん、君ね」
「はい?」

 うなるような低い声にきょとんと見上げると、安室はコナンをちらりと見て、また視線を前に戻すと、ボソッとつぶやいた。

「高速で良かった」

 その言葉の直後に、アクセルが踏み込まれる。

「げっちょっと待って、安全運転!」
「事故は起こさない」
「法定速度! 守って! 危ないから!」
「危ないのはそっちだろう! いきなりああいうことをしないでくれ!」
「は? 運転中じゃなかったじゃん!」

 言い返すと、安室はまたうなった。
 一体何が気に入らなかったと言うのだ。
 しばらくの間、少しヒヤヒヤする速度で車を走らせた後で、安室が口を開いた。

「……コナンくん」
「え。はい」
「今日のこれで、大変よく出来たなんて、言わせないから。──動物園、首を洗って待っているように」

 怖い。目が据わっている。
 何故宣戦布告されているのかと理不尽なものを感じながら、コナンはとりあえずうなずいた。

「よし。──楽しみだね、コナンくん」
「う、うん」

 にっこり、笑顔でこちらを見た安室に笑みを返す。前を向いて欲しい。
 よくわからないが、安室にも気合が入ったらしい。

(それはいいこと、か? うん、オレだけ気合入ってるのはおかしいもんな)

 うんうんとうなずく。
 ようやく動物園が現実的になってきた。
 目標を改めて確認する。
 ──特殊な訓練とやらをしていても太刀打ち出来ないような、取り繕う余裕も与えないような、究極の猫だ。
 そうしたら、見たことのない安室の顔がたくさん、見られるはず。
 前を向いて運転する安室の横顔を見つめる。
 不審で、怖くて、嘘くさくて、お説教好きで。大人げないくて、演技が上手くて、かっこよくて……でも可愛い時もある、そんな男。

 ──この人が、自分がこの人をそう思っているように、自分のことを可愛いと思ってくれたら、きっとすごく嬉しいのに。

 そう考えて、コナンはぱちりと瞬きした。
 浮かんだ気持ちを確認する前に、安室が「悪いんだけど」と口を開いた。

「あんまりじっと見られると落ち着かないから」
「ごめんなさーい」

 まあいいかと、しれっと謝罪して前を向く。
 車は高速を下りた。
 毛利家まではもうすぐだ。
 動物園楽しみだな、と考えながら、コナンは足を揺らした。