まだまだ立派な猫をかぶりたい




 動物園に行った日の、翌日。
 コナンが帰宅してスマホを見ると、メッセージが一件入っていた。何気なく開けば、母の有希子だった。
 メッセージは、短く一文。

『うまくいった?』

 さて、どう返そうかと、コナンは画面を見つめた。
 ──うまくいったかいかなかったか、で言えば、「うまくいった」と言っていいのだろう。
 可愛いと思っていると言ってもらえたわけだし、本当はずっとそう思っていたのだと言ってくれた。
 しかし、当初想定していたのとは違う感じにうまくいってしまったので、母親に報告するのは相当照れくさい。
 コナンはしばらく悩んでから、短く返した。

『いった』

 それだけ送ってから、さすがに素っ気なさ過ぎかと、「ありがとう」と、礼の一文を追加する。
 とりあえずはこれでいいだろう、と息を吐いたその時。
 メッセージにパパッと既読がつき、そして次の瞬間、スマホが鳴る。
 当然、有希子だ。
 コナンはしぶしぶ通話ボタンを押した。

「──はい」
『良かったわね、新ちゃん! それで? うまくいったって、透くんに何て言ってもらったの?』

 興味津々、という声に顔をしかめる。

「……何だっていいだろ」
『あらっ』

 有希子はわざとらしく声をあげた。

『相談に乗ってあげたお母様に対して、その言い方はないんじゃなぁい?』
「うるさいな……別にいいだろ。うまくいったはうまくいった、だよ。……感謝は、してるって。ありがと」

 小五郎は事務所、蘭はまだ学校で家には誰もいないが、何となく声をひそめてぼそぼそと言う。
 しかし有希子は追及の手を緩めてはくれなかった。

『なら、もうちょっとちゃんとした報告をしてくれてもいいじゃない。どううまくいったの? 猫かぶりがちゃんと通じた?』
「……そういうんじゃないけど」

 そういえば、猫かぶりは効いているということだったが、最終目標の「わざととわかっていても可愛いから仕方ない」と思わせるまでは、いっていない気がする。そんなことどうでもよくなってしまったので忘れていた。

『じゃあ、なんでうまくいった、なの?』

 こういう時の母が、いくらごまかそうとしてもごまかされてくれないのは、よくわかっている。コナンはもごもごと答える。

「……可愛いって。言ってくれた」
『ふうん? でも、可愛いとは、言われたことあるんじゃないの』

 ぐうっと言葉に詰まり、しぶしぶ付け足す。

「……せ、かいいち、可愛いって」

 声は自然、小さくなる。
 世界一、可愛いと思っているから、他の人の前で可愛い顔をして欲しくないのだ、と言った安室の声を思い出してしまって、顔が赤くなる。

『あら!』

 有希子の声が弾んだ。

『あらあらあら! 良かったわね、新ちゃん!』
「~~どーも! ありがとう! もういいだろ! 報告終わり!」

 自棄になって、じゃあね、と通話を切ろうとしたところで、低い声が耳に届く。

『待ちなさい』

 コナンはピタリと手を止めた。

「……なん、だよ」

 恐る恐る問うと、有希子はひとつ息を吐いて、大真面目に言った。

『新ちゃん。わかっている? ──これは、戦いの始まりよ』
「……たたかい?」

 コナンは不穏な単語に首を傾げた。そうよ、と電話の向こうで有希子がうなずく。

『可愛いと言ってもらった。それは大きな成果よ。──でもね、新ちゃん。それで油断しては駄目。一番をキープしつづけるのは、とっても難しいんだから。大事なのは、これからよ』

 コナンは目を瞬かせた。有希子は続ける。

『考えてもみなさい。いまが「一番」ということは、これ以上、上はないってこと。そうなると──あとは落ちるだけよ。いくら可愛くても、見慣れれば当たり前になって、飽きるものだし』
「飽きる……」
『そう。あなたはいま、透くんの世界一かもしれないわ。でも、この先も……いいえ、いまこの瞬間、自分が世界で一番可愛いと、胸を張って言える?』

 言われて、黙り込む。
 そんなことを言える自信など、あるはずがない。なにせコナンは、動物園でパンダの赤ちゃんに負けたばかりなのである。

『透くんを取り巻く環境は日々変化しつづけているし、日常には誘惑がいっぱい。あなたのライバルもいっぱいなの。気を抜いた瞬間に、誰かに一番を持っていかれちゃうわよ!』

 有希子の言葉をかみしめ、コナンはうなずいた。

「たしかに」

 そもそも、安室は爬虫類や両生類が好きなタイプで、人間の好みも風見みたいなタイプのはずなのだ。コナンとは違う。
 そこを乗り越えた自分の健闘は、賞賛に値するだろうが、いまだけ、気が向いただけ、という可能性は否定できない。油断するべきではないだろう。

「……でも、どうしたらいいんだ」

 つぶやくと、電話の向こうで有希子が小さくうなる。

『うーん、そうね……更なる向上と、刺激、かしら』
「向上と刺激……? 何すりゃいいの?」
『まずは、自分磨きを続けること。あとは……古典的で使い古された手段だけど、緩急をつけるのは、大事ね。毎日毎日顔を見せるんじゃなくて、たまにちょっと距離を置いてみるとか』
「なるほど」

 言われて思い出す。猫かぶり対決を始めた頃、効果が見えなかったのでしばらく安室と距離を置いたことがあった。その後顔を合わせた時、安室はそれを聞いて「よそで練習するのは止めて自分だけにしろ」と言った。必死な、普段見られない顔を見れた。あれは、距離を置いた効果だったのかもしれない。

『人はね、逃げられると、追いたくなるものなのよ』
「確かに」
『でも、放っておかれても不安になっちゃうから、注意して。タイミングは、よーく見極めるのよ』
「わかった。頑張る」

 コナンはうなずいた。有希子もうなずく。

『よろしい。──詳しいことは、またそっちに帰った時に作戦会議をしましょう』
「へ? また来んの? てか、それ待ってて大丈夫なのかよ……」
『すぐ行くから安心して。透くんのケーキも、また食べたいしね!』

 弾んだ声に顔をしかめる。

「はあ? 勝手に会いに行くのやめろよ」
『あら、喫茶店に行くのに新ちゃんの許可はいらないでしょー? まあ、余計なことはしないから、安心して』

 まったく安心出来ない。
 コナンはうなった。
 もし有希子が来るなら妙なことをしないように見張っておきたいが、安室と会話しているのを見られるのも、嫌だ。来ないのが一番なのだが……この人にそれを言っても諦めるはずがない。それに、コナンだって相談はしたいから、有希子が来ないのも困るのだ。なにせ、有希子のアドバイスが参考になったのは確かなのである。
 そこで思い出す。

「あ、そうだ。作戦会議だけどさ、今度は昴さんのいないとこでしようよ」
『え? 昴ちゃん? どうして?』
「だって……動物園で、作戦会議した時のこと思い出して気づいたんだけど、母さんが何か良さそうな作戦口にしようとするたびに、昴さん邪魔するじゃん」

 電話の向こうで有希子がふきだす。

『ふっ……まあ、そうだけど。昴ちゃんがいると面白いのに』

 あれはわざとか。コナンは呆れる。

「昴さんで遊ぶなよ」
『遊んでないわ、コミュニケーションの一環! ……まあいいわ。親子水入らずで作戦会議も、楽しそうだものね。おうちだと昴ちゃんの邪魔が入るから、外で会議しましょうか。ポアロとか』
「それ意味ないだろ! 安室さんに……っていうかイケメンに会いたいだけだろ! ……親父に言いつけるからな」

 自分がメンクイなのは確実にこの人の血だと、苦々しく思いながらそう脅すと、有希子はすまして答えた。

『別にいいわよ? 事情を聞かれたら、優作に今回のこと、一から十まで報告しちゃうかもしれないけど……新ちゃんは、それでいいのかしら?』

 言い返されて、言葉に詰まる。優作に、猫かぶり対決のあれこれが筒抜けになるのは困る。
 ふふん、と有希子は勝ち誇ったように笑い、楽しげに言う。

『い、い、の、か、し、ら?』
「……すみませんでした」
『よろしい』

 有希子は満足げにうなずき、「まあポアロでっていうのは冗談として」とさらりと流した。

『コナンちゃんと二人でお出かけっていうのも、楽しいかもね! お買い物して、お茶しながら会議しましょ』
「買い物はいいってば。服ならあるし」
『そうね、透くんと買いに行った服がね! でも今回はコナンちゃんの服じゃなくて、優作の服を選ぼうと思ってるの。もうじき一冊終わるはずだから、お祝いのプレゼント。一緒に選んでよ』
「え、新刊!? いつ出る?」
『さあ……脱稿してからしばらくかかるでしょ。それより、お買い物付き合ってくれるでしょ?』
「いいけど」

 あまり心は動かないが、ここでゴマを擦っておけば、新刊を早めに送ってくれるかもしれない。──それに、そうだ。優作の服ということは紳士服ということで、ついでに安室に似合いそうな服も探せるかもしれない。
 探したところで、いまの自分がプレゼント出来るわけではないが、次回の着せ替え会の参考にはなるだろう。

『んー、でもやっぱり、それだと昴ちゃんにいて欲しいのよね……代わりに着てもらえるし』
「それじゃ駄目なんだってば。……あー、でも、昴さんのいつもと違う格好は見たいかも……」
『でしょー?』

 先日の買い物ではコナンの服ばかり見ていたが、沖矢で着せ替えするのも楽しそうだ。本人は、確実に嫌がるだろうが。

『コナンちゃんを連れてたら、コナンちゃんの買い物だと思ってあっさりついてきてくれそうな気がするのよね』
「確かに。……会議は、買い物の後にしたらいいと思うんだよな。疲れてる昴さんならごまかせそうだし」
『そうね。じゃあ、その方向で行きましょう。楽しみになってきちゃった!』
「オレも」
『あ。楽しみにするのはいいけど、新ちゃん。気を抜かずに頑張らないと駄目よ? 進捗状況は、会議で確認しますからね』
「はあい」

 話ながら窓の外に目をやると、安室がポアロから出てきた。掃除道具を持っている。
 視線が上を向き、のぞいていたコナンと目が合った。
 反射で顔を引っ込めてしまう。

『新ちゃん?』
「あ、ごめん。そろそろ蘭も帰ってきそうだから、また連絡する」
『わかったわ。私も、そっちに着く日が決まったら、連絡するわね』
「わかった、待ってる」

 通話を切って、一つ息を吐き、そっと窓の外をのぞくと、安室はまだこちらを見ていた。また反射で引っ込んでから、隠れる必要もないかと、そろそろと顔を出す。
 それを見た安室が、ふっとふきだした。
 ムッとして舌を出すと、安室はひらひらと手を振る。手招き、だろうか。

(お話しよう……いや、こっちにおいで、か?)

 窓に手をかけ、ふと、先ほどの有希子との会話を思い出す。

(──緩急)

 昨日はたくさん話したし、一緒にいたから、今日はあえて会いに行かない、というのも手ではないか。
 それに昨日の今日でまだなんとなく照れくさいし、もう少し落ち着いて、ポーカーフェイスが出来るようになってからでもいいかもしれない。
 反応のないコナンに安室が首を傾げる。可愛い。

(でも、今日は我慢)

 そう決めて、指でバツを作って首を振る。すると安室は、とても残念そうな顔をした。
 コナンはぐうっと喉の奥で唸った。決意が揺らぐ。
 あれは多分、わざとだ。わかっている。わかっている、が。
 そこで再び、有希子の言葉が頭に浮かんだ。

『でも、放っておかれても不安になっちゃうから、注意して』

 ──悩む。
 昨日あんなやりとりをしたのに、今日急に素っ気なくしたら、気が変わったと思われるだろうか。安室なら照れていることくらいわかるだろう、と思うが、どうだろう。
 どうしよう、と目から上だけ出して、下を見ながら考えていると、安室がふっと笑った。
 ──とてもやわらかい、優しい、どこか甘い顔。
 それを見たコナンは思わず家を出て階段をかけ下りた。

「コナンくん」

 下りてきたコナンを見て安室がぱっと嬉しそうな顔をする。
 コナンは慌てて安室に駆けよった。

「ちょっと、安室さん!」

 うまい具合に、今日の安室はパーカー着用だ。昨日有用性に気づいたと言っていたし、最近寒い日が続くから早速取り入れたのかもしれない。好都合だ。
 コナンは安室をしゃがませると、パーカーのフードをかぶせた。

「え、なに、どうしたの」

 安室は目を白黒させる。コナンは注意する。

「何って、こっちの台詞だよ! なに、さっきの顔……駄目だよ。外であんな顔しちゃ」
「え。……ごめん。そんな変な顔してたかな」

 とがめると、安室は焦った様子で頬をこすった。

「変、っていうか……」

 コナンはくちごもる。
 変、なわけではなくて。すごくきれいな、思わずドキッとしてしまう表情だったから──他の人に見られたくないのだ。
 あれを見たら、老若男女全員が安室を好きになってしまう。
 安室は首を傾げてコナンを見ている。コナンは安室をにらんだ。

「──さっき。何考えてたの」
「え」

 問うと、安室はうろたえる。

「何考えてたか知らないけど……さっきみたいな顔は、あんまり外でしちゃ駄目だと思う。──ボクと一緒の時だけにして」

 安室は目を瞬かせ、何かに気づいたように、ふっと笑った。

「なるほど。……二人の時なら、していいんだ?」
「い、い、けど。……いや、たまになら、いいけど」
「たまに……? 毎日は駄目なんだ?」

 毎日。
 想像する。毎日毎日、あんな顔をされたら。
 ──心臓がもたない。

「──だ、だめ! たまに、だよ」
「たまにかぁ」
「そうだよ」
「うーん……」

 安室の反応は鈍い。コナンはもう一度たずねた。

「……ねえ、何考えてたの?」

 すると安室はあっさり答えた。

「コナンくんが、可愛いなぁって」
「へ」
「だから、コナンくん可愛いなって、思ってたんだよ。──毎日は駄目なのか……」

 わざとらしくため息をつく安室に、じわじわと顔が赤くなる。
 安室はことりと首を傾げ、しゃがんだままコナンを上目遣いに見た。

「でもさ、コナンくん。毎日は駄目っていうなら、毎日可愛いのを止めてもらわないと、難しいよ」
「……な」

 安室は何を言っているのか。
 いや、言っていることはわかるが、どうしろというのだ。
 ぷるぷる震えると、安室はふきだして、フードを下して立ち上がった。

「ごめんごめん。──でも、本当に。コナンくんが可愛いとしちゃうと思うから、見たくないなら注意して」
「……なんか適当なこと言ってごまかしてない?」
「ごまかしてないよ。……もしかして、昨日言ったこと、もう忘れちゃった?」

 今度は上から顔をのぞき込まれ耳元で囁かれて、コナンはべしっと安室の額を叩く。

「~~そういう顔も! 気軽にしないで! お、ぼえてるし!」
「なら良かった」

 コナンの猫パンチなどまったく効いていない安室は、満足げにうなずいた。
 ──なんだか悔しい。
 昨日からずっと、やられっぱなしな気がする。

(やっぱり、ちゃんと会議して、新しい技とか覚えねーと)

 やられてばかりでは向上にも刺激にもならない。このままでは大変まずいことになる。
 コナンの気など知らず、安室はにっこりと笑って提案する。

「せっかく下りてきたんだし、ポアロでケーキ……は、先生に怒られそうだから、クッキーでも食べて行かない? ごちそうするよ」

 今日は距離を置こう……と思っていたが、この状況で引いても、もはや意味はない。
 コナンはしぶしぶうなずいた。

(まあ、今日は仕方ない。……安室さんがまた勝手にさっきみたいな顔したら困るし)

 安室の言葉を信じるなら、コナンがいない場所ではしないはずだが、念の為に見張っておこう。
 その時、店から出てきた、常連らしい女性客が「また来ますね」と笑顔で安室に声をかけた。安室はいつもの笑顔を浮かべる。

「お待ちしてます」

 ──モテている。
 なんだか気に食わなくて、コナンは後ろから安室の足を蹴った。

「わ、なに、どうしたの」
「なんでもないよ」

 ツンとそっぽを向いて、安室を追い抜かして先に店に入る。
 後ろで安室が苦笑している気配がする。

(見てろよ。新しい技身につけて、ぶんぶん振り回してやる)

 向上と、刺激。緩急。
 有希子が来るまでにも、ここは意識して行動しなければならない。
 ちらりと振り返ると、安室は「ん?」と首を傾げた。
 その顔を見て、少し不安になる。

(適度に距離を置くのが大事って、母さんは言ってたけど……でも、安室さん放っておくのすげー心配……)

 かっこいいし、可愛いので、コナンが目を離した隙にどんな危険があるかわからない。
 どうやれば、適度に距離をおけるのだろう。見ていたい気持ちをうまく抑えるには、どうすればいいか……ここはまず、電話でアドバイスをもらった方がいいかもしれない。

「──頑張ろう。うん」
「……コナンくん。何を頑張るのか、僕に教えてくれないかな?」

 安室が不安げに言う。それに「内緒!」と答えて、コナンは梓の「いらっしゃいませ」に「こんにちは!」と手をあげた。