あの子好みの味は




※時間軸設定がふわっふわですがお茶会前だと思います





「ねえ、コナンちゃん。今日の夕飯何にする? 何か食べたいものある?」

 有希子がスーパーのカートにカゴを乗せながら問いかけると、コナンは「何でもいいよ」とどうでも良さげに返事をした。
 「面倒臭い」と顔全体に書いている息子を見下ろして、有希子はため息をついた。
 寝転がって本を読んでいたのを叩き起こして、無理矢理買い物に連れ出したので拗ねているのだ。まったく、久しぶりに帰ってきたのだから一緒にいたいし話もしたい親心を、一切理解していない。
 ──年末。有希子は日本で息子と年を越すために帰国していた。仕事がある優作は、少し遅れて明日大晦日に戻ってくる予定。なので今日までは「親戚の有希子と過ごすから」と毛利家から一時的に戻ってきたコナンと二人だ。
 工藤家には普段、沖矢昴という居候がいるのだが、沖矢は年末年始、お隣の阿笠家にお泊まりだった。一昨日帰国した有希子とコナンを気遣った──のか、それを口実に哀たちの近くで過ごしたかったのか。どちらの優先順位が高いのかは不明だが、折角気を遣って作ってくれた親子水入らずの時間だ。それなのにコナンときたら、「好きなだけ本が読める」と大掃除もろくに手伝わず、ずっとソファでだらだら本を読んでいるのだから、嫌になってしまう。今日はお餅も作らなければならないのに、こんな調子では困ると、昼食後買い物に引きずり出したのだ。
 ふわ、とあくびをするコナンを抱き上げて視線を合わる。

「何でもいいが一番困るの!」
「そんなたこと言ったってさー……」

 コナンは面倒臭そうだ。

「お肉が良いとか、お魚が良いとか、せめてそのくらいあるでしょ!」
「えー……あ、そうだ」

 コナンはパッと表情を明るくした。

「煮込みハンバーグがいい」
「煮込みハンバーグ? いいわよ。そういえば最近ハンバーグ作ってなかったわね。ソースは? デミグラス?」
「トマトのやつ!」
「トマトね、任せて」

 献立が決まれば、あとはパッパと買い物だ。コナンを下ろして、玉ねぎを二つ取ってくるよう指示する。
 コナンはしぶしぶ野菜売り場から玉ねぎを取った。小さな玉ねぎを選ぶので、「その隣」と大きいものを取らせる。

「……でもなんで煮込みハンバーグ? 普通のハンバーグじゃなくて」

 ハンバーグは、息子が比較的好んで食べる料理だ。だからハンバーグ、というリクエストはわかるのだが、工藤家ではスタンダードなハンバーグしか出したことがなく、煮込みハンバーグを作った記憶はなかった。
 コナンは玉ねぎを有希子に渡しながら答える。

「こないだ食べたポアロの煮込みハンバーグがすっげー美味かったからさ」

 玉ねぎをカゴに入れ、手を止める。

「……ポアロ?」
「おう」

 コナンは「次何取ればいい? にんじん?」と言いながらちょこちょこ歩き出す。「人参はうちにあるからいいわ」と答えながら、有希子はふむ、と小さくなった息子の後ろ姿を見つめた。

 ポアロというのは、コナンが居候している毛利家の下にある喫茶店だ。毛利家は、蘭が忙しい時などに、よくそこでご飯を食べている。
 ポアロは元々本格的なコーヒーが飲める店として知る人ぞ知る存在だったが、最近ではフードメニューも美味しいと評判だ。原因は、アルバイト店員である安室透。料理上手な彼が入ったことで、フードメニューの質が上がったのだ。
 有希子は、コナンや赤井から、安室のことを聞いている。組織の幹部・バーボンであること。しかし正体は公安警察の潜入捜査官であること。ポアロにも、組織のバーボンとして小五郎やコナンを監視する目的でいるはずで、コナンとは、敵味方という単純な言葉では言い表せない関係である。
 コナンもどちらかと言えば安室に対して警戒が強い──はずなのだが、有希子は組織がらみではない話で、コナンから彼の名前をよく聞いていた。
 組織がらみではない話──主に、食事の話題だ。
 ポアロで食べたあれが美味しかった、これが美味しかったと、外食の時に、うちで食事をする時にも、よく聞くのである。昨日だって、コナンは有希子が作ったパウンドケーキを食べながら、クリスマスパーティーで安室が作ったケーキが美味しかったと話していた。
 ──比較されたわけではないが、正直、ちょっと面白くなかった。
 有希子は決して、料理上手な母親ではない。普通に出来るが、それだけだ。忙しくて買ってきたもので済ますこともあったし、そもそもここ数年は別居していたのでろくにご飯を作ってやってもいない。それもあって、帰ってくると普段そこまで熱心ではない料理に張り切ってしまうのだ。
 新一は、有希子の手料理はともかく、外では有希子たちに連れられて美味しいもの・高級なものを食べ慣れているからか、舌が肥えている。そのくせ、食に大した興味がないから、滅多なことでは「美味しい」と言わない。蘭に食事を作ってもらうことが増えた一人暮らしの時も、体が縮んで居候しているいまも、蘭の料理を話題に出して「美味しい」と言ったことはない。まずいとは絶対に思っていないだろうし、幼なじみの彼女の手料理には、それだけで価値があるだろうが、しかし、蘭は特に料理の勉強をしたわけではない、ただ日々家事をこなしている女子高生だ。作る料理がものすごく美味しいわけではないのだろう。息子はそういうところ、無自覚に正直で──ある意味失礼な子なのである。
 その息子が、手放しで褒める存在。それが安室透だった。

(今日、煮込みハンバーグを作って「ポアロのハンバーグの方が美味い」とか思われたら…………とってもしゃくだわ!)

 有希子はむむむ、とトマト缶をにらむ。

「母さん? どーしたんだよ、トマトにらんで……あ、もしかして煮込みハンバーグって作るの難しいの? 出来ないなら」
「難しくありません! 私も作れます!」

 有希子はトマト缶をカゴに入れた。
 レシピを調べて、絶対に美味しい煮込みハンバーグを作らなければならない。スパイス類はうちにあるし……と考えながら、勢いをつけてカートを押す。
 と、コナンが足を止めた。

「コナンちゃん?」

 有希子の声に、コナンではなく、少し離れたスパイスの棚の前にいた男が、振り返る。
 その顔を見て、有希子は目を丸くした。

「……あら」
「コナンくん……?」
「……安室さん」

 そう。そこにいたのは、安室透だった。
 買い物だろうか。すごい偶然だ。
 コートにマフラー姿の安室はコナンを見て、その後ろの有希子を見ると、戸惑った様子で頭を下げた。

「……どうも。こんにちは」
「こんにちは!」

 にっこり微笑んで二人に歩み寄る有希子を見上げ、コナンが歯切れ悪く言う。

「あ、えっと、ポアロの安室さん。……で、こっちは遠い親戚のおばさんで」
「お姉さん、でしょ! はじめまして。コナンちゃんの遠い親戚の工藤有希子と申します。いつもコナンちゃんがお世話になってます」
「いえ、そんな……」

 安室は、どこか困った様子でコナンを見て、また有希子に視線を戻した。
 おそらくこの人は、コナンと工藤新一の関係に薄々気づいている。真実を知ってどういう態度をとるかは未知数だが、いまはまだ、そうと打ち明ける時期ではない。多分それは、安室の側でも同じ考えのはずで、だからこそ、有希子とコナンの組合せを目の前に提示されて対処に困っているのだろう。
 コナンも、思わぬところで出会った安室にどう対応していいのか困っているようだった。

「えっと、安室さんはポアロの買い出し?」
「いや、これはうちの……今日は休みなんだ」
「そっか。良かったね……?」
「コナンくんは……そういえば年末年始は親戚のお家って言ってたね」
「うん、そう……」

 コナンと安室は、ぎこちない会話をしている。端から見ているとお見合いのようで何だか面白い。
 有希子は安室に声をかける。

「お家のお買い物? スパイスなんて、本格的なお料理をされるのね」

 安室はどこかホッとした様子で有希子に視線を向けた。

「いえ、そんな。素人の趣味程度のものです」

 ──素人の、趣味。

「……へぇー」

 有希子はにっこりと、微笑んだ。
 有希子の笑みに、安室は危険な気配を察知したのか、少し身を引く。
 その顔に、「急になんだ」「何かしちゃったか」と書いてあるが、自分の言ったことをよく思い出してみるといい。
 趣味程度。人の息子の胃袋をつかんでおいて、趣味とはよく言えたものだ。
 安室は恐る恐るといった様子で笑みを浮かべ、手にしていたカゴを持ち直す。

「では、僕はここで失礼」
「ねえ、安室さん」

 逃がしてなるものかと遮って、腕をつかむ。

「よろしければ、うちに遊びにいらっしゃらない?」
「──はぁっ!? か、有希子お姉さん、何言ってんの!?」

 コナンが叫ぶ。それを無視して、呆気にとられている安室ににっこりと微笑む。

「あのね、今日うち、お餅をつくの」
「……は?」

 安室は目を丸くし、ぽかんと口を開いた。

「お餅よ、お餅。安室さん、お餅はお好き?」
「え? ええ、はい、それはまあ」
「まあ、良かった! お餅を作らないといけないのに、コナンちゃんと二人で、男手も無くて困ってたところなの。──よろしければ、お手伝いして下さらない?」

 小首を傾げ、「ね?」と駄目押しでお願いする。現役時代「有希ちゃんにそこまでお願いされたら断れないな」と老若男女問わず数多の人間をうなずかせてきたとっておきの必殺技だ。
 コナンが視界の端で苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。
 安室は、ひどく困惑した顔で有希子を見つめ、コナンを見下ろし、ややあって、諦めたようにうなずいた。





「うちはね、お正月の鏡餅を作るついでに、年末年始に食べるお餅を作るのよ」

 強引に連れ込んだ工藤邸の玄関を開けながら、そう説明する。

「あ、鏡餅っていってもそんな大きなものじゃないの。みかんが乗るか乗らないかくらいの大きさの……その方が、後で食べる時も楽でしょう?」
「そうですね。──お邪魔します」

 安室は非常に居心地悪げに敷居をまたいだ。
 以前うちに来た時に何があったかは、優作からもコナンからも聞いている。そりゃあ、入りにくいだろう。それでも、沖矢が不在と話したためやや気が楽になったのか、誘いをかけた時よりは落ちついている。
 一方、落ち着かない様子なのはコナンだ。そわそわと安室を見上げ、非難するように有希子を見るのを繰り返している。

「餅つき、と仰いましたが、道具はどこに? どこでやるんでしょうか」

 手洗いうがいをすませコートを脱いだ安室が、腕まくりしながらたずねてくる。

「え? ああ、これこれ!」

 キッチンに入った有希子は、用意していた餅つき器をぽんぽんと叩いた。安室はそれをじっと見つめる。

「……餅つき器ですね」
「そうよ! これで作ると楽なの」

 騙されたと怒っている──というより何だかがっかりしているように見える安室が何を想像していたか知らないが、今どき臼と杵で餅を作るのは手間だ。
 コナンが顔をしかめた。

「だよね? うち、餅つき器あるよね? それじゃ安室さんに何させるつもりで呼んだんだよ!」
「決まってるじゃない、お餅を丸めるのを手伝ってもらうのよ! 私とコナンちゃんの二人だと、お餅がかたくなる前に丸め終わらないでしょ」
「いや、でもさぁ……」

 コナンは顔をしかめる。有希子は浸漬してした餅米のざるを引き上げて、水切りする。

「これをちょっと置いておいてー、後は餅つき器に入れるだけ!」
「……何時間かかるんだよ」
「一時間半くらいじゃない? ──だ、か、ら。その間に、お茶でもしましょ!」

 安室を呼んだ理由は、お話がしたかったからで、餅は当然、口実だ。
 まだぶすくれているコナンと、困っている様子の安室をダイニングのテーブルに座らせて、有希子は昨日の残りのパウンドケーキを取り出した。一緒に出すのは紅茶だ。コナンはコーヒーを飲みたがるだろうが、レモンのパウンドケーキには紅茶が合うのである。
 お気に入りのティーポットに紅茶を入れて、皿に乗せたパウンドケーキを置くと、安室は「ありがとうございます」と頭を下げた。

「遠慮せず食べてね! 素人の手作りだからあまり美味しくないかもしれないけど」
「そんな。いただきます」

 安室は丁寧にそう言うと、フォークをざっくりと大きく入れて、ぱくりと口に運んだ。食べ方が豪快で男の子らしい。
 反応をうかがっていると、安室は一口目を飲み込んで口元をほころばせる。

「──とっても美味しいです」
「ほんと?」
「はい。レモンのパウンドケーキ、レモンピールの苦味が出がちですが、これは苦味がほとんどなくて酸味がすごくよく出ていて」

 安室のコメントに、有希子は紅茶を入れる手を止め、身を乗り出した。

「! わかってくれる? そうなの! すっごく苦労して出来た自信作なのよ」
「へー、そうなの?」

 ほっぺたいっぱいにもしゃもしゃと頬張っていたコナンが、口の中のケーキの飲み込んで、目を丸くする。反応が軽い。
 有希子は頬をふくらませた。

「そうよ!」
「まず、レモンピールを思うような味にするのが難しいですよね」

 二口目を口に運びながら安室が言う。全くその通りだったので、有希子はぶんぶんとうなずいた。

「そうなの、そうなの! 酸味をうまく残したいなって思うと苦味が強く出ちゃうし、かといって苦味を消そうと糖分増やすと甘くなりすぎるし……」
「オレンジも難しいですけど、レモンはそれ以上ですよね」
「そう! でもね、レモンはコナンちゃんの大好物だから。どーしても『これ!』っていう味にしたかったの」
「そうなんですか」

 安室はパウンドケーキをゆっくりと飲み込んで、コナンを見た。

「コナンくんのためのケーキなんだね」
「本人はぜーんぜん、わかってないけどね」

 二人の視線を受けたコナンが、複雑そうな表情で顔をしかめる。

「……それは、ありがと……だけど、ボクレモンが好きなんて言ったっけ」
「言わなくても、見てればわかるわよ」
「コナンくん、さっぱりした味好きだよね。ベリー系とか」

 その通りだ。
 安室は思っていたよりずっと、コナンのことをよく見ているようだ。

「そうなの。安室さんもわかる? でもコナンちゃん、ベリーは好きなのにレーズンが駄目なのよ。知ってた?」
「そうなんですか? 初耳です」
「ふふ。ポアロで出すメニューにはレーズン入れないであげてね」
「はい」

 真っ赤になるコナンを見て、安室が笑う。有希子は微笑んで、紅茶を出した。夢中になって少し長く置いてしまったが、多分大丈夫だろう。
 安室は「美味しいです」と紅茶も褒めてくれた。

「透くん……いい子ね!」

 有希子は、「勝手に息子の胃をつかんで」と嫉妬していたことも忘れて、思わずつぶやいた。
 安室は目を丸くしてむせ、コナンは顔をしかめた。

「ちょっと、『透くん』って何だよ。馴れ馴れしいよ! ──安室さんも何赤くなってるの!?」
「え。……はい」

 安室が赤くなったのは有希子が呼んだ時ではないと思うのだが、コナンは気づいていないようだ。

(──ふむ)

 安室がコナンをよく見ているのは、監視・観察の一環だと思っていたのだが、少し様子が違うようだ。
 そしてそれは、コナンの方もらしい。警戒しているだけなのかと思いきや、ある意味安室に気を許しているらしい。素の態度できゃんきゃん噛みついている。

「言っとくけど、有希子おばさんは人妻で子持ちなんだからね」
「勿論、知ってるよ」

 安室は眉を下げる。そして楽しそうに観察している有希子に気づくと一瞬困った顔をしたが、すぐにその表情を消して、にっこりと笑みを浮かべた。

「でも工藤さんを見てると思い出すな。僕の初恋の人は近所の女医さんだったんですが、同い年の娘さんがいたんですよね」
「……なっ」

 コナンが絶句する。安室の表情を見るに、コナンをからかっているだけだろうが、コナンの反応が面白いので「あら」と満更でもなさそうな反応をしてやる。
 コナンはバシバシと有希子の腕を叩いた。

「~~っ、ちょっと有希子おばさん! 優作おじさんに言いつけるからね!」

 有希子はふーんとそっぽを向く。

「良いわよー、好きにすれば? 褒めてもらえたら嬉しいのは、当たり前だもの。お料理しないコナンちゃんにはわからないでしょ。私が、美味しいもの食べて欲しいって気持ちでどれだけ頑張ったか! 確かにそんなの私の自己満足だけど、やっぱり理解してもらえたら嬉しいもの。うちの男どもときたら、その辺全然、わかってないんだから」
「……別に、オレだって美味いと思って食べてるし」

 コナンはぷすーっとふくれる。有希子はそのほっぺたをつついた。

「昨日私の手作りケーキ食べながら、『クリスマスに食べたポアロのケーキは美味しかった』って言ったの誰よ」
「そっ……」

 コナンの顔が赤くなる。コナンはちらりと安室を見て、視線が合うとそらして、叫んだ。

「それ、は! か、有希子おばさんがクリスマスはどうだったかって聞いたからでしょ!」
「……そうだったかしら?」

 有希子はわざとらしく首を傾げて、コナンの真っ赤な頬を引っ張った。もちもちの頬は良く伸びた。

「今日だって、ポアロで食べた煮込みハンバーグが美味しかったから晩ご飯はそれがいいなんて……」
「ちがっ」
「あ、そうだ透くん」

 コナンの頬を引っ張るのを止めて、安室を振り返る。
 安室はいつの間にかケーキを食べきって、こちらを眺めていた。よく食べるのは良い子の証だ。
 有希子に声をかけられて、安室は我に返ったように姿勢を正した。

「え、あ、はい」
「せっかくだから、煮込みハンバーグの作り方、教えてくれない?」
「ちょっと!」

 コナンが慌てたように声をあげる。

「何言ってんだよ! 安室さん、こんなの聞かなくっていいんだからね!」
「でも、お餅が出来上がるまであと一時間はあるし……ねっ、駄目かしら?」

 小首を傾げて「お願い」と言うと、安室は目を瞬かせた後で、苦笑した。

「……さすが、よく似てる」
「え?」

 予想していたのと違う反応に、首を傾げると、安室はまた苦笑した。

「いえ、何でもありません。──僕でよろしければ」




「ハンバーグには、特別なものは使ってないんです。ポアロでは業務用のハンバーグ使ってるくらいなので」

 だから、時間もそんなに無いしソースだけ作りましょう、と安室は言った。
 ついでに水切りを終えた餅米を入れて、キッチンからダイニングに移した餅つき器のスイッチもオン。──これで一時間ほど待てば餅が出来る。

「はい、先生。材料は、それっぽいものを買ってきたんだけど大丈夫かしら」
「──はい、十分です。あと、味噌はありますか?」
「お味噌? あるわよ」

 有希子は冷蔵庫から味噌を取り出す。受け取って、安室は微笑んだ。

「実は、隠し味はそれなんです。後は、すりおろした玉ねぎを加えること。単純なレシピです」
「なるほど、お味噌ね」
「洋風のお料理にも意外と合うんですよ」

 エプロンをした安室は手際良く玉ねぎをする。さすが手つきが慣れている。──ちなみにこのエプロンは普段沖矢が使っているものだが、それは言わないでおいてあげよう。

(やっぱり料理する男の人はかっこいいわねー。優作も料理しないかしら……)

 そんなことを考えながら安室の説明に耳を傾けていると、隣で見ていたコナンに肘を入れられた。お行儀の悪い子だと抱っこして抱え込む。
 コナンはむすっとした顔で口を開く。

「……前に、ハムサンドの隠し味にも味噌使ってたよね」
「良く覚えてたね。そうそう。実はあまりバリエーションないんだよ、僕の料理。味噌を入れておけばいいと思ってる」

 安室は冗談めかして言う。
 玉ねぎのツンとくる香りが漂ってきて、コナンが目をしぱしぱさせた。眼鏡をかけているのに、有希子より目にきている様子なのは、位置が低くて玉ねぎに近いからだろうか。
 ちょっと離れていればと解放すると、不安げな顔で有希子を見上げ、しかし目の痛みには耐えかねたのか、すぐ戻ってくるとその場を離れた。洗面所で目を洗ってくるつもりなのだろう。
 心配そうに見送る安室に「大丈夫よ」と微笑むと、安室は少し背筋を伸ばした。
 有希子と二人になったので、緊張しているのかもしれない。有希子は笑った。

「そんな緊張しないで。じっと見てるとやりにくいかしら?」
「いえ」

 安室は首を振って、鍋にトマト缶をあけた。

「──ポアロで料理してるとよく、コナンくんがじっと見てるんですよ。ご親戚と言うだけあって、工藤さんとコナンくんはよく似てらっしゃる」
「そうかしら?」

 有希子からすれば、コナンに似ているのは優作の方だと思う。推理力のこともそう、何かに夢中になると他が目に入らなくなるところもそう。顔立ちも、有希子が大好きな夫によく似ている。ただ、他人からは、顔は有希子に似ていると言われることが多いかもしれない。有希子は自分の顔も嫌いではないから、どっちに似ててもいいかと思っているが、新一は、女親の自分に似てると言われるのが少し嫌そうだ。父親が大好きな子だから、優作に似てると言われる方が嬉しいのだろう、多分。

(透くんは、優作とちゃんと会ったことがないものね。──会ったら、どう思うかしら。やっぱり優作に似てるって思うかしら)

 じいっと見つめながら考えていると、安室は笑った。

「はい。よく似てらっしゃると思いますよ。好奇心いっぱいな目が、特に似てる」

 有希子は目を瞬かせた。
 ──驚いた。
 まさか安室が、優作と同じことを言うとは。
 優作は、新一がどちらに似てるかの話になると必ず、「好奇心が強いところは確実に君譲りだな」と言うのだ。
 ──不意に、優作に会いたくなった。
 数日前まで一緒にいたし、明日になれば来るとわかっているけれど、早く来ればいいのにな、と恋しくなる。
 一年の終わりが近いこの日。優作のいないこの家で、小さくなった息子と、息子の味方か敵か不透明な、よく知らない男と三人でいるシチュエーションは、自らが作ったものとはいえ、何だか不思議だ。しかもその男を見て、優作を思い出すなんて。

「……ありがとう」

 微笑むと、安室はにこりと笑った。
 きれいな顔だ。有希子は面食いの自覚があるし、芸能界できれいな人間を見慣れているが、安室は彼らと比較しても遜色のない容色の持ち主だった。
 でも、優作とは似ていない。顔立ちはどこか外国の血を感じさせるところがあり、一見細身に見えるが、服の上からでも、よく観察すれば鍛えていることはわかる。純日本人という顔立ちで、がっしりして見えるがデスクワークメインのため意外とお腹がぷよぷよしている優作(本人はものすごく気にしているので言わないけれど!)とは、対照的とも言える。なのに、優作を思い出すとは、本当に不思議なことだ。
 優作はこんなにまめじゃないし、と思いながら、煮込まれていくソースを見つめる。

「赤ワインがあれば、ちょっと入れるといいんですが」
「あるわよ!」

 立ち上がって、冷蔵庫からワインを取り出して渡す。

「いいワイン使ってらっしゃいますね」

 安室は苦笑した。確かに、料理用にはちょっと上等かもしれない。
 有希子は肩をすくめた。

「もらい物なの。夫は作家なんだけど、この時期お歳暮が多くて」
「工藤優作先生ですよね。もちろん存じ上げてます」
「ふふ」

 それはそうだろう。でも、前回ここに来た時に対峙した沖矢昴の正体がその工藤優作だとは、まだ気づいていないに違いない。知ったら卒倒してしまうかもしれない。
 有希子の笑みに安室は首を傾げたが、ワインを入れると「あとは少し煮詰めるだけです」と言った。

「ありがとう! よくわかったわ。急に無理言ってごめんなさいね」
「いえいえ」
「それにしても、手際がいいわね。透くん、お料理は誰に教わったの?」
「友人に」
「お友だち? 仲の良いお友だちなのね」

 料理を教わるなんて、よっぽど親しくないとしないだろう。そう言うと、安室は「ええ」とうなずいた。
 ビーッと音がする。
 もうすぐ餅がつき上がる合図だ。ソースは一度火を止めてダイニングを振り返ると、コナンがしゃがみ込んで、ふたを開けた餅つき器を眺めていた。
 餅つき器の中では、ぐるんぐるんと餅がこねられている。

「コナンちゃん、戻ってこないと思ったらお餅見てたの?」
「……二人で楽しそうに話してたから邪魔かと思って」

 むすっとふてくされるコナンに、吹き出してしまう。誰の話をしていたと思っているのだろう。
 安室に視線を向けると、安室は困った顔をしてコナンの隣にしゃがみ込んだ。

「コナンくん、初恋の人の話は冗談だから。工藤さんに余計なちょっかい出したりしないから、安心してくれないか」
「ふーん。あっそ。そんなのどうでもいいですけど」
「……何を怒ってるの?」
「怒ってません」
「コナンちゃんは仲間はずれに拗ねてるのよねー」

 有希子はため息をついて、コナンを抱き上げる。
 またビーッと音がして、餅が出来上がった。

「拗ねてないし!」
「なら、そのお餅みたいなほっぺを引っ込めて! ──ご機嫌直して、三人でお餅丸めましょ」
「オレもやるの?」
「当たり前でしょ!」

 有希子はコナンを安室に押しつけると、急いで手水と餅取り粉を準備して、ダイニングテーブルの上に餅を丸めるスペースを作った。

「透くん、うちでお餅ついた経験は?」
「ないです。町内会の行事とかで見たことはあるんですが……」
「なら、今度は私が先生ね」
「……先生って言ったって丸めるだけじゃん」
「あらっ滅多にお手伝いしてくれない子が何か言ってるわ~」
「手伝うよ。手伝えばいいんでしょ!」
「結構。私がお餅ちぎっていくから、二人で丸めてね」
「まさかそれで指導が終わりなの」
「コナンちゃんは経験者だし、透くんは器用だから大丈夫でしょ」
「それでどこが先生なんだよ……」

 餅を取り出す。ほかほかした餅のかたまりに、覗き込んだコナンと、安室も目を輝かせた。

「つきたてのお餅ってやっぱりいいわね!」
「はい」
「ねぇねぇ有希子お姉さん、お汁粉は明日?」

 あからさまにご機嫌取りになるコナンに苦笑する。
 コナンは普段そんなに積極的に甘いものを食べないが、お餅は雑煮よりお汁粉派なのだ。

「そうね。明日の朝。さ、いつまでも見てないで、早く丸めないと固くなっちゃうわよ」
「「はい」」

 良い子のお返事だ。
 熱いから気をつけないと、と思っていると、安室が餅をちぎる役を買って出てくれた。

「こんな大きな餅に触る機会もあまりないので、やらせていただけたら嬉しいです。熱いのは普段の料理で慣れてますし」
「じゃあお願いしちゃおうかしら」

 気の利くいい子だ。
 それに引き換え、とじろりとコナンを見ると、コナンはツンとそっぽを向く。

「はい、コナンくん」

 安室がさっそくちぎった餅をコナンの前に置く。

「……これさすがに小さすぎるよ」
「あれ? ごめん、加減がわからなくて」

 コナンの手でも丸めやすいように、と思って小さくちぎってくれたのだろうが、小さすぎたようだ。
 ちょこんと置かれた餅は確かにコナンの手でも包み隠せるくらいで、丸められたそれは安室なら一口で食べられそうに小さい。
 可愛らしい餅を見て思わず笑う。

「いいのいいの、たくさんあるんだから。小さいお餅があってもオッケーよ。どんどん行きましょう!」
「鏡餅の上の段、これくらい?」
「ええ、そのくらいでいいわね」
「じゃああとはお汁粉用の餅だ」

 コナンはせっせと丸め始める。
 たくさんと言っても元々、鏡餅分と、三人か四人で消費しきれる程度の量だ。
 二個目で感覚をつかんだ安室が手際良く餅をちぎるのに合わせてせっせと餅を丸め、途中から安室も丸めるのを手伝い、手こずるコナンを手伝ってくれて、不器用さをからかったら拗ねてしまって安室がオロオロそれをなだめ──とわいわい作業をしているうちに餅は無事丸め終わった。
 すっかり夕刻になり、安室は帰ることになった。

「お夕飯、食べて行けばいいのに」
「いえ、用もありますので」
「そう。ごめんなさいね、急にお誘いして、お手伝いだけさせちゃって」
「とんでもない。楽しかったです」
「お餅持って帰ってね。まだちゃんと固まってないから形が崩れちゃうかもしれないけど」

 保存袋に入れた餅と、ついでに褒めてくれたパウンドケーキの残りを渡すと、安室は恐縮しながら受け取った。

「ボク、そこまで送ってく! ちょっと待ってて」
「え。コナンくん? いいよそんな、」

 暗いし、とでも続けようとしたのだろうが、コナンはもうコートを取りに行ってしまっていた。

「近くなんでしょ? 送らせてあげて。この辺の道はそう暗くないし。──私がずーっと透くんとおしゃべりしてたから、きっとお話し足りないんじゃないかしら。きっと後で、私ばっかり話して、って怒られちゃうわ」

 肩をすくめると、安室は困ったように首を振った。

「いえ、どちらかと言うと僕が釘を刺されるんじゃないかと……余計なことしたらただじゃ置かないって視線でしたから」
「それは透くんがからかうからよ」
「はい。すみません」

 しかると、安室は神妙にうなずいた。
 その顔をじっと見て、小さく笑う。

「──今日、本当に急にごめんなさいね。昨日も今日も、コナンちゃんがあなたの料理を褒めるから、つい意地悪を──というか、ちょっかい出したくなっちゃって」

 安室は目を丸くして、そのあとでふっと笑った。

「とんでもない。それに実は、今日は余計なことをしたかもしれないなど思っていたんです。ハンバーグソース」
「どうして?」
「コナンくん、ポアロでハンバーグ食べた時に、言ってたんですよ。『うちのハンバーグもすごく美味しいけど、これも美味しい』って。──毛利さんの家の料理のことだったら、コナンくんは『蘭姉ちゃんの』って言いますから。彼が言っていたのは、別の……工藤さんの料理のことかなと。だとしたら、せっかく工藤さんのハンバーグが食べられるはずだったのに、僕がハンバーグソースを作ってしまったから、密かにがっかりしているんじゃないかなと」
「……そんなこと言ってたの」
「ええ。……なので」

 安室は少し言いにくそうに続ける。

「今日は、コナンくんがそんな風に言う料理はどんな料理かなと……比較されたようで勝手に気になって、お邪魔したのもあるんです」

 有希子は目を瞬かせた。
 ──比較されたような気がして、勝手に気になって。
 まさか、安室も有希子と同じことを思っていたとは。
 有希子は吹き出した。

「それ、は。ごめんなさい。おもてなしも出来ずに」
「いえ、ケーキをいただきましたし」
「でも、私だけライバルから情報をもらったことになるわ!」
「ライバル」
「そうよ。コナンちゃんの胃袋をつかむ」

 安室は笑った。

「光栄です。──では、あの、もしよろしければ教えていただきたいことがあるんですが」
「なあに?」
「──コナンくんが。クリスマスパーティーの時、ケーキを食べながら年末年始の話をしていて……大晦日に食べるお汁粉が一番、と言っていたんです。なので、よろしければレシピを……」

 有希子が目を丸くして見つめると、じわりと、安室の顔が赤くなる。
 有希子は笑った。

「もちろんよ!」

 そこに、コナンが戻ってきた。

「お待たせ! さあ安室さん行こう」

 ぐいぐいとコナンが安室の背を押す。
 ──有希子から安室を遠ざけようとしているのか。安室から有希子を遠ざけようとしているのか。どちらかはわからないが、可愛い息子は有希子と安室が仲良くしているのがお気に召さないらしい。
 有希子は安室にウインクした。

「じゃあ、それは今度渡すわね。今日はありがとう、透くん」
「楽しみにしてます。こちらこそ、ありがとうございました。──良いお年を」
「ええ、良いお年を」
「何? 何の話?」
「何でもないよ。行こうか。でも、門のところまででいいよ?」
「いいから! うちまで送るから!」
「気をつけて。──ハンバーグ作って待ってるから、早く帰ってくるのよ?」

 そう言うと、コナンはべっと舌を出して、安室の背中を押して、行ってしまった。
 二人の姿が消えるのを見送って、ドアを閉める。

「さて」

 ハンバーグを作って。あと、明日の朝用に、小豆を煮始めよう。漬けでおいた豆はそろそろいい具合になっているはずだ。
 作りながら、レシピを書き起こそう。大した工夫はしていなくて、少しだけ甘さ控えめなだけだから、レシピを見た安室は拍子抜けするかもしれないが、「誰かのための」レシピなんて、きっとそんなものだ。
 年末、お餅をついた次の日の朝に食べるお汁粉は、繁忙期で優作が不在がちなこともあって、有希子と新一の二人のメニューだった。明日も、優作が到着するのは夕方だから、いつも通り二人のお汁粉になるだろう。そのレシピを教えてしまうのはちょっと惜しい気もするけれど、でも、もし有希子が帰れない年があっても、他に作ってくれる人がいると思えば、教えてもいいと思えた。

(でも、その相手が透くんとは。──わからないものね)

 有希子はキッチンで、安室の作ったソースを味見する。トマトの酸味が残った、でも優しい味のするソース。これを息子が「美味しい」と言ったのは、よくわかる。息子好みの味だ。

(ハンバーグはいつも通りに作って──これからもたまには、この煮込みハンバーグを作るのもいいかもね)

 優作もきっと気に入る気がする。
 家庭の味というのは結局のところ、家族の好きな味のことだ。コナンが好きと言った安室のレシピが新しい工藤家の味になっていくのも、面白いのではないかと、有希子は思う。
 レシピと一緒に、コナンの好きな食べ物や嫌いな食べ物も書いておこうかな、と思いながら、有希子はお気に入りのレターセットを取りに部屋に向かった。