普通の関係
「えーっ、あむぴすご!」
阿笠博士の家に向かう途中、耳に飛び込んできた聞き慣れた名前に、コナンは足を止めた。
「さすが喫茶店のウェイター」
「や、あむぴの本職って探偵じゃなかった?」
「そーだった。要るの、探偵にそのスキル?」
道路脇の、公園と言うほどの広さはないちょっとした休憩スペースに、きゃいきゃいとにぎやかな声をあげる三人の制服を着た少女たちと、それに囲まれた安室透の姿がある。
安室の手にはエコバッグが下がっていて、どうやら買い物帰りに女子高生につかまったらしかった。
(あーあ。まーたやってら)
コナンは苦笑した。
安室透は、モテる。
あの整った容姿なら仕方ない気もするが、よくあれで潜入捜査官なんてやっていられるものだ。
潜入捜査みたいな任務には、もう少し平凡な見た目の人間が向いているのではないだろうか。それこそ、彼の眼鏡の部下のような。──いや、彼は彼で、いかにも警察官という見た目だから向いてはいないか。
少し前、博物館で怪盗キッドとやり合った時のことを思い出していると、高い声が響いた。
「あーっ、あれ、あむぴの甥っ子くんじゃん!」
「え」
顔を上げると、女子高生がこちらを指さしている。
(甥っ子?)
一瞬戸惑ったが、思い当たる。
おそらくあの少女も、あの時博物館にいたのだろう。並んでいる所を見られて、一緒に展覧会を見に来るなんてどんな関係か、甥っ子では、と噂されたことを思い出す。
コナンと目が合った安室が苦笑した。どうやらお困りの様子だ。
(……しゃーねーな)
コナンはため息をついた。
出がけに見たポアロの店内は、梓一人で忙しそうだったし、早く帰してやった方がいいだろう。
「甥っ子くん、おいでおいで!」
猫の子でも呼ぶように手招きされ、コナンはもう一度ため息をつくと、小学生の仮面をかぶって近づいた。
「えっと、」
安室さん、と呼びかけようとして、考える。
──もしかしたら、甥と勘違いされたままの方がこの場から安室を連れ出しやすいのではないか。
コナンは笑顔を作って安室を見上げ、言った。
「偶然だね! 安室のおじさん!」
すると。安室も、女子高生たちもピタリと動きを止め、真顔になった。
「え?」と戸惑ったコナンに、一拍置いて笑い声があがる。
「やっだ、甥っ子くんヨソヨソシー!」
「他人ギョーギ!」
女子高生たちはまたドッと笑う。
安室はなんとも言えない微妙な表情だ。
「あむぴかわいそすぎ。自称アラサーつってもイケメンなんだし、おじさんはないっしょ」
「そうそう、おにーさんって言ってあげないと」
「だいたいなんで名字呼び? 普通名前でしょ」
ええ、とコナンは内心戸惑う。
なんだその言いがかりは。おじさんって、そういうものなのか。
コナン自身、というか、工藤家は父方も母方も親戚付き合いがないので、おじさんという存在に馴染みがないのである。
「甥っ子くん、いつもこうなの?」
「怒ってるんじゃない?」
「えー、何、喧嘩中?」
女子高生たちは勝手に話を進め、安室を振り返る。
安室は一瞬間を置いて、困ったような笑みを浮かべた。
「うん……ちょっとね」
「え、マジで? どうして」
「甥っ子くんなんかイタズラでもした?」
「いや、僕が……」
「あむぴが? 何したの?」
「なになに」
女子高生たちは意味深に黙り込んだ安室を見つめる。
安室は口元に手を当て、目を伏せた。
(オイオイ、何言う気だよ)
深刻そうな様子に、女子高生たちはゴクリと息をのむ。
「実は」
「…………実は?」
視線が集まる中で、安室は重い口を開いた。
「──昨日、僕がコナンくんのプリン、勝手に食べちゃったんだ」
「…………は?」
一瞬間を置いて、空気が解ける。
女子高生たちは一斉に明るい声をあげた。
「何それ!」
「えー! それはあむぴが悪い」
「有罪」
「懲役」
安室の下らない嘘を疑いもしない彼女たちは、笑って安室を非難し、コナンの頭をわしゃわしゃとなでた。
「かわいそう」
「それはおじさん呼びで仕方ないよ」
「甥っ子くん、コナンくんってゆーの? イケてるね」
「プリンの代わりにアメ食べる?」
「ハハ……お姉さんたち、ありがとう」
アメを握らされたコナンはへらりと笑う。
「甥っ子くん的には、まだ怒ってる感じ?」
「え? ええと……」
これは、どう答えるのが正しいのか。
安室が無意味にこんな茶番を始めるはずはないが、どういう意図かがまだつかめていない。
口ごもったコナンに、安室は眉を下げた。
「──まだ怒ってる?」
いかにも悲しそうな声でたずね、しゃがんでコナンと視線を合わせる。
じっと見つめると、安室はそっとコナンの手を取った。
「ごめんね。ポアロでプリンごちそうするから、許してくれないか」
(──なるほど)
理解した。
これでこの場から離脱する流れか。
コナンは仕方ないなと拗ねた顔を作って、安室を上目遣いに見た。
「……ひとつだけ?」
子どもの甘えるような声に、安室は優しく答える。
「もちろん、好きなだけ食べていいよ」
「……なら、許してあげる」
不承不承許してあげました、というポーズでうなずくと、安室はホッと笑み崩れた。
「良かった」
おお、と見守っていた女子高生たちが拍手する。
「良かったねあむぴ」
「感動の和解だ」
「もう甥っ子くんのプリン食べちゃ駄目だよ」
「うん。もうしないよ」
やれやれとコナンはため息をつく。
後はこの場を去るだけだ。
──しかし。
差し出された手を握ったところで、安室がしみじみと言った。
「もう二度とお兄ちゃんって呼んでくれないんじゃないかって、不安で今日は仕事も手につかなかったよ」
(──は?)
バッと、女子高生の視線がコナンに集中する。
何かを期待するような視線。
(え? いやいやいやいや)
助けを求め安室を見上げれば、安室まで何か期待するような目でこちらを見下ろしてくる。
(何でだよ!)
コナンは目をむいた。
何故だ。このままこの場を去る流ではなかったのか。
何がしたい。嫌がらせか。
コナンは安室を助けに来てやったはずである。なのにこの裏切り、どういうつもりなのだ。
にらむと、安室は悲しげな表情になった。
「まだ怒ってる……?」
しょんぼりした様子に、女子高生たちはコロリと騙された。
「あむぴ……」
「……僕、嫌われちゃったかな」
「そんなはずないって!」
「そうだよ!」
口々に励まし、一斉にコナンに迫る。
「甥っ子くん、ね、怒ってないよね?」
「大丈夫だよね?」
「アメもう一個食べる?」
すっかり女子高生を味方につけている。
思い通りになってなるものかと、コナンはぷいっとそっぽを向いた。
「甥っ子くん~~」
「でも、ね、これは、照れてるだけじゃない?」
「そうだ。絶対そうだよ、あむぴ」
「そうかな……僕には怒ってるように見えるけど」
「自信持ちなって、あむぴ! 甥っ子くん、怒ってないよね?」
またも刺さる視線。何故か彼女たちが必死だ。
コナンはぐぬっと口を曲げた。
無関係な彼女たちがうろたえているのが、申し訳く思えてしまう。
アメをいくつも握らされ、しぶしぶ口を開く。
「……怒って、は、ない、けど」
「「おお!」」
ぱあっと明るくなる女子高生たち。
安室も表情を明るくした。
「ほんと? じゃあいつもみたいに呼んでくれる?」
いつもみたいって何だ。
コナンはムッと安室をにらみながら、先程の会話を思い返す。
これは、そうだ、名字+おじさん呼びを非難されたことから始まった茶番だった。
名字が駄目。おじさんが駄目。──となると。
(──ぜってーやだ!)
ぷるぷると頭を振る。そんな恥ずかしい言葉、口にしてなるものか。
しかし、じぃっと突き刺さる視線は、望む言葉を口にしない限りなくなりそうにない。
「甥っ子くーん?」
(…………クソッ)
もう金輪際、安室が困っていても助けてなんかやらないぞと固く決意しながら、コナンは仕方なく、本当に仕方なく、口を開いた。
「と…………透お兄、ちゃん」
言った瞬間にカーッと赤くなる。
こんなことくらい、いつもの猫かぶりと大した違いはない、のに、ものすごく恥ずかしい。
そろりと視線を上げれば、安室は一瞬目を丸くして、そして、何か違ったなという顔で、首を傾げた。
やらせておいてこの態度。
(何なんだよもう!)
コナンは憤慨する。
そんな二人をよそに、女子高生たちは拍手をした。
「仲直りおめでとう、あむぴ」
「良かったじゃん、二階級特進だよ」
おじさんがお兄ちゃんに、名字が下の名前にアップグレードしたことを指しての表現だろうが、現役の警察官には洒落にならない。
安室は苦笑いして、コナンを抱き上げた。
「許してもらえて良かった。──プリンじゃなくて、パフェでもケーキでも、何でも好きなもの食べていいからね」
「わあい! お兄ちゃん大好き!」
コナンは自棄になってにっこり笑って両手をあげる。
ケーキセットを五回くらいおごってもらわないと割に合わない。
すると安室はにっこりと、甘く笑った。
「僕も大好きだよ」
(……あー、はいはい)
コナンは目をすがめた。子ども相手にそんな顔して何を言っているのだ。
さあもう退散するぞ、と少女たちからは見えない位置で安室をつねってやろうとした時、やや呆れたような声がした。
「仲、良すぎじゃない?」
「「え?」」
思わず、声が揃う。
首を傾げる二人に、女子高生は肩をすくめる。
「だって、ふつーここまで可愛いがらないでしょ」
「あー、たしかに。甥っ子のご機嫌損ねたところで、私なら全然気にしないわ」
「何でも食べていいよーとか、甘やかしが激しいって。うちの叔父さん絶対そんなこと言わない」
「それな」
「甥っ子くんもめちゃ懐いてるし」
「ねー」
オイ、とコナンは内心で突っ込む。
さっきまで完全に安室の味方で、仲直りしろ、お兄ちゃんと呼んでやれと圧力がひどかったのは一体何だったのだ。
希望通りにしてやったら「甘過ぎ」とか、理不尽過ぎる。
顔をしかめるコナンに苦笑して、安室は女子高生たちに首を傾げた。
「そうかな。普通だと思うけど」
「ふつーじゃないって」
「ちょー仲いいって」
「ダメだよ~あんま甘やかしたら」
女子高生たちはワイワイと、自分たちの甥や姪、叔父がどんなかという話を始めてしまう。
その話を聞いていると、叔父と甥はもっとドライな関係なのが「普通」だそうだ。そもそも、大人はそんなに子どもに構わないもの──らしい。
「普通一緒にお出かけとかしないし」
「子守疲れるよね。あいつら怪獣だし」
「抱っことか重いし」
「あむぴもさー、お休みの日はデートとかしたいんじゃない?」
「あんまし甘えちゃ駄目だよ、甥っ子くん」
何だか、イラッとした。
なぜ、好き勝手言われなければならないのだ。だいたい、コナンに構ってきているのは安室の方だ。
そもそも、安室とコナンは叔父と甥なんて関係じゃない。じゃあ何だと言われると答えに窮するが、ご近所さんだとか、そういう「普通」の関係でないことは明白だ。
だから勝手に「普通」に当てはめられたくないし、二人が一緒にいることについて、ああだこうだと外野に言われる筋合いは、全くなかった。
「──あのさ」
コナンが低い声で口を開くと、女子高生たちは口を閉じて、こちらを見る。
コナンはにっこりと笑った。
「ボク、お腹空いちゃった。──もう、この人返してもらっていい?」
ぽかん、と見下ろした先にある目が丸くなる。
ふは、と安室がふきだした。
「……え。えっと、あむぴ?」
「ごめんごめん。──僕の王子様がお腹空いてご機嫌斜めだから、もう行くね」
そう言って、コナンを抱っこし直す。
軽い口調に、空気が溶けた。女子高生たちは「そっか」と笑って、あっさり身を引いた。
「ごめんね、甥っ子くん。おいしーの食べさせてもらってね」
「またね、あむぴと甥っ子くん」
「じゃーね!」
手を振る彼女たちに愛想笑いを返して、安室に抱えられたままその場を離れる。
少女たちの視線がなくなったところでコナンを下ろして、安室はため息をついた。
「──助かったよ」
「楽しんでたみたいだったけど?」
にらむと、安室は肩をすくめる。
「コナンくんが僕のことおじさんとか言うから、ショックでつい」
「嘘ばっか! 安室さんのことはもう二度と助けたりしないから」
「それは困ったな」
早足に歩き始めたコナンに、安室は大人しくついてくる。どれだけ早く歩いても、大人と子どものコンパスの差は大きい。
コナンは歩きながらぶつぶつ文句を言う。
「だいたい甥っ子って何だよ。次からちゃんと否定するから、安室さんもそうしてよね!」
「……コナンくんは、僕がおじさんじゃ嫌なの?」
「は?」
振り返り、安室をにらむ。
「やだよ。安室さんがおじさんとか、面倒。出かけるたびにわーわー言われるじゃん」
「残念。フラれちゃったか」
残念だなんて微塵も思っていない顔で、安室は肩をすくめると、大きく一歩踏み出してコナンの隣に並んだ。
それを横目に見て、ため息をつく。
「──安室さんこそ、ボクのおじさんになりたいとか思ってないでしょ」
安室は視線を斜め上に向けて、うーん、と首を傾げた。
「……そうだね。僕は別に、君のお兄さんとか、おじさんになりたいわけではないんだな」
コナンは安室を見上げた。
──では。何になりたいと言うのか。
そう問う前に、安室は笑って、からかうような口調で言う。
「でも、君に大好きって言ってもらえるなら、おじさんも悪くなかったかな」
カッと顔が赤くなる。それを見て吹き出した安室の足を叩いて、コナンは叫んだ。
「~~っ、ちゃんとケーキセットおごってよ!」
「それでいいならいくらでも」
機嫌良く答える安室をもう一度ポカッと叩いて、コナンは一番高いやつを頼んでやる、とポアロの扉を開けた。