神様はいない




大変に人を選ぶ話です。
TVアニメで言う「赤と黒のクラッシュ」シリーズでの楠田陸道に関するコナンの葛藤の話。暗いです。
嫌な予感がした方はそのままお戻り下さい。




 コナンは、今後の対応について議論するFBIの捜査官たちからそっと離れた。
 先に部屋を出た赤井の姿を求めて、外来の時間を過ぎ静かになった病院の中を歩く。
 おそらく、付き添いが使える休憩室や喫煙室にはいないだろう。この時間で、人がいないところ──そう当たりをつけて探せば、あっさり、屋上で赤井を捕まえることが出来た。

「ちょっと、話しない?」

 そう、いまだに自分をどこか一歩引いたところから見ている男に、声をかける。
 赤井は手にしていた携帯を閉じた。

「……奴らを迎え撃つ策なら、まだ思案中だが」
「でもさ、ボク赤井さん見てて思ったよ! ──もしかしたら、ボクと同じ事、考えてんじゃないかって」

 そう言えば、赤井は「ほう」と言ってコナンに目を向けた。
 話を聞いてくれる、ということだろう。
 相手にされない可能性もゼロではないと考えていたので、ホッとする。まずは第一段階クリアだ。

(さて)

 コナンは一つ息を吐いて、頭の中で自分の考えをさらった。
 水無怜奈の身柄を確保してから、今日までに起こったこと。誰が何に関わっているか。これからのこと。何が最善で、どうすれば犠牲を出さずに済むか。
 ──そのために、いま自分が考えられる、最善の策。

「赤井さんも気づいてるでしょ? 水無怜奈の意識は、とっくに戻ってる。──彼女に協力してもらって、この場を切り抜けて、逆に奴らに楔を打ち込む作戦があるんだ」

 切り出すと、赤井は開きかけた口を閉じて、先を促すように目を閉じた。
 そして、コナンの語る計画を、黙って聞きはじめる。

 水無に組織に戻ってもらうこと。その方法。そのメリット。
 それによって起こると思われることと、それをどう切り抜けるか。

 コナンの推測では、赤井も失敗したふりをして、水無を組織に戻すことを考えているはずだ。
 その証拠に、赤井は前半の計画を、無反応に聞いていた。
 しかし話が後半にさしかかると、赤井はわずかに身じろぎし、コナンにうかがうような視線を向けた。
 ──突飛なことを言っているのは、わかっている。
 コナンは赤井に、いま手元にある楠田の死体を利用して、入れ替わってしまえと言っているのだから。
 それでも赤井は、声を上げることも途中で遮ることもなく、最後までコナンの話を聞いた。

「──っていう、計画なんだけど」

 話し終えて口を閉じると、屋上には沈黙が落ちた。
 しばらくの沈黙の後で、赤井が口を開く。

「お前が…ボウヤがそこまでする理由は何だ?」
「え?」

 静かな問いに、コナンは男の顔を見上げる。

「水無怜奈の件。彼女の弟の件。あの少女の件……あるいは毛利探偵を助けた件に義理を感じてか? ……ボウヤにも事情は色々あるだろうが」

 赤井は一つ息を吐く。

「──しかしそれは、一線を越えている。そのことを理解しているんだろうな」
「……ッ」

 コナンは目をそらした。赤井は続ける。

「成功すれば、事態は大きく好転するだろう。我々にとっても、彼女にとっても。それに……そうだな、これ以上の手は他にない。……少なくとも、俺には考えつかない」

 無言のコナンに、赤井は淡々と言葉をつむぐ。

「──だがそれは、『死体損壊』だ」

 赤井の声は、二人しかいない広い静かな空間に、不要なまでに大きく響いたような、気がした。
 無論そんなものは気のせいだ。その声を強く、糾弾するように感じるのは、自分の気持ちのせいでしかない。

 ──一線を越えている。

 その通りだ。
 自分が提案したことは、それがそのまま最後まで為されれば、まぎれもなく「犯罪」だ。
 人を助けるためだ。赤井と、水無と。灰原と。たくさんの人たちを助けるため。
 しかしそのことは、人間を一人「消す」ことの正当な理由にはならない。
 コナンは大きく息を吐いた。

「──わかってる」

 頭の中に、血まみれの男の顔が浮かぶ。
 楠田陸道。コナンが利用しようとしている、拳銃自殺した組織の男。
 コナンは目を伏せて、もう一度、言った。

「……わかってるよ」

 目の前に、死体がひとつ。
 丁度良く頭に穴の開いた、年の頃も適当な。
 「それ」を赤井に仕立てれば、水無は組織の中での立場を強固なものに出来る。赤井も、これまでのように血眼で追われることはなくなる。イレギュラーな存在となり、組織の不意をつくことだって出来るかもしれない。
 それに、そうしなければ、水無を組織に戻しても、水無の立場は危険なままで自由には動けない。赤井も自由のきかぬままだ。巡り巡って、自分や灰原も危険になるかもしれない。
 だから──仕方ない。
 そう思って、唇を噛みしめる。

(──違う、仕方なくなんてない!)

 仕方ないなんて、言えるわけがない。
 これは、間違いなく犯罪だ。
 自分たちは、他者を救うことを口実に、楠田陸道という男を葬り去ろうとしている。
 楠田陸道として生きていたあの男を、社会的に。違う人間として。
 それでも。
 コナンは顔を上げた。顔を上げて、赤井を見つめる。

「他に、手がある?」

 声はほんのわずかにかすれた。赤井は視線を受け止めて、コナンを見つめる。
 しばらくして、ふっと視線が下に落ちた。

「──無いな」

 その声に、コナンも目を伏せた。

(そうだ……他にはない)

 現状維持、あるいは最悪を避けるだけならば、他にも手はあるかもしれない。でも、打って出るにはこれしかない。
 どれだけ考えても、これが最善だった。

「もう一度たずねる。──そこまでする理由は何だ」
「……自分のためだよ」

 組織の情報を得るため。そのためのつながりを得るため。信頼を獲得するため。自分を、友人を、周囲の人間を守るため。
 ──あるいは、贖罪のため。
 先ほど聞いた、忘れられない名前。
 宮野明美。
 目の前でだんだんと冷たくなっていった、救えたかもしれない人。灰原の大切な家族。助けることが出来たはずなのに、自分は失敗した。助けを求める声は届いていたのに、間に合わなかった。
 この男は、似た後悔を、同じ人に対して抱えているはずだ。そこに対するシンパシーが、ないとは言わない。
 そしてこの男の抱えるであろう罪悪感が、今回のことにどう影響するか、不安がないとはいわない。
 赤井ほどの人間が、ただ水無を組織に戻してそれで全て収まると思っているわけがない。この男は、そうすることで自分の命が危うくなることだって、知っているはずだ。
 けれど。
 これはこの男のためではなくて、結局、自分のためだった。
 赤井の疑問はわかる。自分はつい先程まで、むざむざと楠田を自死させたことを悔やんでいた。死なせたくなんてなかった。
 でも、それはもう既に過去のことだ。過去に、なってしまった。
 楠田は死んだ。でも赤井と、水無は生きている。

「誰も、これ以上死なない方法を、思いついたからだ。オレに出来ることがあるから、だからやるんだ。──あんたたちは生かされて、まだちゃんと生きてて……待ってる人だっているだろ! オレは……もう、絶対取りこぼさない」

 赤井はじっとコナンを見つめ、しばらくして小さく息を吐いた。

「──わかった」

 そして皮肉げに口の端をあげる。

「ボウヤの計画に乗るなら、俺も共犯者だ」

 その言葉に、たじろぐ。
 そうだ。絵を描いたのは自分でも、実行するのは──実際に、楠田の遺体を焼くのは、赤井と、水無だ。
 案を出しただけ、なんていうのはただの言い訳に過ぎない。他に取りようのない最善策を提示してしまった時点で、彼らに強制しているも同然だった。

 ──この人たちに、犠牲を強いてもいいのだろうか。

 その時急に、大きな手がコナンの頭を乱暴にくしゃりと撫でた。
 顔を上げると、赤井はハッキリと言う。

「こちらにも、考える頭がある。判断する理性も、職務に対する覚悟もだ。選ぶのは、我々の意志だ。見くびって、勝手に余計なものを抱え込むのは、ただの傲慢でしかない」

 コナンは目を見開いた。
 赤井はふっと笑う。

「すまん。……詳細を聞こう。ここは冷えるから、下で。──行こう」

 そう言って、もう一度くしゃりとコナンの頭を撫でると、赤井は踵を返して病院の中に戻っていった。
 それをすぐには追えず、見送る。
 階段を下りる赤井の背が見えなくなって、コナンは息を吐いた。無意識に、緊張していたようだった。
 撫でられて乱れた前髪を整える。
 溜息がこぼれた。

(……他に手はない)

 そうだよなと、暗い覚悟が腹の底に沈む。
 彼ならば──コナンが楠田の携帯を壊した意図を正確に読んだ彼ならば、何か他の策を出して、自分の案など笑い飛ばして退けるかもしれないと、どこかで期待していた。
 でも、そんなことあるわけがないと、誰より自分が知っていた。
 これより「良い」手は、他にない。
 楠田の遺体は意図的に用意したものではない。彼が自分の頭を撃ちぬいたのもは偶発的なことで、ことの経緯から仕方なく、遺体は日本の警察ではなくFBIの管理下にある。
 偶然を味方につけた計画は、露見しにくい。うまくやれば、絶対にばれない。
 ──完全犯罪。
 そんな言葉が浮かんで、コナンは自嘲した。

「ハッ……」

 一つ首を振って、葛藤を振り払う。
 やるべきことと、二人に交渉すべきことを、もう一度頭の中でさらう。
 時間はない。やるべきことを、やらねばならない。
 コナンはぎゅっと口を引き結ぶと、赤井を追った。





「じゃあ、ボクの携帯しばらく貸してあげるよ」

 コナンはさりげなく、ジョディに自分の携帯を差し出した。

「いいの?」

 そう問うジョディの声を聞きながら、コナンは顔に笑みを張り付けた。
 ──もしかしたら、ジンは水無をそのまま受け入れるかもしれない。
 そんな甘い目論見を嘲笑うように、事態はコナンの推測した通りに進んでいった。
 赤井が水無と二人で会うことになったという連絡は密かにコナンの元に届き、後は各々が自分の為すべきことを実行するだけになった。
 自分のやることは、この楠田の指紋が付着した携帯電話をFBIに渡すこと。ただそれだけ。
 ──それで、楠田陸道という男は、消える。
 自分がこの携帯を渡さなければ、どうなるだろう。
 一瞬、そう考えてそれを振り払う。
 計画は進んでいる。自分の描いた絵の通りに。ここで自分だけ下りたところで、もう、罪は消えない。後戻りは出来ない。

「ありがとう! じゃあ使わせてもらうわね」

 携帯は、ジョディの手に渡った。
 コナンは一瞬目を閉じて、笑みを浮かべて、何もなかったように話を続ける。
 ──そして、ジョディは赤井と連絡をつけられぬまま、拠点とする杯戸中央病院に戻っていった。





 赤井と水無は、上手くやった。
 赤井は死んだことになり、姿を変え、沖矢昴となった。
 楠田陸道は燃え、違う人間として、葬られた。
 計画は、自分が、そうすると決めた通りに、実行された。
 上手く、新しい犠牲を出すこと無しに。
 最初、どこかこちらを懐疑的に見ていた赤井との関係は、この件をきっかけに、強固な信頼関係となった。
 二人の間で、あの後楠田の名前が出たことはない。
 ただ時折赤井は、こちらを気遣うような素振りを見せる。
 赤井は優しい。あの時罪を指摘したのだって、赤井の優しさだったのだろう。
 でも、「それでも」と選んだのは、自分だ。
 あの時赤井が言ったように、これは自らの意志で、自らの責任だ。
 楠田のことを、忘れたことはない。忘れられるはずなどなかった。
 ──目の前の事件全てを解決したい。救える人間はこぼさず救いたい。憧れのホームズのような、名探偵になりたい。
 それが自分の信念で、夢で、自分にはそれが出来ると、高校生の工藤新一は、そう信じていた。
 「小学生になって」、今更気づく。
 その、難しさときたらどうだ。
 ミスをしてこの姿になったこと。宮野明美を救えなかったこと。目の前で死んだ浅井成実。赤井と水無を救う代償に「殺した」楠田陸道。あれも、これも。
 自分は、犠牲を出さずに何もかもを解決できる名探偵なんかではなかった。
 信念は変わらない。そうありたいと思う姿を、諦めるつもりはない。
 でもいまの分は、間違えて、犠牲を出して、必死にあがく未熟者でしかない。
 未熟者で──犯罪者。
 オレが楠田の命を絶ったわけじゃない。
 心のどこかでそう声がする。
 その通りだ。自分は、殺人を犯したわけではない。
 利用しただけだ。
 利己的に、一方的に。物言わぬ死体を壊して、その存在を消した。
 赤井や水無を大切に思う人たちがいたように、楠田にだってそういう誰かがいたかもしれない。
 その誰かより、利己的な理由で、赤井たちを優先した。
 それを、忘れてはいけなかった。
 どんな理由があろうと。例え、ずっと露見しなくても。
 自分がやったことを、自分はよく知っている。
 そして、探偵の自分は知っている。
 完全犯罪はありえない。
 「あなたが犯人だ」と、突きつけている指が、いつか、自分に向いて罪をつきつけるかもしれない。
 ──誰か。
 誰かが、いつか、自分の罪を暴く。
 そうでなくてはならない。
 探偵である自分は、心のどこかでそれを覚悟し、期待している。
 誰か。
 誰かが、見つける。楠田を。そして、自分の罪を。

(──見つけて)
 





 そして、その言葉は突き付けられる。

「コナンくんは前にもここに来たことがあるって看護師さんたちが言っていたけど……知ってるかな? ──楠田陸道って、男……」

 コナンは見上げる。
 ずっと怖れて、待ち望んでいた、自分の罪を暴く男の顔を。