ミカンはおやつか果物か
冬が近づき、日の落ちる時間も早くなってきた。
ポアロのバイト帰り、日が落ちはじめた米花町商店街の八百屋の店先に見慣れた少年の姿を見つけて、安室は声をかけた。
「コナンくん」
パッと小さな丸い頭が振り返り、安室をみとめる。
「安室さん。いま帰り? 買い物?」
「うん。君の明日のおやつの材料を買いにね」
「……ふうん」
安室の言葉に、コナンはむうっと口を尖らせた。
少し前に、「君が口にするものは全部僕が作ってあげたい」と言ってから、コナンは安室に対して、警戒するような、疑うような、怒っているような、照れたような、何とも言えない反応をする。
おそらく、どう対応していいか迷っているのだろう。彼と自分との関係を思えば、至極当然のことだ。
それでも、おやつは約束通り食べにきてくれるし(今日も一時間ほど前にフォンダンショコラを食べにきた)、本気で嫌がられているわけではない、と思う。いまはまずこの子に自分を意識してもらえれば上々と思っているので、気長にいくつもりだ。
「お、兄ちゃん。今日はいいリンゴ入ってるぞ」
馴染みの店主が声をかけてくる。
「リンゴですか」
「菓子作るならこれだろ。今年はちょっと収穫が遅れたけど、出来はいいぞ」
そう言って、ずっしり重量のあるリンゴを手渡してくる。
美味しそうだ。タルトタタンか、コンポートにしてもいいかもしれない。
「コナンくん、リンゴは好き?」
「え。……うん。好き、だけど」
「じゃあ、明日はリンゴにしようかな。──すみません、五つ下さい」
「まいど!」
エコバッグにリンゴを入れてもらい、代金を支払う。視線を感じて、コナンを見下ろす。
「ところで、コナンくんは何を買いに来たの? おつかい?」
「……安室さんが、おじさんに言ったんでしょ。朝果物食べるといいよって。それで、おじさんが何か買ってこい言うから」
そう言えば、今日の昼、ランチを食べにきた小五郎とそんな話をした。寒くなってきたからかコナンが朝食の野菜ジュースを飲みたがらなくなった──という相談で、冷たいジュースの代わりに温かいスープ、朝時間がないなら粉末のスープを利用して、栄養バランスが気になるなら果物を少し足せばいいとアドバイスしたのだ。
「一日一個のリンゴで医者いらず……って言うからね。特に朝の果物は体にいいんだよ」
「うん。でも、リンゴは皮むかないといけないから面倒だし……ミカンにしようかなって」
そう言って、コナンは店頭に積まれたミカンの山に目を向けた。
「いいと思うよ。食べやすい、つまり続けやすいのも、大事だからね」
「坊主、ミカン買うなら箱がお得だよ!」
話を聞いていた店主が言う。コナンは呆れ顔で店主を見上げた。
「ボク一人じゃミカン一箱なんて持って帰れないよ」
「ハハッ、確かに、それもそうだ」
「あ、じゃあ僕持とうか」
横から口を出すとコナンは目を丸くした。
「え? 安室さん車で来てるの?」
「歩きだけど、ミカン一箱くらい問題ないよ」
「だ、そうだ。坊主どうする?」
問われて、コナンはカゴに積まれたミカンの値札と、箱の値札を見比べ──安室を見上げた。
「……ほんとに、お願いしちゃってもいい?」
「勿論。すぐ近くだし、お安い御用さ」
「じゃあ……ミカン一箱下さい」
「まいど!」
そうして購入したミカンの段ボール箱を抱えて、来た道を戻る。
ポアロの前を通った時に、窓越しに梓と目が合ってびっくりされてしまったが、ミカンの箱と、一緒にいるコナンを見ておおよそのところを察したらしく、苦笑交じりに手を振られた。
「階段、気をつけてね」
そう言うコナンの先導で階段をのぼり、二階の探偵事務所にたどりつく。
「上まで持って上がらなくていいの?」
「おじさんこっちにいるから、上は鍵かかってるんだ」
そう言って、コナンは「ただいまー」と事務所に入っていく。
コナンは普段から、事務所にいることが多い。職場といえば職場なのだが、頻繁に依頼人が来るわけでもないし、預かっている子どもを見るならそばに置いておくのが一番なのだろう。
おじゃまします、と事務所に入ると、小五郎は机で居眠りをしていた。コナンがため息をつく。
「……ったく。安室さん、ミカンその辺に置いておいて。後でおじさんに持って上がってもらうから」
安室は指示通りにミカンの箱を来客用の机に置いた。「ありがとう」と礼を言って、コナンは少し迷うように、安室を見上げた。
「ええっと……時間あるなら、お茶くらい出すけど」
「じゃあ、いただこうかな」
ふきだしそうになるのをこらえて、そう答える。荷物を運ばせておいてそのまま返すのも……と思ったのだろう。義理堅い子だ。
来客用のお茶を入れようと、キッチンで「あれれ」とつぶやきながらばたばたするコナンを見かねて、結局お茶は安室がいれた。
「どうぞ」
「……ありがと」
コナンはいささか決まり悪そうに、安室がいれた日本茶をすする。
小五郎の後ろにある大きな窓からは西日が差し込んでいる。もう少ししたら灯りをつけなければならないだろう。
お茶を飲んで一息ついて、隣に座るコナンにたずねる。
「コナンくん、明日のおやつはタルトタタンとコンポート、どっちがいい?」
「え? うーん……どっちも美味しそうだけど、コンポートかな」
「了解」
コンポートなら、今日帰ってから煮込み始めよう。寒くなってきたが、明日は天気もいいようなので、気温によってはアイスをそえてもいいかもしれない。
そんなことを考えながらお茶を飲んでいると、コナンは買ってきたミカンの段ボールを開けて、中のミカンを確認し、一つ取り出した。
「意外とたくさんあった。……食べ切れっかな」
「余ったら、持ってきたらいい。ミカンでも色々作れるからね」
「例えば?」
「ゼリーとか……あと、ミカンをまるごと一つ使った大福なんてものも出来るよ」
「いちご大福みたいな? へえ」
コナンは目を輝かせて、もにもにと手にしたミカンをもむ。
「……何してるの?」
「え? 何って……こうして軽くもんでからむくと、筋が取りやすいんだよ。あと、甘くなるって言うし。知らない?」
確かに、聞いたことはある。しかし、安室はミカンの筋を気にせず食べる方なので、知識としては知っていたが実践したことはなかった。
「ミカンの筋にも栄養があるんだけどな」
「知ってるけど、口の中モソモソするじゃん」
そう言って、小さな手で熱心にミカンをもむ。
さほど大きくはないミカンが手の中に収まりきらないのを見て、改めて、この子は子どもなんだな、と思った。
中身は規格外で、普通の小学生の枠に収まらないことも、何か事情があることも承知しているが、それでも、体はこんなにも小さい。普通の小学生と同じか、もしかしたら、少し小さめなくらいに。
小五郎は「安室くんのおかげで体重も増えた」と言っていたが、まだまだ細いように思う。本当に体重は増えているのだろうか。小五郎が毎日体重をはかっているらしいが、抱っこしてはかるなんて、感覚的過ぎて正確な数値が取れないだろう。
(でも、僕が体重はからせてって言っても警戒されて許可してもらえないだろうな。……あの時、ちょっと踏み込んだのは失敗だったか。──いや。警戒されてるのは元からだ。それに、この子が「特別ってどういうことか」気にするなんて、あの時を逃せば、次いつになるかわからなかったんだから)
自分は小学生だという意識でいるからか、元々そういう性格なのか、コナンはこの手のことにやや鈍い。その上、自分たちはいまだ、敵とも味方とも言えぬ複雑な間柄だ。安室からの好意なんて、すんなり受け入れられないだろう。それは、わかっている。でも、わかっているからこそ、安室としてもなりふり構っていられないのだ。少しでも、この子が自分を意識したというなら、即座に踏み込んで距離をつめておかなければならない。
もっとも、あの時何故急に、特別を意識してくれたのかは、わからないけれど。
(あの時僕何かしたか? いつも通りだったと思うんだが────もしかして、ホームズのクッキーか? あれでそんなに好感度が上がるのか。……この子は本当にホームズが好きだな)
ともあれ。踏み込んだから、これまでと違った意味で意識してくれているわけだし、間違いではなかったはずだ。
ぼんやり、そんなことを考えていると。コナンが「出来た」と声を上げた。
我に返ってコナンの手元を見ると、きれいにむけたミカンがあった。
「ほらね」
得意げな顔が可愛くて、つられて笑いながら「うん」とうなずく。
「ほんとだ。筋がほとんどない」
「でしょ。──はい」
コナンはむいたミカンを安室の手に乗せた。反射で受け取る。
受け取ったミカンを前に、安室は静かに混乱した。
はい。──はい、とはどういう意味だ。これを、食べていいということだろうか。
手の上のミカンを見つめていると、コナンは次のミカンをむきながら首を傾げる。
「安室さん、ミカンきらい?」
「え。いや、好きだよ。あんまり上手にむけてるから」
慌てて言い訳して、ミカンを二つに割って口に入れる。コナンは顔をしかめた。
「それは言い過ぎでしょ」
「そんなことないよ。僕はこんなにきれいにむけないからね」
「嘘だね。安室さんがこの程度のこと出来ないわけないじゃん」
「ほんとだよ。僕は筋があっても気にしないタイプだし……」
言い訳しながら、二口でミカンを食べてしまって、もう少し味わって食べれば良かったと今更後悔する。
コナンの手元にはもうひとつむけたミカン。じっとみていたら、呆れた顔をして、しかし半分わけてくれた。
「安室さん、ミカンそんなに好きなの?」
「大好きだよ」
いま、好きになった。
「ふーん」
コナンは半分のミカンをひと房ずつちまちまと食べる。安室も今度は一気に口に入れることはせずにひと房ずつ食べることにした。
もんだ効果なのかはわからないが、甘くて美味しい。
「いいミカンだね。ミカンはビタミンCが豊富だから毎日食べるのはいいことだよ。果物は水分が多いから適度な水分補給にもなるし──もうすぐこたつの時期だけど、こたつでミカンって理にかなってるんだよね」
そんなことを話ながらちまちまと食べていたが、小さなミカンの更に半分なんて、食べるのはあっという間だ。
「こたつか……安室さんちもこたつあるの?」
「うちはないよ」
「なーんだ」
なんだとは、なんだ。うちにこたつがあったらどうだというのだ。
コナンは半分のミカンを食べ終わって、もう一つ、箱から取り出した。ちらりと安室を見て、安室も食べ終わっているのを確認すると、そのままくれた。思わず眉を下げる。
「むいてくれないの?」
「──はあっ!?」
コナンが声をあげる。「うーん」と居眠りしている小五郎がうめいた。
コナンは慌てて口を押さえ、安室をにらんで小声で続ける。
「ミカンくらい自分でむいてよ。出来るでしょ」
「でも、さっきはむいてくれたじゃないか」
コナンに合わせて小声で抗議すると、コナンの顔が赤くなった。
「あ、れは!」
そう言って、口をもごもごさせる。
あれは、何だ。
(──もしかしたら)
ミカンをむいてあげるのが癖になっていて、ついやってしまった──ということだろうか。つまり、小五郎や蘭には、いつもやってあげている、と。
じとっとした目で見下ろすと、コナンは気圧されたように少し身を引く。させるかとその腕を掴んで、にっこり笑ってたずねる。
「あれは……何?」
コナンはぐうっと言葉をつまらせ、しかしどうしても言う気はないのか、ぷいっとそっぽを向いた。
「何でもいいでしょ! とにかく、ボクばっかりむいてるのおかしいから、今度は安室さんむいて!」
「──わかったよ」
こうなってしまっては、答えはもらえないだろう。
安室は諦めて肩をすくめると、もらったミカンを手の中でころころと転がす。
コナンがやっていたようにもむには、手のサイズとミカンのサイズが合わなくてやりづらいのだ。指でやったら、力加減を間違えて中の実を潰してしまいそうな気がする。
「──これで大丈夫かな?」
視線を感じたのでそうたずねると、コナンは「いいんじゃない」とうなずいた。
お墨付きがもらえたのでそのまま続ける。
手持ち無沙汰なのか、コナンは箱からミカンを取り出した。それを見とがめて注意する。
「こら。もう少し待って。夕飯前だし、健康にいいって言っても、糖質を摂り過ぎるのも良くないから。これ一つだけで終わりだよ」
ミカンでお腹がふくれて夕飯が食べられなくなっては意味がないし、コナンは今日すでにポアロでおやつを食べているのである。
少し小言めいた言葉にムッとされるかと思ったが、コナンは大きな丸い目で安室を見あげた。
「……あのさ」
「なんだい」
「確認しておきたいんだけど、安室さん的には、このミカンはどういう扱いなの?」
意味のわからぬ質問に、安室は手を止めた。
「? どういう……って?」
「いま、晩ご飯前に食べてるミカンの扱いだよ。これは、おやつ? おやつじゃない?」
安室は目を瞬かせた。
コナンは小さく口を尖らせて、続ける。
「この前、なんか色々言ってたじゃん。おやつのこと。……ボクはこれから朝ご飯だけじゃなくて、この時間帯とか食後にも、ミカン食べると思うけど、それはおやつに入るのかなって。おやつに入るとしても、ミカンは加工してないし、ボクが自分でむくなら、『他の人が作ったもの』にはならないと思うんだけど。そういうことでいいんだよね? ──駄目って言うなら、安室さん、毎日ミカンむかなきゃ駄目ってことになるよ」
安室がこの前言ったことというのは、「おやつは自分が作ったものだけを食べて欲しい」「他の人が作ったものは食べないで欲しい」と言ったことだろう。
だから、ミカンがおやつで、コナン自身がむいたものも「他の人の手によるもの」になるなら、安室がむいてくれるのかと。
──あんな、我ながら一方的で独占欲丸出しのお願いを、一蹴せずに、真面目に守ろうとしてくれているのか。
そう理解して、思わず手に力がこもり、慌ててミカンを離す。
「どうなの?」
「──あー、えっと……」
どうしよう。嬉しい。
安室が思っている以上に、コナンは安室のことを気にしてくれていて、安室の気持ちを受け入れてくれているのかもしれない。
安室は緩んだ口元を押さえながら答える。
「……ミカンは、果物だから。食べ過ぎなければコナンくんの好きに食べていいと思う」
「うん」
「でも」
「でも?」
「ミカンをむいてあげたり、むいてもらったりするのは……僕とだけにしてくれると、嬉しいな」
許されている、という気持ちで更にワガママなことを口にしてしまう。
コナンは一瞬首を傾げ、そして真っ赤になった。
「なっ……」
「駄目?」
「だっ……言われなくたってミカン誰かにむいてあげたりとかしないよ!」
「さっき僕にむいてくれたじゃないか」
「それは、安室さんだから! っ、て、あ……いや、安室さんお客様だし、むいてあげないと食べにくいだろうし……それに、ここまで運んでくれたお礼って言うか、いつものおやつのお礼って言うか、結局お茶もいれてもらっちゃったし……だからその、特別にだよ」
しどろもどろに言うコナンの顔をのぞき込む。
「……いつも毛利先生や蘭さんにむいてあげてるんじゃないの?」
「ないよ」
「──そう」
特別に。
その言葉を胸の内で繰り返して、笑う。
「ふーん。……そっか」
「ちょっと、何笑ってるの!? 何か文句ある?」
「ないよ。ない、ない」
「嘘だ、絶っ対、馬鹿にしてる!!」
そんなわけないよ、と笑いながらたしなめようとした時、背後で「ふがっ」と声がした。
──そういえば小五郎がいたのだった。
コナンの大声で起きたらしい小五郎は、顔をしかめて「ふあーっ」とあくびをし、コナンと安室を見た。
「コナン、お前帰ってたのか。なんで安室くんが──」
言って、机の上のミカンの箱を見て事情を察したのか、小五郎はガシガシと頭をかきながら安室に礼を言った。
「あー、悪いな。こいつが無理言って手伝わせたんだろ」
「いえ、たまたま八百屋さんで会って、僕から申し出たんです」
「本当か? ならいいんだけどよ。──しかしまた、随分買ったな」
箱をのぞき込みながら言う小五郎に、コナンが口をとがらせる。
「だって八百屋のおじさんがその方がお得だよって」
「先生や蘭さんも食べるなら、このくらいすぐ消費できるでしょうしね」
「まーな」
小五郎は肩をすくめて箱からミカンを取り出して、さっさとむくと筋など気にせず口に入れた。
「ん、まあまあ甘いな」
安室は放置していたミカンを手に取り、皮をむいた。──一瞬力を入れてしまった時に一部潰れてしまったのか、べちゃっとしている。
顔をしかめた安室に気づいたコナンが横からのぞき込み、ひょいとそれを取って半分に割ると、潰れた方を口に入れ、もう半分を安室の手に戻した。
口いっぱいに頬張ったミカンを飲み込み、コナンはふふんと笑う。
「安室さん、ほんとにミカンむくの下手なんだね」
「あー? 何言ってんだ。ミカンの皮むくのに上手いも下手もないだろ」
「あるもん」
「……そうですね」
ミカンを口に入れると、何となく、先程食べたコナンがむいてくれたミカンよりも、酸っぱい気がした。
安室は笑った。
「上手い下手はあると思いますよ。コナンくんは上手だから、今度から、ミカンを食べる時はコナンくんにむいてもらおうかな。──お願いできる?」
そう言うと、テーブルの下で軽く足を蹴られたが、否とは言われなかった。その反応にこっそりと笑う。
ならば、またむいてもらおう。──と言っても、どんなシチュエーションならそれが叶うかは、わからないけれど。
(そうだ。こたつとミカンを買って、うちに遊びに来ないか誘ってみようか。──見られて困るものは隠せばいいし)
警戒されるかもしれないが、好奇心が強いこの子のことだ。勝算は十分にある。
ミカンのむき方で口論しているコナンと小五郎を眺めながら、安室は早速、どんなこたつがいいかな、と考え始めた。