遠山和葉は心配している
気がついたらそばにいて、一緒にいるのが当たり前だった。幼馴染というのは、そういうものだ。
遠山和葉の世界には、常に幼馴染の服部平次がいて、平次がいないなんて、考えられない。
けれど、和葉がそうでも、平次の方は違う。平次には、和葉のいない世界だってあって、しかもそれはどんどん、広がっている気がする。
楽しそうな平次を見るのは嬉しいけれど、やっぱり少し、寂しくて苦しい。
平次が東の高校生探偵・工藤新一と知り合いになってから、東京に行くことが増えた。
といっても会いに行くのは工藤ではない。
東の高校生探偵は、いまとても厄介な事件に関わっているそうで、休学してその難事件に取り組んでいるらしく、不在がちだ。たまに顔を見せるが、すぐにまたいなくなってしまう。
だから東京で会うのはもっぱら、工藤の幼馴染の毛利蘭と、そして、蘭のところに居候している少年・江戸川コナンだ。
平次は、このコナン少年を大層気に入って、可愛がっている。工藤の遠い親戚で、この子も探偵の真似事をしているようなので、将来有望、とお兄さんぶって世話をやいているのかもしれない。
今回もまた、平次が「コナンくんに会いに行く」というので、東京にやってきた。夏休みに入って、東京に遊びに来るのは二回目だ。
東京に遊びに来た時は、たいてい、蘭の家にお世話になる。
大阪-東京間の交通費は、高校生には軽くはない出費だ。この上宿泊費も、となるとお小遣いはあっという間にとんでいく。遊びに来るのはこちらの──主に平次の事情で平次の勝手なのだけれど、キツいものはキツい。なので、「うちに泊まればいいよ」という蘭の言葉に、甘えさせてもらっている。
蘭の父親の毛利小五郎は、顔を出すたびに「また来たのか」と顔をしかめるが、実際はそう嫌がられていないのは、わかっている。小五郎は小五郎で、妻が家を出ている状況や、蘭の幼馴染の工藤が半ば失踪している状況での娘の精神面は気にかけているらしく、以前こっそり、「仲良くしてやってくれ」と言われた。ちゃらんぽらんなところはあるが、いいお父さんなのだ。
そして実際問題、幼馴染とはいえ高校生の男女二人の泊りがけの旅行は、双方の両親も気にかけるところだ。元警察官の父親がいる蘭のところに泊まるのは、そういう意味でも安心だった。
勝手知ったる毛利家で、蘭と朝食の支度に取りかかろうとしていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
こんな朝早くから客か、と首を傾げつつ蘭と一緒に玄関の扉を開くと、若い男が立っていた。
「あら、安室さん。おはようございます」
蘭の言葉に、そうだ、安室透というのだったか、と思い出す。
下の喫茶店でアルバイトしていて、小五郎の弟子。ちょっとこれまで周りで見なかったタイプのイケメンで、園子など会うたびきゃあきゃあ言っている。和葉も女子高生なので、その気持ちは、ちょっとわかる。
「おはようございます。朝からすみません。これ、もしよろしければと思いまして」
そう言って、安室は手にしていたサンドイッチの大皿を少し持ち上げた。
「わあ、いつもすみません。ちょうど朝ごはん準備しようと思ってたところなんです」
「それはいいタイミングでした」
にっこり微笑んだ安室と視線が合って、おはようございます、と会釈される。おはようございます、と返しつつ、なんとなく蘭の後ろに隠れる。どうも、わかりやすいイケメンには免疫がない。
蘭は安室を招き入れた。
「安室さんもご一緒しますよね。──そうだ、今日はすみません。なんだか、ご迷惑かけちゃって」
「いえいえ、ちょうど暇してるところでしたし」
「なんかあるん?」
蘭にたずねると、蘭は眉を下げた。
「そうなの。今日、コナンくんが小学校のプールの日なんだけど、引率する保護者がいなくて。私は今日午前中部活で、お父さんは珍しく依頼が入ってるから」
「それで、安室さんが行ってくれるんや」
親切な男だな、と感心して見上げると、安室は苦笑した。
「恥ずかしながら、先生と違って駆け出しの探偵なもので。依頼が来ないと暇なんです」
「大変やなぁ」
確か、三十手前と言っていたか。生活が安定しないのは大変だろう。
しかし、探偵なんてそんなものだろう。到底、儲かる商売とは思えない。
毛利小五郎は有名な探偵で、そこそこ収入があるようだし、若干不動産収入もあると言っていたから、こうして生活していけているが、そんなのは一握りだ。
──平次は将来どないするつもりやろ。
服部家は裕福だが、それは平次の両親の話であって、あの両親も、平次も、成人後の金銭的サポートなど考えてもいないだろう。
高校生のいまも、ちょこちょこ依頼は来ているが、探偵業だけで生活出来るのだろうか。これは、和葉がしっかりしていないといけないかもしれない──と考えて、慌てて首を振る。
そんな話は、まだ全然、全然先のことだし、だいたい、まだ幼馴染以上の決まった関係があるわけでもない。
和葉がそんなことを考えている間に、蘭と安室はキッチンでスープを作る話をしていた。慌てて手伝いに加わろうとした──が、ほとんどやることはなかった。
「安室さん、料理上手やなぁ」
手際の良さに感心して、まじまじと手元を覗き込みながら言うと、蘭もうなずく。
「安室さん、お菓子作るのも上手なんだよ。ポアロのケーキ、すっごく美味しいんだから。今度食べに行こ」
「行く!」
「じゃあ、とびきり美味しいのを用意しておかないといけませんね。料理は趣味なんです。実際問題、自分で料理しないと、作ってくれる人がいるわけでもないですし」
「ほんまに? 安室さん、めっちゃモテそうやん。募集したら女の子いっぱい寄ってくるんちゃう」
「そんなことないですよ」
安室が苦笑したところに、低い声がかかった。
「朝っぱらから、なにしとるんや」
振り返ると、しぶい顔をした平次が立っていた。
「平次、おそようさん。ご飯にするし、はよ顔洗ってきぃや」
「おはよう。お父さんとコナンくんは?」
「……洗面所」
そう言ったところに、コナンが顔を出す。
「おはよう、蘭姉ちゃん、和葉姉ちゃん……と、安室さん? どしたの?」
安室を見たコナンの目が丸くなる。
「朝ごはん、差し入れに来て下さったの。ご飯食べて、一緒に学校行ったらちょうどいいんじゃない?」
「ちょっと早い気もするけど……安室さんおはよう」
「おはよう、コナンくん。今日はよろしくね」
「よろしくお願いするのはこっちだと思うけど……」
少年は乾いた笑いを漏らす。和葉は、ぶすっとしたまま立っている平次の背中を押した。
「ほーら、はよ動き」
平次はしぶしぶ洗面所に向かった。入れ替わりにやってきた小五郎と同じようなやりとりを繰り返し、平次がそろったところで朝食にする。
「今日はまた朝から豪華だな」
テーブルに並んだ料理を見て、小五郎が安室に言う。
「いつもすまんな」
「いえ、いつもお世話になっているのはこちらですから」
「ん、スープ美味しい。洋風スープに使ったことなかったですけど、お酒とみりんちょっと入れるだけで随分違うんですね!」
「そうなんですよ。ちょっとした隠し味です」
「ほんまや。今度アタシも真似してみよ」
「いつもと味違うか?」
「もう、お父さんってば。全然違うじゃない。ねえ、コナンくん」
「うん、美味しいねー」
「ガキがほんとに味わかってんのかよ」
「お料理しないお父さんには難しい味だったかもね」
「おっちゃん、蘭ちゃんにだけ任せとかんで、ちょっとは家事せな。今時の男は料理も出来て当然なんやで。どっかの推理バカも見習ってほしいわぁ」
料理など全然しない平次に嫌味をぶつけると、平次は顔をしかめた。
「うっさいな。オレかて味噌溶くくらいは出来るっちゅうねん。和食派なんや、オレは」
「ああ、それは気かきかずすみません。次はおにぎりにしますね」
「次ぃ?」
「安室さん、そんなん気にせんでええですから。拗ねとるだけやし」
「誰がなんやて?」
「もう、平次兄ちゃん大人しくご飯食べてよ」
平次の隣に座っているコナンが顔をしかめる。
「飯やのうてパンやん」
「屁理屈」
コナンが平次の口元にサンドイッチを差し出し、平次はそれを大人しくもしゃもしゃ食べる。
「次、卵の取ってくれ」
「自分で取りなよ……はい」
言いながらコナンは平次にたまごサンドを取ってやる。これではどちらが年上なのだかわからない。
コナンは小学生なのだが、非常にしっかりしている。実年齢を疑ってしまうレベルだ。高校生で、しかも頭の回転が早い平次ともなんなく会話する不思議な子だ。
コナンはたまごサンドを食べる平次を眺めた後、フォローするように安室を見上げた。
「やっぱり安室さんのハムサンド美味しいね」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいな。そっち無くなっちゃったね。こっちのもうひとつ食べるかい?」
「ありがとう」
小さな口でサンドイッチを頬張るコナンを、安室はにこやかに見守っている。対する平次の不機嫌そうな顔ときたら。
和葉はため息をついた。
なぜかは知らないが、平次は安室を敵視している。工藤とはあんなに仲良くなったのに、なぜ同じ探偵の安室にはこうなるのか。工藤の探偵仲間ポジションが脅かされるとでも思っているのか、あるいはコナンのお兄さんポジションが取られると思っているのか。その両方かもしれないが、いまに限っては、間違いなく後者だ。和葉はコナンに話しかける。
「コナンくん、あんまし安室さんと仲良うしてると平次が妬くから、平次のことも構ったげてな」
「はあ? 何言うとんじゃ、ボケ」
平次は和葉を小突いて、スープを飲み干す。
「そんなん言われんでも、オレの方が仲ええに決まっとるやろ。なんべん一緒に事件解決した思てんねん。なあ、コナンくーん?」
平次がぐりぐりと丸い頭を撫でると、平坦な声が答える。
「そうだね、ボク、平次兄ちゃん大好きだよー」
和葉は呆れた。さすがに安室も蘭も小五郎も苦笑している。
「……コナンくんも大変やな」
和葉お姉さんの分けたるな、とコナンの皿にデザートの梨を乗せる。
「平次のこと、よろしくな」
「あほう、よろしくしたるのはこっちや」
平次がその梨を奪い取って口に放り込む。「あー!」と抗議の声をあげると、まあまあ、とコナンになだめられた。
「和葉姉ちゃんありがと。ボクお腹いっぱいだから大丈夫だよ」
「ほんとに? ちゃんと食べないとお昼まで体力持たないよ」
安室が代わりにコナンの皿に梨を乗せる。
さすがに平次もそれを奪い取りはしないらしい。礼を言って梨を食べるコナンを横目で見ている。
そんなこんなで騒がしい朝食が終わり、後片付けを男性陣にまかせて、蘭と和葉は今日の予定を話し合った。
午前中は蘭が部活、コナンもプールだから、午前中は平次と和葉でどこか遊びに行って、午後ここで落ち合ってみんなでどこかに行こうということで、話がまとまる。
準備をしたのだから、と片付けメンバーからは除外され、居間で話を聞いていた安室が言う。
「皆さん仲がいいですね。大阪と東京、離れているのに、頻繁に行き来されているみたいですし。この間服部くんと会ったのは、春先だったかな」
「病院、来て下さった時ですよね。連休明けだったかしら」
「ああ、あん時。でも、その後、先月もこっち来とるな」
「いっつも遊びに来てもらって。今度は大阪行くね、って言ってるんですけど。服部くんのフットワークが軽いから」
「へぇ。よっぽど東京に気になるものでもあるんですかね」
何気ない安室の言葉に、和葉は顔をしかめた。蘭はそんな和葉には気づかず首を傾げつつ言う。
「んー、コナンくんに会いに来てるのかな。いつもふたりでどこか行っちゃうんです」
「へぇ。ふたりでね」
「せやから、仲良しやてゆうてるやろ」
片付けが終わったらしい平次が顔を出す。コナンが後ろからひょこりと顔をだした。ビニールのプール用のバッグを肩から下げている。
「安室さんお待たせ。今日はよろしくお願いします」
「いや? こちらこそ」
安室が立ち上がった。
「このまま真っすぐ学校行ける? 安室さん家寄ってから行く?」
「うちには寄らなくても、僕は荷物は特にないから大丈夫だよ」
「そっかー、残念。ボク安室さんのお家見てみたかったな」
「今度、時間がある時にゆっくり、ご招待するよ」
「ほんとー? わーい、楽しみ!」
にこにこと笑顔でやりとりするふたりを、平次は無言で見守っている。
気づいたコナンが平次を見上げて、へらり、と笑った。
「じゃあ、平次兄ちゃんまたね」
「おう、行ってこい」
「では、お預かりします」
「よろしくお願いします」
行こう、とコナンは安室の手を引いて、足早に家を出て行った。プールが楽しみなのだろうか。年相応に、可愛らしいところもあるものだ。
小五郎も後を追うように出かけて行った。蘭が部活に行く準備のため、部屋に戻る。
午前中どこ行こか、と平次を振り返ったところで、平次がスマホを見ながら、言った。
「昼にちょっとヤボ用あるから、今日は別行動な」
「はぁ? ヤボ用て、何なん」
平次は和葉の抗議など聞いていない様子でスマホを見ている。
覗き込んだら、パッと遠ざけられた。平次は帽子をかぶり、軽く手をあげる。
「姉ちゃんに迷惑かけんようにな。ほな、またな」
「ちょっと、平次!」
昼に用事が、などと言ったくせに、平次はさっさと事務所を出て行ってしまった。
制服に着替えた蘭が戻ってくる。
「和葉ちゃん、どうかしたの? ……服部くんは?」
「出かけてもうた……」
「え? 和葉ちゃん置いて?」
「なんや、用があるんやて」
むすっとふくれながら答えると、蘭は首を傾げた。
「今日私部活だって、言ってなかったっけ」
「アタシらの話、聞いとらんかったんちゃう」
「和葉ちゃんひとりになっちゃうじゃない。もう……。服部くん、こっちに知り合いなんていたんだっけ?」
まさか新一じゃないでしょうね、と蘭は顔をしかめる。
和葉は、首を振った。
「……ちゃう、と思う。多分やけど」
口ごもると、「心当たりでもあるの?」と蘭が和葉の顔をのぞき込む。
「心当たり、っていうほどのもんでもないんやけど、こないだ、連休明けにこっち来た後くらいから、平次ちょっと変やねん」
「変って?」
「アタシに隠れてコソコソなんかしとるん。普段買わへん可愛らしいお菓子こうたり、最近はなんや、難しい顔してスマホにらんだり。──絶対なんかあるわ。変な女に引っかかってるんかも」
「ええ?」
蘭は目を丸くした。
「それはないでしょ。だったらわざわざ和葉ちゃんと一緒に東京来たりしないよ」
「やって、先月はアタシの用事やったのに、頼まんでもあっさり、一緒来てくれたし。今回は、アタシが強引についてきただけやし」
強くは止められなかったが、小遣い平気なんか、と同行を諸手をあげて歓迎する様子ではなかったのが、引っかかる。
案の定、この別行動だ。
しかし、さっきのぞき込んだスマホから、情報は得た。
「ファミレス……」
「え?」
「さっき、見えたん。こないだのファミレスで、って書いてあったわ」
誰かと待ち合わせなのは、確実だ。
「でも、ファミレス……って言っても、いっぱいあるよ」
「そこは、心当たりあんねん」
前回、東京に来た時も、別行動した日があった。
女子向けのイベントだったから、蘭と園子と一緒に行って、平次は留守番だったのだ。
帰りの新幹線で、「何してたん?」と聞いた時に、平次は「パフェ食うとった」と答えた。
「前にお前がうまいゆうてたファミレスの、あったやろ。季節のパフェ? なんや、マンゴー乗っとった」
その時は、友だちと食べに行ったパフェが美味しかった、という和葉のささいな話を、珍しく覚えていてくれたことに感動してしまって、せやろ、美味しかったやろ、と上機嫌で答えたのだが、家に帰って冷静になって、おかしい、と気づいたのだ。
平次はそこまで甘い物が好きではない。好き好んで食べたとは思えない。誰かに付き合って食べた可能性が、高い。その日、コナンは小学校の登校日で一緒ではなかったはずだ。
誰だ、という疑念は、最近コソコソ菓子折を買っている様子と結びついた。
どこに持っていっているのかと思っていたが、もしかして東京に送っていたのか。どうりで、虎まんじゅうだのお好み焼き煎餅だの、大阪主張の激しいものが多かったはずだ。その、菓子折を送っている相手と、会っていたのではないか。
「せやから、アタシ調べてん。平次の行ったファミレス、関西のチェーンやねん。都内には三店しか出店してへん。しかもな、季節のパフェを展開する時期がまちまちで、その日マンゴーパフェ出しとったんは、都内は一店だけ」
「すごい和葉ちゃん」
蘭が感心したように手を叩く。
「おおきに、蘭ちゃん。せやから、今日平次が誰かと会うとしたら、その店や」
「……どうするの?」
「先行って、見張っとく」
蘭は壁の時計を見上げた。
「ひとりで大丈夫? お昼までに間に合うんだったら、私も付き合うんだけど……園子に声かけようか」
「ええて、ひとりでも大丈夫」
「そう? でも……」
「気にせんで。ほら、蘭ちゃんもう出かけるなら、一緒にアタシも出な。準備するし待っとって」
「うん。──でも和葉ちゃん。新一の時みたいな、ただの誤解かもしれないし、あんまり先走って思いつめちゃ駄目よ?」
「う……その節は、大変ご迷惑オカケシマシタ……」
工藤工藤とうるさかった平次に、てっきり東京の女かと誤解していた時のことを思い出して、和葉は肩をすくめた。
いきなり乗り込んだ挙句、蘭にもかなり感じ悪くあたってしまって、あれでよく、いまのように仲良くしてくれているものだと、改めて友人の心の広さに感謝する。
おおらかな友人は、クスクスと笑って手を振った。
「あれで和葉ちゃんと友達になれたんだもん、いい思い出だよ。そうじゃなくて、案外、女の人じゃなくて男の人ってこともあるんじゃないかなって」
「でも、男同士でパフェ一緒に食べる?」
「食べることもあるんじゃない。ほら、例えば安室さんみたいな、お菓子作り好きな人だって、最近は多いわけだし」
「……せやなぁ」
言われてみれば、その通りだ。
「安室さんと会うてたってことは……」
「──ないんじゃないかな」
今朝の様子を思い出したのか、蘭は苦笑する。そうだよな、と和葉もため息をつく。
あれで、裏で仲良く密会してたとしたら、びっくりする。だいたい、今日は安室はプールの引率だ。
「まあ、でも蘭ちゃんありがと。あんま先入観持たんで張ってみるわ」
そう言った和葉に、蘭は「何かあったら呼んでね」と言ってくれた。
ファミレスに入り、入り口付近がよく見える席を確保して、和葉はメニューを広げた。
季節のパフェはぶどうになっていた。まめにメニューが切り替わるのも、ここのチェーンが評価されているポイントだ。
中途半端な時間だしと、とりあえずドリンクバーとパフェを頼む。
時刻は十時過ぎ。昼までは二時間ある。
ドリンクバーのアイスティーを飲みながら、和葉はまだ人の入りがまばらな店内を見回し、ため息をついた。
女と会っているかも、なんて、別に本気で疑っているわけではない。まあ、世の中には妙な好みの女がいるし、京都のあの子のように積極的にアプローチしてくる子だって、いないとは言えない。ただ、今回に限って言えば、そういう浮ついた話ではないんだろうな、と思っている。いつも一緒にいるのだ。そのあたりは、なんとなくわかる。
多分、平次はいま何か厄介事を抱えているのだ。面倒な、事件を。
──服部平次は、探偵だ。
事件があればどこへでもとんで行く。そして、謎を解くためなら、危険にも突っ込んでいく。
何度、ヒヤリとしただろう。
和葉は、犯罪者が怖い。血なんて見たくないし、死体なんて気持ち悪いと思っている。そこにどんな謎があろうと、怖いや気持ち悪いが先に立つ。普通の感覚だろう、と思う。
でもたまに、そんな普通の自分が嫌になる。
同じものが好きで、同じものに同じように興味が持てたら良かった。それこそ、工藤やコナンのように。
以前、蘭と話したことがある。
追いかけてただついていくだけの自分が嫌で、工藤になりたいと思ったことがあること。蘭もまた、新一が大変な時になにも出来ず待っているだけの自分が嫌になる、と言っていた。工藤が消えたあの日、一緒にいたのが平次だったら、一緒に力を合わせて事件解決できていて、いまも普通に学校に通えていたかもしれないのに、と。
そんなの、言っても仕方ない、どうしようもない、ただの空想だ。でも、考えてしまうのだ。
和葉が工藤だった方が、平次は絶対に良かった。もしそうなら、平次はひとりで事件現場に飛び込んでいくこともなかった。──そんなことを。
平次が工藤に会いに大阪を飛び出していった気持ちが、少しだけ、和葉にはわかる。
事件に首を突っ込み、他の誰も気づかないことに気づく平次は、普通ではない。普通ではないから、少しだけ遠巻きにされていて、同じレベルで話が出来る人がいなくて、ずっと、物足りなかったはずだ。同じレベルで競える相手がいると知れば、会いに行くのは当然だ。工藤に会えて、平次はひとりではなくなったのだ。
感謝すべきだ、喜ぶことだ、と思う。実際、良かったなと、思っている。でも、和葉は少し寂しくて、悔しい。蘭も多分、同じだ。
ぼんやりつついていたからか、パフェのアイスはどろどろに溶けて、生クリームやソースと混ざってしまっていた。
冷たさもなくした甘ったるい液体をすくって、口に入れる。
和葉がこんな風に心配をして、様子をうかがうような真似をすることに意味なんてない。意味がないどころか、鬱陶しいだろう。それに、平次が和葉を危ない場所に連れて行きたくないと思っているのも、わかっている。
口を開けば悪態ばかりでも、平次はなんだかんだ、幼馴染を大切にしてくれている。だから、和葉は怪我する心配もなにもないように、何もしないでいるのが、一番いいのだろう。
いいのだろう、けれども。
──そんなん、絶対、無理やん。
大事な幼馴染が、ふらふらどこかに行って、危険に首をつっこんでいるのを、黙って見ていられるわけがない。黙っていられるなら、とっくの昔に幼馴染なんてやめている。
すくいとったパフェの成れの果ては、ただただ、甘かった。
当然、美味しいわけがない。
──なんか、腹立ってきた。
何故、せっかく夏休みに、東京まで来ているというのに、こんなところで一人、溶けたパフェを食べているのか。
和葉はパフェを食べきると、よし、と気合を入れた。
とりあえず、ここのパフェ代は平次に要求せねば気が済まない。そして、厄介事をひとりで抱え込もうとしていることを、怒ってやるのだ。
昼、というのはジャスト十二時なのか、それともその前後も含めてなのか。良くわからなかったので、パフェを食べ終わった後、和葉は追加注文はせずに入り口を見張ることにした。
大通りから少しだけ離れた店は、昼時でも満席にまではならなかった。それもあってか、書類を広げるサラリーマンや本を読む学生がちらほら見られる。
眼鏡をかけた固そうな男性が入店する。さすがにこれは違うだろう。
続けて入り口を見張っていると、眼鏡の男は電話をしながら出て行ってしまった。会社勤めだろうか。ご飯もゆっくり食べられないとは、忙しいことだ。
その後しばらく見ていたが、これといって怪しい人は来ない。
──おかしいな。店がここなんは、確かなはずなんやけど。
そう思ってスマホの時計を見た時、通知音が鳴った。
蘭だろうか、と見て、和葉は目を丸くする。
『そこで飯食って大人しく待っとけ』というメッセージは、平次からだった。
メッセージが来てから小一時間程経って、ようやく平次が店の入り口に姿を見せた。
和葉を見つけて、顔をしかめてため息をつく。
「平次、平次、なんでアタシがここにおるてわかったん?」
「それは後や。飯どうした」
「まだ」
「食うとけゆうたろ」
「でも、平次いつ来るかわからんし」
「そんでドリンクバーで粘っとったと? 迷惑な客やで」
平次は店員を呼ぶと、和葉に無理矢理注文させ、自分はドリンクバーを頼んだ。
時刻は十三時過ぎ。蘭に一言、連絡をしておくべきだろう。
平次とご飯食べてから戻る、というメッセージにはすぐ、わかった、というシンプルな返答が来た。
はあ、とため息をつくと、ため息つきたいのはこっちや、とコーヒーをとって戻ってきた平次が言う。
「で、お前なんでここにおんねん」
「どうでもええやろ。パフェ食べに来てん」
「はあ? お前そんなにここのパフェ好きなんか? ──お、メニュー変わっとるな。ぶどうも美味そうやないか」
「……前、パフェ食べた時、誰と食べたん」
「あん? あー……。ん? ああ……?」
平次は思い出すように首傾げた後、何かに思い当たったのか、呆れたような声をあげた。
「お前まさか、それ気にしとったんか」
和葉はふくれる。
「そら、気になるし心配するわ。平次、普段パフェとか食べんし、最近、なんやしょっちゅうお菓子こうて……急に甘党にでもなったん? ちゃうやろ」
平次は顔をしかめた。あからさまに、面倒臭い、という顔だ。
「……言えへんなら、別にええけど」
「それが別にええっちゅう顔か。あー……」
平次はため息をついた。
しばらくそのまま、考え込むように腕組みして目を閉じる。そして、整理がついたのか、慎重に口を開いた。
「和葉、お前トロいけど物覚えは悪ないやろ。オレから連絡入る前、背ぇ高い、眼鏡の男が入って来んかったか」
和葉は記憶をたどる。
「……おった、けど、すぐ出てってしもた」
「電話しながら」
「うん──なん? あの人が、平次の待ち合わせ相手やったん?」
「そうや。あっちは和葉の顔知っとって、お前がおるっちゅうから、場所変えたんや」
「なんで? っていうか、あの人どこの誰なん」
平次は開きかけた口を閉じた。
パスタが運ばれてくる。店員が説明をしながら注文品を置いていく。
店員が行ってしまってから、平次はゆっくり口を開いた。
「──あの人は、公安の刑事や」
手にしかけたフォークを置く。
「こ…って、平次あんたまた何したん!」
「そう大げさに騒ぐことちゃうから、落ち着け。連休明けこっち来た時に、事件に巻き込まれたやろ」
「平次が怪我した時の?」
「あ? ああ……。そん時の、担当の刑事さんや。ついでに、こないだ毛利のオッサン誤認逮捕した刑事や」
和葉は目を丸くする。
GWに、都内のサミット会場が爆破され、電子機器が暴走した、IoTテロの件は、知っている。そして、サミット会場の爆破について、毛利小五郎が一時犯人として逮捕・拘束されたことも、蘭から聞いていた。
「なんでそんな刑事さんと」
「事情があんねん。ややこしいから、整理ついたら話す。──ただ、毛利のオッサンや姉ちゃんや、コナンくんにも、この話、言うなよ」
「なんで……?」
「オレがいまあの人と話しとるんは、GWの件とは全然別件や。でも、あの人らにしたら、やな記憶よみがえる相手やろ」
「それは……そう、やな」
和葉に話をする時も、蘭は思い出して辛そうな顔をすることがあった。父親がテロ事件の犯人として逮捕されたのだ。どれだけ怖かっただろう。新一がいろいろ頑張ってくれたみたい、と最後には笑っていたが、工藤はそばにいたわけではない。さぞ心細かったに違いない。
「下手に話したら心配させるし、毛利の姉ちゃんに隠しとくのもキツイやろ。コソコソしとったんは、そういう理由や」
納得したか、と問われ、こくりとうなずく。
「……ん。わかった。ごめん」
「気ぃ抜いてたオレが悪い。隠すんなら、完璧にやらな意味ないな」
「それは、嫌やわ。知らんとこで無茶されるよりは、気ぃもむ方がなんぼかましや」
和葉が言うと、平次はふっと笑った。
「ほんまにお前は変な女やな」
「はよ食べ」とうながされて、やっとフォークを手に取る。少し冷めてしまったパスタは、ぺったりと麺同士がくっついてしまっていた。
くるくると、パスタをフォークで巻き取る和葉を眺めながら、で、と平次は聞いてくる。
「お前はなんでここにおんねん。ほんまに、たまたまパフェ食べ来ただけなんか」
ごまかしても良かったが、平次は話してくれたわけだし、と白状する。
「……最近平次変やし、また、なんか面倒なことになっとるんやないか思て」
店を特定した経緯を話すと、平次は目を丸くした。まさかそんなことから、と思っているのだろう。
ちょっといい気分になって、ふふんと笑う。
「脇が甘いんちゃう? 西の名探偵さん」
平次は顔をしかめた。
「うっさい。また、余計な心配を……」
「余計ちゃうやろ」
ムッとして反論する。
「面倒なとこの刑事さんと話、って、絶対厄介な話やろ。後で話すゆうからおとなしゅう黙っとったけど、そんなん、心配に決まっとるやん」
「どこの誰がおとなしゅう黙っとるって?」
「うっさい! こっちの気も知らんで。そんなにおとなしゅうて黙って家におる幼馴染がええなら、どっかから連れて来てとっかえればええやろ!」
平次が呆気に取られたように目を丸くする。
腹が立って、和葉はパスタを飲み込む。美味しくないのが、また腹が立つ。
しばらくして、平次が口を開いた。
「──どっかから連れて来てとっかえろて、いつから幼馴染は交換システムになったんや」
そんなこと知るか、と和葉は黙々と食べ続ける。平次はため息をつく。
「あのな、別に、大人しゅうておしとやかでいっつもニコニコしとる可愛らしい幼馴染がいいなんて、一言もゆうてへんやろ」
「……」
「交換はせん、し、心配すなともゆうてへん。……というか、そこは、すまん。心配させたないのは、オレのエゴや。……そんなん言われても心配するもんはするっちゅうねん」
最後のは和葉のことから話がズレたな、と視線を上げる。目が合うと、平次はどこかホッとしたように肩をすくめた。和葉はしぶしぶ口を開く。
「……後で話してくれるんは、わかったけど。平気なん。怪我したりせん?」
「まあ、多分な」
「そこは、絶対平気ゆうてや」
「努力はする」
確実に言えないことは言わない、ということらしい。嫌になってしまう。和葉はため息を飲み込む。
「──平次は、刑事さんとご飯食べたん?」
「おう」
「でもまだ入るやろ。これ食べて。あとここの代金全部平次持ちな」
半分ほど食べたパスタの皿を押しやると、なんでや、とぶつぶつ言いながらも、平次は皿を引き取ってくれた。
「お昼、何食べたん」
「ハンバーグ」
「また昼から重いもん食べて……」
「夏やからって調子乗ってアイスだパフェだ冷たいもんばっか食うとるからバテるんや。とりあえずお前はあったかい茶ぁでも取ってきて飲んどけ。店は、悪い店やなかったから今度連れてったるわ」
「はいはい、そら楽しみや。──あ、平次も何か取ってくる?」
立ち上がりかけ、声をかけると、平次は中途半端な位置でフォークを止めたまま、眉間にしわを寄せていた。
「平次?」
声をかけると、平次はああ、と言ってパスタを口に入れ、神妙な顔で飲み込んだ。そして何か小さくつぶやく。
「──引っかかっとったんはこれや……。店がかぶるくらい、おかしなことではないか……? いや……」
「え?」
目を瞬かせる。平次はそのまま黙って何か考えていたが、しばらくして、「や、なんでもあらへん」と笑みを見せた。
なんでもない、などと言ったくせに、平次はそのまま、調べることがあるからと言ってどこかへ行ってしまった。なにか、気づいたことがあるのだろう。
和葉は仕方なくひとりで毛利家に戻る。戻ると、蘭が出迎えてくれた。
「おかえり。あれ、服部くんは?」
「調べものがあるんやて」
蘭は眉をひそめた。
「結局、どうだった?」
「あ、ウン。それは、平気。こっちで知りおうた刑事さんやった。こないだ事件巻き込まれた時、迷惑かけたんやって」
嘘をつくのは心苦しかったが、多少の真実を混ぜてそう答える。蘭の表情がパッと明るくなった。
「なーんだ。高木刑事とかかな? 良かったね、和葉ちゃん」
「うん」
自分のことのようにホッとした表情で胸をなでおろす蘭に、心の中で謝って、静かな室内を見回す。
「コナンくんは? 安室さんは、帰ったん?」
「お昼寝してる。プールで疲れたあとに、お昼ご飯お腹いっぱい食べたらしくて、眠くなっちゃったみたい。安室さんは、午後は下でシフト入ってるんだって。悪いことしちゃったな」
「そうなん」
「午後、どうする? コナンくんももう少ししたら起きると思うし、買い物でも行こうか」
「せやなぁ」
なんとなく、気乗りがせず曖昧に相槌を打つと、蘭は心配そうに和葉を見た。
「……服部くんのこと、やっぱり何かあった?」
「そういうんとちゃうけど」
もやもやしている気持ちは、うまく話せない。うつむくと、しばらくして、蘭が和葉の手を取った。
「和葉ちゃん、下にケーキ食べに行こうか」
コナンが起きた時心配しないように、すぐ戻るというメモを置いて、蘭と和葉は階下の喫茶ポアロにやってきた。
店員は、安室がひとりだった。ふたりを見て笑顔を見せる。
「蘭さんに遠山さん。いらっしゃいませ。」
「さっそくケーキ食べに来ちゃいました」
案内された席に座り、メニューを開く。
「今日のおすすめはなんですか」
「レアチーズケーキですかね。最近コナンくんのお気に入りなんですよ」
「じゃあ、それにしようかな。和葉ちゃんは?」
「アタシも、同じの」
「お飲み物は」
「アイスコーヒーで」
「アタシも……あ、アタシは、あったかいのにします」
「はい」
注文を受けた安室が下がっていく。蘭が声をひそめて囁いた。
「今日は夏休みだからかな。空いててラッキーだね。お客さん多くて入れない時もあるんだよ」
「そうなん?」
「安室さん、女子高生に人気だから」
「あ、やっぱし」
あの顔と、人当たりでモテないわけがない。納得して、手際よくコーヒーとケーキの準備をする安室を眺める。
何度見ても、顔がいい。平次は対抗意識を持っているようだが、顔の良さという点では、幼馴染のひいき目をもっても、安室に軍配が上がると言わざるを得ない。無論、好みはあって、安室は和葉の好みではないが。
「彼女とかおらんのかな。やっぱおるやろな」
「うーん、あんまり聞かないなぁ……。お休みの日とか、よくお父さんの仕事手伝ってくれるし、今日みたいにコナンくんの面倒見てくれたり。彼女いそうな感じはしないかも」
「ふうん。やっぱ探偵やからかな」
和葉がつぶやくと、蘭はふきだした。
「殺人事件の現場とか平気で歩き回るし、推理に夢中になって周り見えなくなるし、すーぐどこかに行っちゃうし?」
「そうそう。いっくらちょこっと顔が良くても、あんなんじゃ相手出来る子の方が少ないわ」
「言えてる」
顔を見合わせてふふっと笑う。コーヒーとケーキが運ばれてきた。
皿を置きながら、安室が苦笑交じりに言う。
「聞くつもりはなかったんですが……。なにやら探偵に対する風評被害の気配がしますね」
「あ、すみません、安室さんのことじゃないんです。探偵がどうというより、特定個人のことっていうか」
蘭が謝る。ふたりの頭の中にあるのは、工藤と服部、お互いの幼馴染のことだ。
安室は肩をすくめて冗談っぽく言う。
「まあでも、モテないのは事実です。あいにく、探偵全員におふたりのようなきれいで優しい幼馴染がいるわけではないので、そうなると、僕みたいな悲しい独り身になるわけです。──高校生探偵くんたちがうらやましいですよ。無茶しても、待っててくれる人がいるんですから」
蘭は一瞬目を見張り、眉を下げて、苦笑した。
「……そうでしょうか」
「──全然、うらやましいことないわ」
考える前に、口から出ていた。
「そんなん、無茶する側の意見やん。待っとる方はいっこも、楽しいことなんてないわ」
安室が戸惑ったように目を丸くする。その顔を見て我に返った。
無関係の、おそらく工藤の事情はろくに知らないだろう男に八つ当たりしてしまった、とばつが悪くなった時、和葉たちのほかに一組だけいた客が、お会計に立ち上がった。
その対応のために安室がテーブルを離れ、ホッとする。和葉は肩を落とした。
「……ごめんな、蘭ちゃん。後先考えずに口出るの、アタシの悪いとこや」
「ううん。それに……いまの、私のためでしょ。こっちこそごめんね。──私も、ほんとは言いたかったもん。急にいなくなって、どうしてるかもわからなくって、二度と戻ってこないかもって思ってるこっちの気持ちなんて、わかるわけないですよねって」
言葉の内容のわりに、蘭の声は柔らかかった。自分の苛立ちごとゆるしてもらったような気がして、和葉はこくり、とうなずいた。
「あんな、蘭ちゃんは、ない? こう、ここんとこ……胸んとこ、ぐるぐるになること」
「ぐるぐる?」
「アタシは、蘭ちゃんと違て、言いたいことすぐゆうてまうし、考えていることすぐ口出るし……でもやっぱ、言えんことも、あるやん」
「……服部くん?」
和葉はうなずく。
「さっきな、平次に、怪我せんでねってゆうたら、努力する、て。……せえへんとは、言えんてことやろ。そんなん、嫌やん。でも、やったらそんなん関わるんやめときって、言えへんの。ゆうたら平次、困るやん」
昼間、飲み込んだ言葉が、冷めたパスタと一緒に胸の途中でつっかえているような気がする。たまに、そんな風になることがある。
「蘭ちゃんは、多分アタシより、もっとそうなんちゃう?」
聞くと、蘭は首を傾げて小さく笑った。
「おんなじくらいじゃないかな。私だって、言いたいこと言ってるよ? 多分ね、和葉ちゃんよりもっと、勝手なことたくさん、新一にぶつけてる。……でも、やっぱり、言えないことはあるよね」
「……おんなじ、かぁ」
「おんなじだよ」
カランカラン、と扉が開いて店から客が出て行く音がする。
少しだけ、胸のつかえがとれたような気がして、和葉は大きく息を吐いた。
そしてようやく、ケーキのフォークを手に取る。
ふわふわとやわらかいレアチーズケーキは、今日食べたものの中で、一番美味しかった。
「あーあ。なんでアタシ、工藤くんやないんやろ。工藤くんが幼馴染やったら平次も楽しいやろし、その上蘭ちゃんみたいな彼女おったら最強やん」
「服部くんと新一が幼馴染ってことは、私も、服部くんの幼馴染ってことになるの?」
「あ、そらあかん、そしたら平次と工藤くんで蘭ちゃん取り合いになるやん。血ぃ見るわ」
「それはないでしょ。ふたりで仲良くなり過ぎて、私なんて放っておかれちゃう可能性が高いんじゃない? それは寂しいから、和葉ちゃんいてくれないと」
「そうかな……」
想像してみて、和葉はうなずいた。
「……確かに、そうやな」
「和葉ちゃんとだったら、幼馴染になりたかったな」
「ほんま? そしたら平次と蘭ちゃん取り替えっこしよか」
言って、和葉はふきだした。蘭が目を丸くする。
「どうしたの?」
「あんな、昼に平次とちょっと言い合いになって、『黙っておとなしゅうしてる幼馴染がええならどっかから連れて来てとっかえたらええやん』ってゆうたんやけど。平次と蘭ちゃんとっかえて、平次と工藤くん幼馴染になっても、工藤くんは黙っておとなしゅうしとるタイプとちゃうなって」
蘭は大げさに目を見開いた。
「黙って大人しくするどころか、服部くんの倍はしゃべるし無鉄砲だよ、新一」
「せやから、うまくいかんなあって」
笑うと、蘭もそうだね、と笑った。
「でも和葉ちゃん、服部くん、そんなこと言われて、じゃあ取り替えたるわーって言ったの?」
「え? ええっと……」
おとなしくておしとやかでいつもニコニコしてる可愛らしい幼馴染がいいなんて一言も言っていない、と和葉が一言も言っていない余計なことをあれこれ言っていたが。そういえば。
「──交換はせん、て……ゆうた」
蘭はにっこりと笑った。
「それはそれは、ごちそうさま」
「蘭ちゃん!」
からかわないで欲しい、と声をあげると蘭はますます笑った。
和葉もなんだかおかしくなってきて、ふたりでひとしきり笑う。
ああよく笑った、と涙をふいて、蘭はちょっとごめんね、とお手洗いに立った。
お手洗いにつながるドアが閉まると、店内は急に、静かになった。
そういえば安室とふたりだ、と気づいて、和葉は「あの」と声をかけた。はい、と洗い物の手をとめておだやかにこちらに顔をむけた安室に頭を下げる。
「あの、さっき、すみませんでした。アタシ、八つ当たりみたいなこと。安室さんの知らんことで」
「いえ」
安室は眉を下げ首を振った。
「さっきのは、僕が悪いです。こちらこそ、すみませんでした。待っているのが楽しいはずないですよね。特に蘭さんは……工藤くんがあまり戻ってこないというお話は先生から聞いていたのに、無神経な発言でした」
「工藤くんのこと、知ってはるんですか」
「お話だけですが。彼は、有名人ですしね」
安室はテーブルにやってきて、空いたカップにコーヒーを注ぎ足してくれる。低い、小さな声で安室は続ける。
「一時、すごくメディアに出ていたでしょう? それがいきなり一切出なくなったんで、業界内では、死亡説まで流れたくらいなんです。かくいう僕も、ここで毛利先生にお世話になるようになるまで、そう思ってました」
低い声でつぶやかれた、死亡、という言葉に、背筋がぞわっとした。
ぎゅっと、手を握る。
「……工藤くんは、死んでないです」
つぶやくと、安室はハッとしたような顔をした後で、ばつ悪げにうつむいた。
「すみません、また無神経な言い方を。それは、もちろん。蘭さんやコナンくんは定期的に連絡を取っているんですよね。もしかしたら、服部くんもですか?」
「たまに、電話してるみたいです」
──もしかしたら、と思い至る。
今回の厄介な件は、工藤に関わることではないか。平次と同じくらいの能力をもった工藤が手こずる、厄介な事件。
だとすれば、毛利家の人たちに口止めを頼んだのには、別の理由があるのではないか。
公安が関わる、平次があんな難しい顔をする、そんな何かが起きているのだとしたら。工藤は。
もし、本当に死んでしまったとしたら。
工藤だけでなく、平次も。
そんな不吉なことを考えてしまって、ゾッとした。
「──さん、遠山さん?」
声をかけられていることに気づき顔を上げると、安室がギョッと目を見開いた。
安室は和葉の前でしゃがみ、顔をのぞき込む。
「遠山さん、どうかしましたか? 気分が悪くなったなら、」
「平気、です。だいじょうぶ……すみません。縁起悪いこと、考えてしもて」
蘭がいなくて良かった。トイレの方に目をやると、扉の向こうからかすかに話し声がした。携帯に電話でもかかってきてしまったのだろう。
「……」
安室は黙って立ち上がって、カウンターの中に戻ってしまった。呆れられたかもしれない。
和葉は少し冷たくなった手をすり合わせ、温かいコーヒーカップを手に取る。
ため息をつくと、コトリ、と目の前にクッキーの乗ったお皿が置かれた。顔をあげると、安室が困った顔で、ほほ笑んでいた。
「すみません、本当に。僕が余計な話をしたからですね」
「そんなんちゃいます! アタシが勝手に、わーってなっただけやから」
「いえ。噂話でも、あんなこと口にするべきではなかったです」
安室は、小さくつぶやいた。
「──考えたくもない、ことですよね」
和葉は、安室を見上げた。
なんでだろう、と思った。
この人は、和葉がいま、平次に置いて行かれることを想像してしまったことを、たしかに理解しているようだった。そういう、声だった。
もしかして、この人は誰かを亡くしたことがあるのだろうか。それとも、あんなことを言っていたが、この人にも和葉のような、近くで心配する人がいるのだろうか。
口を開きかけた時、蘭が戻ってきた。
「ごめん、和葉ちゃん。部活の連絡網回ってきちゃって。電話長くなっちゃった。──あれ、これどうしたんですか」
蘭がクッキーを見て首をかしげる。安室は何もなかったかのように、微笑んだ。
「サービスです。蘭さんもどうぞ」
「いいんですか? ありがとうございます」
ふたつ、置かれていたクッキーは蘭と和葉の口に入り、すぐに無くなった。
「コナンくんそろそろ起きるかもしれないし、戻ろうか」
時計を見上げながらそう言われて、うなずく。
ありがとうございました、という声に送られて店を出て、扉が閉じてから、和葉は店を振り返った。
「……なあ、蘭ちゃん。安室さんて、おっちゃんの弟子になる前は、何してた人なん?」
「え? 聞いたことないけど……最初に会った時にはもう私立探偵だったから、ずっと探偵やってたんじゃないかなぁ。お父さんの弟子とか言ってるけど、お父さんよりよっぽど優秀なんだよ」
「そう」
「安室さんが、どうかした?」
「ううん……なんも」
うまく言葉に出来ず、首を振る。
探偵だ、というから、平次たちと同じ側の人間だと思っていたし、多分そうだろうと思うのに、さっき、なぜか自分と同じ側のような、気がしてしまった。
そう思って、しかしかすかな違和感に首をひねる。
あの人は、誰かを待っている、という感じはしない。それどころか、あれほどプライベートが読めない人も珍しいな、と気づいた。
小五郎の弟子だ、ということも意外で、コナンと仲がいいというのも、意外で、じゃあ何が意外ではないのかといわれると、よくわからない。
彼女がいないのも意外だが、いると言われても多分、意外に思うような、そんな気がする。
──おかしな人やな。
なぜ自分は、あの人は誰かを、などと思ったのだろう。ほんの数分前のことなのに、もうわからなかった。
多分、気のせいだったのだろう。
和葉は首を振って、蘭の後を追う。階段をのぼりながら、蘭が言う。
「安室さんと言えば、新一が戻ってきたら、安室さんと気が合うんじゃないかなって思うんだよね。ほら、探偵ってちょっと変わってるし、なかなか話についていける人いないじゃない?」
「えー、それはわかるけど、コナンくんだけやのうて工藤くんまで安室さんに取られたら平次が拗ねてまうなぁ」
そんなことを話しながら家に戻ると、コナンはちょうど目を覚ましたところだった。布団の上で目をこすっている。
あくびをしながら布団を片付けて居間に顔を出したコナンに、蘭が麦茶を差し出す。
「よく寝れた? コナンくん」
「うん」
コナンはそれを受け取って、ふと首を傾げた後、にこりと笑った。
「蘭姉ちゃんたち、ポアロでおやつ食べたでしょ」
「え」
「なんでわかったん?」
起きたばかりでメモは見ていないようだったのに、どうしてわかったのだろうと目を丸くすると、コナンは得意気に言った。
「コーヒーの匂いがするもん。お店のコーヒーの匂い。ボクが昼寝してたからそんなに遠くは行かないだろうし、そしたら、ポアロでしょ」
「賢いなぁコナンくんは」
和葉がぐりぐりと頭をなでると、コナンは恥ずかしがって逃げた。
「け、結構食べ物の匂いってわかるから……。普通だよ。おじさんがお魚食べてきたな、とか、焼き肉行ってたな、とか、そばに行ったらわかるもん……ところで平次兄ちゃんは?」
「まーだ外で遊んでる」
和葉が肩をすくめると、コナンは窓の外に視線を向け、目を細めた。
「ふうん?」
「もう夕飯の支度しちゃおうか。なんだかんだ、いい時間になっちゃったし」
「せやな。夕飯、なんにしよ」
「和葉ちゃん今日お昼はなんだった?」
「パスタ。平次は、ハンバーグだったってゆうてた」
「へぇ」
にこっとコナンが微笑む。
「平次兄ちゃんハンバーグだったんだ。やっぱり。──ボクと同じだね」
「そういえばコナンくんもハンバーグだったね。そしたら、夕飯はお肉じゃなくてお魚にしようか」
今朝差し入れ持ってきてもらったから、鮭が残ってるんだ、と蘭がキッチンに向かう。
手伝おうと後を追おうとした時、ツン、とコナンが和葉の袖を引いた。
「ねえ、和葉姉ちゃん。今日は平次兄ちゃんと一緒じゃなかったの?」
「うん? そうやけど……なんでわかったん。いま一緒におらんから?」
「ううん。さっき、平次兄ちゃんはお昼ハンバーグだったって『言ってた』って、言ったでしょ。てことは、お昼一緒じゃなかったんだ。だから、電話とかでお話しただけで、今日はずっと別行動だったのかなって」
そういえば、そんな風に言ってしまった気がする。小さなことからばれるものだ。実際には会って話をしたが、そこはささいなことだろう。
今日、店を特定した話を聞いた時の平次もこんな気持ちだったのかもしれない。
「さすが。ちっさくても探偵さんやな」
「へへ」
照れたように笑う少年を見下ろしていると、平次が可愛がっている気持ちがわかるような気がした。
ふと、思いついてコナンの前にしゃがんで、視線を合わせる。
「なあ、コナンくんは、安室さんと仲ええの?」
「ふつう、だと思うけど。安室さん、大人の人だし、ボク小学生だし……」
「どない思てる?」
「へ? 安室さんのこと、ってこと? 和葉姉ちゃん、いきなりどうしたの」
蘭に助けを求めるようにキッチンへ視線を向けたコナンの手を、逃がさぬようにつかむ。
「蘭ちゃんは優秀な探偵さんやゆうてたけど、ほんま? コナンくんもそう思う?」
「うん。優秀な探偵さんだよ……?」
「そっか……」
和葉は顔をしかめた。
先ほど、蘭の言ったことが気になったのだ。もし本当に──工藤が戻ってきて安室と仲良くなってしまったら、平次はどう思うだろう。
冗談で「妬いてしまう」などと言ったが、笑いごとではないのではないか。
なにせ、安室は年上で経験豊富そうだし、男前だし、優秀なようだし、落ち着いている。同じ東京、しかもご近所という地の利も見逃せない要素だ。
「和葉姉ちゃん、どうかしたの?」
「工藤くんな」
「え。あ、新一兄ちゃん?」
「たまに連絡とってるんやろ。元気にしとるん?」
「この前電話来たときは、元気そうだったよ」
そうか、とホッとして、さっき一瞬でも縁起の悪いことを考えたことを心の中で謝る。
「手紙とか、渡せんかな」
「……えっと、和葉姉ちゃんから新一兄ちゃんに?」
「そう」
「どうして、か、聞いてもいい?」
「……あんな。平次は工藤くんのこと、めっちゃ好きやねん」
「え」
「せやから、工藤くんが安室さんにとられてもうたら、平次めっちゃ傷つくわ」
「な、なんで安室さんが出てくるの」
「探偵やろ。工藤くん戻ってきたら、興味持つに決まっとるわ。蘭ちゃんの話聞くに、工藤くん慎重とは程遠い感じやし、軽率に近づいていきそうやん」
「けいそつ」
「相手は大人の男や。その上イケメン。蘭ちゃん選ぶあたり工藤くん間違いなく面食いやし、すぐメロメロになるに決まってるわ。せやから工藤くんに、平次のことも忘れんといてなってお願いしとかな」
正直、工藤のことはうらやましい。ずるい、とも思う。でも和葉は工藤になれないし、工藤が平次にとって大切な人なのは事実だ。だったらもう、仲良くしてもらうしかないし、平次が傷つくような事態は、幼馴染として看過できない。
コナンは呆れたような顔をしていたが、ふと、首を傾げた。
「でも、和葉姉ちゃん。今朝ボクにも、平次兄ちゃんのことよろしくねって、言ったじゃない?」
「へ? ああ、せやな」
「ボクはもう、平次兄ちゃんのことよろしくしなくてもいいの?」
ことりと首を傾げてこちらを見つめる子どもは、それはもう、大変可愛らしかった。
「それは、コナンくんもよろしくしてくれたら、めっちゃ嬉しいわ」
「新一兄ちゃんもボクも、どっちもなの?」
うなずきかけて、想像する。平次と工藤と、それにコナン。ふたりにはさまれてへらへら笑う平次の顔が容易に想像出来る。
和葉は顔をしかめた。
「そ……れは…………あかん、なんかハーレムみたいで腹立つわ」
コナンは一瞬くしゃみをこらえるような顔をした後で、じゃあ、と上目遣いに和葉を見る。
「新一兄ちゃんとボクだったら、どっち?」
うぐ、と和葉は答えに詰まった。
選べない、のではなく、選ぶ余地がないのだが、正直に言ったらコナンは傷ついてしまうかもしれない。
ねえどっち、とコナンは和葉につかまれたままの腕を揺する。
「う……ごめんなコナンくん、アタシ嘘はつけんわ。工藤くんや。平次は工藤くんのことほんまに好きやねん……!」
ぶは、とコナンがふきだした。
「……えっと。コナンくん? かんにんな?」
傷ついた様子はなかったが、そう謝ると、コナンは笑いながら首を振った。
「いいよ。ボクこそ答えにくいこと聞いてごめんね。平次兄ちゃん、新一兄ちゃんのこと大好きなんだ?」
「せやねん。──平次がようやっと見つけた、探偵仲間やねん。大事でたまらんの」
ふ、とコナンは笑うのをやめて、瞬きして、和葉を見た。
そしてつぶやく。
「……そか。そうだよね」
「どうかしたん?」
「あ、ううん。なんでもない」
コナンは首を振った。
「あーあ、でもじゃあボク、余っちゃった」
「安室さんおるやん」
「和葉姉ちゃん、邪魔者をボクに押し付けようとしてない?」
「そ、そんなんとちゃうわ。よう考えてみ。平次より安室さんの方がきっとお得やで」
「たとえば、どこが?」
「えーっと、えっと、背ぇ高いし、平次より高いとこのもん取れるとか」
「……考えて出てくるのがそれなの? 脚立があればどっちも要らないよ」
「きゃ、脚立よりは平次と安室さんのが便利なんちゃう??」
「──なんでオレは脚立と比べらとるんや」
冷たい声がかかって、和葉はギョッと振り返った。コナンがのんきに声をかける。
「平次兄ちゃんおかえり」
いつの間にか帰ってきていた平次が、呆れ顔でこちらを見下ろしている。
平次は歩み寄ってきてコナンをつまみ上げると、ギロリとにらんだ。
「お手々つないで脚立の話か? 楽しそうやな」
「脚立の話じゃなくて、和葉姉ちゃんが平次兄ちゃんのこと大好きって話してたんだよ」
「は、はあ??」
和葉は思わず立ち上がる。
「そんな話してへんわ! 平次が工藤くん大好きやっちゅう話やろ!」
「はあ?」
「そうそう。平次兄ちゃんは新一兄ちゃん大好きなんだって」
コナンが楽し気に言って、平次を見る。平次は舌打ちした。
「ったく、どいつもこいつも……調子乗んなよ」
「ボクじゃなくて新一兄ちゃんに言ったら?」
蘭がキッチンから顔をだした。
「あ、服部くんおかえり。──コナンくん、悪いんだけどおつかいお願いしていいかな?」
「うん!」
コナンは平次の腕をふりほどいて、蘭に駆け寄る。
「あとついでに、今朝のサンドイッチのお皿、安室さんに返してきてもらっていいかな。さっき持っていくの忘れてた。大きいけど持てる?」
「大丈夫」
「オレも付いてくから、持つわ」
平次が手を出す。コナンは振り返り、ちょっと考えた後で、はい、と平次に皿を渡した。
そして、蘭を振り返る。
「ねぇ、蘭姉ちゃん、ボク蘭姉ちゃんのお手伝いしたいな。お買い物、平次兄ちゃんと和葉姉ちゃんにお願いするんじゃダメ?」
蘭は、目を丸くしたが、和葉を見て、平次を見て、コナンを見ると、にっこり笑ってコナンの頭を撫でた。
「そうだね。お願いしよっか!」
は、と平次が目を丸くする。蘭は財布からお金を出すと、和葉の手に乗せた。
「お客様におつかいお願いして悪いけど、牛乳とたまご、お願いしてもいいかな。明日の朝、使うから」
言外にゆっくり散歩してきていいよ、と言われて和葉は平次を見る。平次は顔をしかめたが、「行くぞ」と言ってさっさと出て行ってしまった。
「えっと、ほな、行ってくる。──ありがと」
「いってらっしゃい」
蘭とコナンに見送られて、和葉は慌てて平次の後を追った。
皿を返却し、蘭と買い物したことがあるスーパーに向かう。
ポアロで安室と一悶着あるかと思ったが、予想外に平次はおとなしく、和葉が礼を言って皿を返すのを見ていた。
和葉が話しかける前に、なあ、と平次が口を開く。
「和葉、お前あの男のことどう思う」
「あの男、て、安室さん?」
うなずく平次に、首を傾げる。
「男前やなーって」
「他は」
「他? ……何なん、これ」
「いいから」
こちらを見もせずに難しい顔をしている平次に、もう、と頬をふくらませてから、考える。
しかしそこで、なんと言えばいいか悩んでしまった。
さっきも少し思ったのだが、安室という男は、よくわからない。つかみにくい、というか、なんというか。何をしていても、へぇ、としか思わないような気がする。
料理が上手でも、お菓子作りが得意でも、甘い物が好きでも、意外には思わないし、逆に料理が下手でも、甘い物なんて見るのも嫌だと言われても、そうなんだ、と思うだろう。
先程安室は「無神経なことを言った」と言った。確かにそうだった、と思う。でも、発言内容にムッとしたりゾッとしたりしても、安室本人に対してマイナス印象を抱くことはなかった。そして、美味しいケーキを食べても、クッキーをもらっても、美味しいな、と思いはしても、それを作った安室に対してプラスの印象を抱いたわけではなかった。
嫌な人だな、と思ってもいいのに。いい人だな、と思ってもいいのに。どちらも、思わなかった。
和葉はうなった。
「わからん。悪い人やないんやろな、とは思うけど、なんか、マイナスもプラスもないっちゅうか。──ようわからん人やなって、感じ」
「……マイナスもプラスもない、か」
「あ、朝コナンくんが食べてるの見ながらにこにこしてたんは、可愛らしなと思たけど」
和葉は、何か考え込んでいる平次の顔を、下からのぞき込む。
「平次は、安室さんのこと嫌いなん? なんで? コナンくんのお兄さんポジション取られて悔しいん」
「あほ。そんなんちゃうわ」
平次は和葉の額を指で弾く。
「胡散臭いと思っとるだけで、嫌い、ちゅうわけやない」
「ほんまぁ?」
あれだけ嫌な態度を取っておいて、嫌いじゃないと言われても説得力がない。疑いの目で見る和葉をよそに、平次はつぶやいた。
「──とりあえずは、保留や」
ふうん、と相槌を打つ。
和葉は、それっきり黙ってしまった平次の横顔を見上げた。
「なあ、平次」
「なんや」
「……ううん。なんでもない」
折角、蘭とコナンが作ってくれた時間だ。
今日、何をしていたのかだとか、何が気になっているのかとか、聞きたいことはいっぱいあった。けれど、止める。
和葉は、こういう時に平次の相談にのれるような相手ではない。ただのうるさい幼馴染だ。でも平次の幼馴染は、和葉だけだ。だから、幼馴染らしくいようと思う。
和葉は、曲がらないといけない道を、わざとひとつ通り過ぎた。
「なあ平次、お釣りでアイスこうてったら、蘭ちゃん怒るかな」
そういうと平次はやっと和葉の方を見て、「冷たいもんばっか食っとると腹こわすぞ」と笑った。