羨望と嫉妬
事情聴取に協力してくれた女性を出口まで送っていって、高木はほっとため息をついた。
目撃情報の提供は非常にありがたいのだが、おしゃべり好きな人で、必要なことを確認するのに、予定よりも時間がかかってしまった。
キッパリ話を切らないで、話を聞いてしまうからなめられるんだよな、と少し反省する。
午前中の仕事はこれで終わり──と言っても、昼はとうに過ぎている。
佐藤とは、今日は午後から別行動。高木は内勤だ。
昼はゆっくり食べるか、と思ったところで、背後から「こんにちは」と声をかけられた。
振り返ると、ラフな服装をした安室透が立っている。
「安室さん。こんにちは。──今日はまた、どういったご用件で警視庁に?」
共通の知り合いであり、事件に巻き込まれやすい小学生・江戸川コナンにまた何かあったのでは、とあたりを見回してみたが、足元を素早く動く小さな姿は見当たらない。
安室は苦笑した。
「今日は、本業の方で。依頼人が関わった事件で話をしてきたところです」
「ああ、そうですか」
安室透は探偵だ。依頼人のトラブルに関係して、警視庁に来る機会もよくあるようだ。
「自分も、いまさっきまで事件の目撃者にお話を聞いていたところです。皆様のご協力に感謝です」
「いえいえ。市民の義務ですから」
安室は笑って首を振った。
動きに合わせてサラサラと髪が揺れる。イケメンは髪まできれいなんだな、と薄い色の頭を見つめて感心する。
この人が、実は自分よりも年上だと知ったのは最近だ。
情報元はコナンで、「全然見えないよね」と楽しそうに笑っていた。全くその通りだったが、しかし一方で、なるほどだからあんなに落ち着いて見えたんだなと、納得もした。
聞いた年は、亡くなった先輩の伊達と同じ。並べるとますます安室の童顔が際立つ気がしたが、それでもなんとなく、安室の言っていた縁というやつを感じたりした。
「それでは」
笑顔で会釈をして立ち去る安室を見送って、高木は一度財布を取りに戻ってから、昼を食べに出た。
なるほど、本当に縁というものはあるらしい。
昼食を食べに入った店で、先ほど別れたばかりの安室に遭遇して、高木は苦笑した。安室もまた、入店した高木を見て目を丸くしている。
以前、公安の風見と昼を食べた店だ。ピークを過ぎて少し空いてはいたが、安室に促されるまま、同じテーブルにつく。
「今日はなんだかご縁がありますね」
「自分もいまそう思っていたところです」
民間の、しかも探偵事務所の人間と、一緒にご飯を食べに行く……のはまずいだろうが、かち合ってしまったものは仕方ないだろう。
心の中で言い訳して、焼き魚定食を頼む。安室はメンチカツ定食を食べていた。
「ここ、よく来られるんですか」
「ええ。うちの人間は結構よく利用してるんじゃないですかね」
「僕も、そちらに寄った帰りによく。そうですよね、皆さん利用されますよね」
「あ、でも意外と、知らない人もいるんですよ。先日も、よその部署の先輩なんですが、初めて来たって人と一緒になりまして」
「へぇ。──先輩ってことは、高木さんより長くこっちで働いてる人なんですよね。そういう人って何がきっかけで新しい店にたどり着くんですかね。外食しない人は、徹底してしないでしょう」
「どうも、知り合いに教えてもらったらしいですよ。お魚食べるならここだって」
安室はメンチカツを口に運ぶ途中で一瞬だけ箸を止め、なるほど、と相槌を打ってから、大きく口を開けた。意外と豪快な食べ方をするな、とメンチカツが消えていくのを眺める。
高木のところにも、焼き魚定食がやってきた。
あの時写真を撮っていた風見を思い出して、思わず笑ってしまう。なんとなく、スマホで写真を撮ると、安室が興味深げにそれを眺めていた。
「料理写真撮られるんですか」
「あ、いえ。普段はそんな余裕もないんですけど……その、先日一緒になった先輩が写真撮ってたのを思い出して。お昼をちゃんと食べろって言われたんだって、証拠写真だそうです。恋人ではないって言ってましたけど、実はちょっと疑ってるんですよね」
「へえ」
安室は興味深げに相槌を打つ。
「その人がその時焼き魚定食食べてて。ついでに僕の定食の写真も撮っていかれました。いや、撮りますかって言ったのは自分なんですが」
言いながら、スマホをしまう。安室が不意に、言った。
「──もしかして、高木さんが食べていたのは、メンチカツ定食ですか」
「え。よくわかりましたね?」
びっくりして、目が丸くなる。
探偵と言っても、そんなことまでわかるものなのだろうか。どこかにヒントが、ときょろきょろ店内を見回すと、当てずっぽうですよ、と安室は苦笑した。
「いま食べてるものを言ってみただけです」
「なんだ。そうなんですか」
「でも……そうですね」
安室は小さく首を傾げた後で、口を開く。
「その人がわざわざ写真を撮った、ということは、当然、高木さんが頼んだのは同じ焼き魚定食ではない。この店で、他に若い男性が食べるものと言えば、メンチカツかトンカツか、ミックスフライあたりでしょう。でもミックスフライは他の二つと比べて、価格がやや高い。となるとメンチカツかトンカツ、どちらかの可能性が高くなります。ではどちらか──と考えた時にポイントになるのが、この特徴的な、メンチカツの形です。特徴的なメンチカツと違って、トンカツはごくごく普通ですからね。高木さんが、先輩にわざわざ写真を撮りますか、と聞くとしたら、メンチカツの可能性が、一番高い」
すらすらそう喋って、皿の上にひとつ残ったまん丸いメンチカツを箸で割ると、安室はにこりとほほ笑んだ。
「──なんて。後付けですが」
「はーっなるほど。当てずっぽうなんて、謙遜じゃないですか」
さすが探偵だ、と感心する。
「シャーロック・ホームズみたいですね、安室さん」
「大げさですよ」
「そんなことないです。なるほど、コナンくんと気が合うわけだ」
そう言うと、安室は微妙な顔をした。
「そうですかね」
これが不思議なんだよなぁ、と高木は思う。
この、微妙な反応。
高木が見るに、安室はコナンに一目置いているし、大切にしている、と思う。先日の件だけとってみてもそれはよくわかる。いくら子どもでも、どうでもいい人間の怪我にあそこまで怒れないし、過去の話を聞いてあんな顔をしたりもしない。だいたい、守ってあげたいとか助けてあげたいなんて、思うわけがない。
しかし一方で安室は、少年を利用しているだけだなどと、不穏なことも言っていた。コナンも、いまは味方ではない、と言っていたし──そう、この二人はお互いに相手を、敵に回したくはない人間だ、と思っているようだった。
この二人には、間違いなく、周囲に隠している事がある。
素直に味方だと言えないのは、もしかしたらそれに関係しているのかもしれない。
ふと、思いつく。
(──もしかしてこの人は、コナンくんが何者かを、知っているのだろうか)
「……?」
高木は胸を押さえ、首を傾げた。
いま自分の胸に浮かんだ微妙な感情は、言葉にするのが難しかった。
「思うんですが、コナンくんの味方と言ったら、高木さんの方なんじゃないですかね」
安室が不意にそう言った。高木は苦笑して目を伏せる。
「そのつもりではいますが、先日もお話した通り、自分は助けられてばかりなんです。それも……死にそうなところを、何度も」
だから、彼の力になれるかというと自信はないのだ──と、そう言いかけて顔をあげ、高木は口を閉ざした。
目の前の男の顔に、一瞬、浮かんだ表情。
その感情が何か、一瞬では読み取れなかったが、それはあの日病院の廊下で東都タワーの話をした時と同じ、なにか強い感情がごちゃごちゃに詰め込まれたものに思えた。
なぜいまそんな顔を、と思った次の瞬間、安室はいつものようににっこりと笑った。
いま見たものは気のせいだったのだと思ってしまうくらい、自然に。
「では、コナンくんは高木さんお守りみたいなものかな」
「……そう、ですかね。少し情けない話ですが。でも、助けてもらったことは抜きにしても、コナンくんと知り会えたことは、自分にとってとてつもない幸運なんじゃないかとは、思っています」
安室は小さく笑った。
「──うらやましい話だ」
そう、つぶやいた声に、高木はハッとした。
そして、納得する。
うらやましい、というのは、先ほど安室がコナンの正体を知っているかもしれないと思った時に感じた、微妙な気持ちを表すのに、ぴったりの言葉だった。そして、ひとつ解けると、他の感情も見える。
「……僕は、うらやましい、のと、ちょっとだけ、妬ましい、ですかね。僕が安室さんだったら、もう少しあの子に近いところで、助けてあげられたかもしれないな」
安室は、目を丸くした。
ぱちり、ぱちりと、なんだか毒気の抜けた、異世界から来た宇宙人でも見るような顔で高木を見つめ、そして最終的にため息をつく。
「……高木さん。あなたはそのままでいるのが、一番いい。あなたがあなたの立ち位置で、そういう風に思ってくれているっていう、ただそれだけで……救われることだってあるんだと思いますよ」
安室は一度言葉を切って、首を傾げる。
「コナンくんは、そういうことは言わないかな」
そう言われて、忘れないでね、と言われたことを思い出す。
「──近いことは」
答えると、安室はほほ笑んだ。
「なら、ぜひ彼の味方でいてあげてください。僕が頼むようなことではありませんが」
「それは、もちろん」
うなずくと、安室はにっこりと笑って、ぱっと雰囲気を変え、軽い調子で言った。
「それにですね。助けられてばかりと仰いますが、高木さん、なかなか油断ならない怖い方だと思いますよ、僕は」
今度は高木が目を丸くする。
そこまで評価されるようなことは、何一つないが、しかし。
先日、コナンに言われたことを思い出して、感心する。
「安室さんとコナンくん、ほんとよく似てますよね」
安室は顔をしかめた。
「いまの話のどこに、そう判断する要素があったのかわかりませんが……高木さん、天然って言われませんか?」
「あまり」
「気づいていないだけでは……。似てないですよ。僕はあの子ほど無鉄砲ではないですし、あんなに怪しい存在でもないでしょう」
その回答に、高木はとうとう、ふきだしてしまった。
あまりに二人が同じことを言うので、というのもあるが、逃走する犯人を捕まえるために車をぶつけにいく人が、無鉄砲ではないとは、どういう自己評価なのか。
「いや、いや、安室さんこそ天然って言われませんか」
「正真正銘、初めて言われましたよ、そんなこと」
「そうですか」
失礼と思いながらも、笑いが止まらないので、うつむいてクツクツと笑う。
安室はため息をついた。
「高木さん、思っていたよりずっと大物というか何というか。コナンくんと仲良しなのが良くわかりますっていうのは、こっちの台詞ですよ」
「それは、大変光栄です」
答えると、安室はもう一度、ため息をついた。
予定よりも長くなってしまった昼食を終え、安室と一緒に店を出る。
「では、僕はあっちなので」
「はい。また近々……お会いすることがない方がいいんでしょうが、また」
安室は笑って会釈して、駅の方へ歩いて行った。
なんだかんだ楽しい昼食だったな、と伸びをして、高木はふと、安室が「うらやましい」と言ったことを、思い出した。
なにが、うらやましいのだろう。
コナンに、救われたこと。知り合えたこと。
(──それが、うらやましい?)
安室だって、すでにコナンと知り合っている。だとしたら、うらやましいと言ったのは、コナンに助けられたことに対してだろうか。それとも。
振り返ったが、安室の姿はすでになかった。
やっぱり謎の多い人だな、と高木は首を振って、警視庁へ向かって歩き出した。