敵味方の区別




 少し話したいことがあるから時間をもらえないか、と送ったメッセージには、すぐに了承の返事が来た。
 特に用向きを問う言葉もない、あっさりとした承諾だ。次いで、場所を指定するメッセージが届く。
 以前にも話をしたことがある、丘の上の公園。
 スマホの画面を見つめ、久しぶりに図書館以外の場所が指定されたことの意味を考える。
 こちらの用件がわかっているのか、どうか。あの少年については、読めないことが多い。

(考えても、仕方ないんだろうが)

 特に、思考の速さで自分を上回る人間相手に、事前準備の意味は薄い。
 薄い、が、しかし、全くシミュレーションをしないで臨むわけにもいかない。
 小さくため息をついて、風見は場所を承知した旨、返信を打った。





 うだるような暑さは、秋と言える時期になってもまだ、漂っているような気がする。
 なぜこの時期にこんな気温なのかと思いながら、待ち合わせ場所のひと気の少ない公園に行くと、コナンはもう到着していた。
 コナンは風見の空の手元を見て、首を傾げる。

「今日はもらったお菓子を分けてくれるわけじゃないんだ?」
「残念ながらな」

 服部平次からの菓子折攻撃は、二人で話をして以降、ぱたりと止まっているが、彼とやりとりしていることは、コナンには秘密にしている。余計なことを言うと藪蛇だ。
 ただ、話のきっかけにはありがたく使わせてもらう。

「菓子折と、全く関係していないわけではないが。──服部くんが、橘境子に接触した話を知っているか」

 切り出すと、コナンは目を丸くした。

「境子先生? 服部…平次兄ちゃんが?」
「ああ。橘の事務所を嗅ぎまわっている男がいるという報告があってな。調べたら、服部くんだったんだ」

 どうやら、コナンも知らなかったらしい。並んでベンチに座り、コナンは腕組みしてうなると、頭を掻いた。

「あー、これはある程度バレてるな……」
「ある程度、とは?」
「最低限、風見さんと境子先生に関係があることは」

 そうだろうな、と風見はうなずく。
 服部は、IoTテロの件について、世間一般で知られていることの他に、毛利の逮捕に風見が関わっていたことと、橘が毛利の弁護を引き受けていたことを知っている。
 事件の裏までは、想像だけでたどり着けるものではないだろうが、橘を、公安が送り込んだ協力者ではないかと推測することは出来るだろう。

「おじさんが利用されたんだ、っていうのは、多分わかってるだろうから……。まあ、問題は『なんでおじさんだったか』だろうね。……おじさんを巻き込んだら、どうなるか」

 風見は顔をしかめた。
 この少年のことを知っている人間であれば、毛利小五郎の逮捕が、身近にいる人物、江戸川コナンを巻き込むためだと、気づくかもしれない。
 言うまでもなく、服部平次は江戸川コナンのことをよく知っている。もしかしたら、風見の知るどの人物よりも詳しく、彼のことを知っているかもしれない。

「──そうなると、問題はあと一つ」
「誰が、それを目論んだか」

 風見自身は、あの事件で知り合ったのだから、候補から外れる。風見以外の、コナンを良く知る誰か。
 コナンはため息をついた。

「平次兄ちゃんはさ、なーんか安室さんのこと警戒してるんだよね……」

 その話は、本人から何度も聞いている。
 毛利小五郎の周辺にいて、コナンを気にかけている胡散臭い男……というところから、安室透、つまり降谷に目をつける可能性は、無くはない。
 改めて整理・確認してみると、かなり状況は悪いもののように思えた。

「君が、こちらの件にあまり彼を関わらせたくない、という意志に、変わりはないんだよな?」
「変わらないよ。変わらないんだけど……中途半端な状況も余計に悪いっていうか」

 困ったな、とコナンはぼやいた。
 ぶらり、と小さな足が揺れる。

「風見さんはさ、平次兄ちゃんのことどう思う? この間、話したんでしょ」

 この間、というのは夏に、プール教室帰りに遭遇した時のことだろう。

「まあ、立ち話だからな。気のいい青年だとは思う。君のことを心配しているようだし」

 答えながら、こんなごまかしは、もし服部が考えを変えて、風見と何度かやりとりをしていることをコナンに告げていれば、意味のないことだと思う。
 ただ、おそらく服部には何か考えがあって、それゆえあえて、少年に黙って行動しているのだろうから、そう気軽に考えを変えるとも思えない。先程のコナンの驚きも本物だろう。おそらくは。
 疑い出すと、きりがない。

「ふうん」

 コナンは、納得したのかしていないのか、よくわからない、なんとも曖昧な相づちを打った。そして口を開く。

「安室さんのことを黙っていようっていうのは、まあ、平次兄ちゃんが心配だからっていうのもあるけど、それが安室さんの希望だからでもあるんだよ。平次兄ちゃんが秘密を漏らすとは思わないけどさ。安室さんは、危険な任務中なんだ。正体がばれるリスクは、少なければ少ない方がいい。極論、こうやってボクと風見さんが会っていることだって、まわりまわってあの人の危険につながるかもしれないわけでしょ」
「そうだな」

 橘が偶然目撃したように。子どもの好奇心とそれにほだされた大人以上の何かを、感じ取り不審に思う人間だっているかもしれない。

「ボクはボクの事情で、あの人から入手したい情報があるし、あっちだってそれは同じ。それに、単純に敵とか味方とか言えなくても、あの人のことを嫌いってわけじゃないんだ。あの人を危険にさらしたいわけじゃない」
「そこで、好きとは言ってもらえないわけか。先のことに希望はあるのに」
「先のことは先のことで、いまはいまだよ。だいたい、先のことなんて、いまはまだ夢物語でしょ」

 なんとも、コメントしづらい言葉だ。
 コナンは風見の視線に気づいてにやっと笑った。

「まあ、とにかく、安室さんのことを他の人に言う気は無いってスタンスに、変わりはないってこと。そこは、安心して」
「しかし、彼個人が、事実を掴む可能性もあるわけだな」
「ある、だろうね。平次兄ちゃんは、探偵だし──そういうの得意なんだ」
「そういうの?」
「本質を見抜くっていうか、正体を見抜くっていうか」

 何の話をしているのか。降谷の話か、あるいは彼自身の話か。
 風見はため息をつく。

「直感を重視するタイプ、ということか? 探偵は、証拠を重視するんじゃないのか」
「勿論、大事だよ。でも、それとは微妙に違って……過程より、自分の目の前にある事実と、観察した結果をまず大事にするって感じかな。──証拠がなければ動けないのは、おまわりさんの方じゃないの?」
「……警察は、証拠ありきの組織だからな」
「真面目だね」

 少年はふふっと笑った。

「私個人の印象にはなるが。君の周りの不審を探ろうとしたとして、橘境子に行きついてそこに手をつけるあたり、地道な印象を受けたが」
「そういうところは確かに、ボクよりフットワーク軽いかもね。調べものも積極的に自分でやるし」
「……君、服部くんとの付き合いはいつからだ?」
「一年にもならないよ。探偵事務所にね、新一兄ちゃんを探しに来たんだ。ちなみに、その時新一兄ちゃんとは面識無し」

 意味が分からない。元々工藤新一の知り合いだったのだろうと思っていたのだが、いまの話からすると、服部はまずコナンと知り合ったようだ。
 確たる証拠もなく、しかし推理出来るような何かが、あったというのか。
 だいたい、その前提条件ならば、風見と同じではないか。いや、無論、服部には服部しか知らぬ情報があったのだろうが、それにしても。
 風見はため息をついた。

「──彼は、本当に君が好きなんだな」

 ごちゃごちゃ、考えるのが面倒になってそういうと、コナンは笑った。

「それ、よく言われる」

 深いため息をつく。
 とにかく、服部は要警戒、ということで変わりないようだ。

(──いや。警戒しているだけでなく、こちらから仕掛けていかなければならないだろうな)

 受け身で構えていられる立場ではない。橘が何か情報を持って来るかもしれないが、それ以外にも、彼と交渉する際のカードは手にしておかねばならない。

「話を戻すが、橘の件、どうするつもりだ?」

 たずねると、コナンは肩をすくめた。

「別に、どうも。だって、下手に止めたらますます怪しまれるし。境子先生に味方になってもらうのも……難しいでしょ。境子先生にメリットがないもん。ただ、境子先生は安室さんの顔を見ているから……そこは、そっちのお仕事じゃないの? どうせもうあの人に相談してるんでしょ?」
「ああ」

 風見は曖昧に頷いた。
 降谷に報告を入れているのは事実。橘の口止めについては風見自身が交渉したが、それをコナンに伝える必要はない。ついでに言えば、橘が大阪に行く話も、事前に伝える必要はない。風見は、そのことを事前に知り得る立場ではないはずなのだから。
 コナンは、ニヤッと笑った。

「じゃあ、心配することはないんじゃない。平次兄ちゃんが何か探りだしてボクに何か言ってくるなら、そこはボクが対処する。マズい事態になった時には、連絡するよ」
「頼む」

 言ってから、部下や同僚相手じゃないのだから、と顔をしかめる。隠し事をしていると、どうも反応が素っ気なくなってしまう。ボロを出さないように、と思っているからだろう。
 己の未熟なところだと頭の中で考えつつ、口を開く。

「付き合いは一年にも満たない、と、言っていたが。君にとって服部くんは信用に値する相手か?」
「勿論」
「……裏で、君を探るような真似をしていても?」
「そうだよ」

 コナンはきっぱりと答えた。

「平次兄ちゃんは、ボクの味方。多分、ボクにとって一番純粋に、味方だって言える人のひとり。お互い、言ってないことはあるかもしれないけど、それは、問題じゃないんだ」

 少年は、くるりと大きな目で風見を見つめた。

「だって、知ってるから。平次兄ちゃんがボクに隠し事をする時は、自分のためと同時に、それが、ボクのために必要なことだってこと。……ま、平次兄ちゃん基準の、ボクのため、だろうけどね」

 橘境子の件を、言っているのだろうか。それとも、風見の件も含むだろうか。確証はない。

「──君の隠し事だって、そうなんじゃないか。彼を、危険なことに巻き込みたくないんだろう」
「そう。だから、ボクがわかってるみたいに、あっちだって、それくらいわかってると思うよ。それに多分、必要な時にはボクが話すことも、ちゃんとわかってる」

 それは、事実だ。服部は言っていた。「いまではない、というだけで、必要な時がくれば話すだろう」と。

「それは、君も同じだと、いうことか」
「そうだね。必要なタイミングがきたら、平次兄ちゃんはボクに話すと思うよ。──ボクはそれを、知っている」

 確信を持った言葉だった。
 少し、羨ましく思う。
 似た立場だからこその相互理解と、信頼感。単純に、友情と言えるそれを。
 それは自分とコナンの間にあるものとは全く違い、自分と降谷の間にあるものとも、また全然違うものだ。
 風見は小さく笑って、言い直す。

「信頼しているんだな」
「探偵仲間だからね」

 少年はからりと笑った。そして、目を細める。

「──風見さんのことは、全然わかんないけど」

 風見は眉をひそめる。

「私?」
「そう。風見さんも隠し事をするし、嘘だってつく。でもそれは、あの人のためだ。ボクは、単純にあの人とは敵味方って関係ではなくて、だから風見さんだって、ボクにとって単純に味方とは言えない」
「──我々は」

 風見は考えて、口を開く。

「そういう関係だったと思うが」
「そう。それがもったいないなと思うようになっちゃったのは、ボクの側の気持ちの変化だよ」

 風見は目を丸くした。意外なことを言う、と思った。

「引き抜きか?」
「まさか」

 少年は笑った。

「ボクの味方になって、って言っても、うんって言う気ないでしょ。それをわかってて無謀な賭けをする気はないし──あの人の味方を取っちゃいたいわけじゃないよ。あの人の味方でいることは、止めないで」

 見下ろすと、少年はふらりと、足を揺らした。

「ボクが知っている中で、あの人の単純な味方って、風見さんだけだから。絶対に、必要不可欠な存在だよ。それを横取りなんて出来るわけない」
「そう、だろうか」

 必要不可欠なんて、そんな重要なものではないはずだ。
 あの人は、自分のことは全て自分で出来る。下手に他の人の手が入るよりも、ずっとうまくやる。風見に出来るのは、降谷の意を汲んで、可能な範囲でサポートすることだ。
 まだ推測の範囲を出ないが、少年の秘密を探ることを命じたのだって、結局はこの子を守るためだ。降谷自身のことは、自分でどうにかするつもりで、そこに風見の助けは必要ないのだろう。
 コナンは風見の反応に、何度か目をしばたかせた。

「そうに決まってるじゃん」
「そうか。……降谷さんも、そう思ってくれているといいんだがな」

 あまり少年相手に愚痴を言っても仕方ない。笑ってそう切り上げると、少年は首を傾げた。

「あっちがどう思ってるかは、関係ないんじゃない」
「……は?」

 風見は驚いて少年を見る。

「関係なくは、ないだろう」
「そう? そんなことないでしょ」

 逆に不思議そうな顔をして、少年はぽん、とベンチから下りた。

「そういう人だから、風見さんのこと好きだし、怖いんだけど」

 少年は不可思議なことをつぶやいて、くるりとこちらを振り返った。

「──隠し事は、ほどほどにね。ボクは探偵だから。隠されると、あばきたくなるんだ」

 これは、諸々、バレていると見ていいだろう。
 どこまでバレているだろう。どんなミスをしただろう。自分か、あるいは、服部か。もしくは橘か。
 関与する人数が多くなればほころびが出る、というのは実際、どうしようもない事実だ。
 風見は肩をすくめた。

「あいにくと、あばかれては困ることが多い身でな。──それに、いまは君をあばこうとしているところだ」

 ふっと、少年の口元に笑みが浮かぶ。

「待ってるね」

 そう言って、コナンは行ってしまった。
 風見は、ため息をつく。
 あばいていいよ、と言われた日のことを思い返す。同時に、つい先ほど、「証拠がなければ動けないんじゃないの」とからかうように言った彼の声を。
 到底信じられない、ひとつの仮説。それを真実だと証明するための、証拠。
 少年が消えた方向を見つめながら、風見は考える。

(──証拠は、ないわけではない)

 風見はスーツの胸ポケットを押さえて、もう一度ため息をついた。





 人物Aと人物Bが同一人物であるかどうかを確認するための方法は、色々ある。
 写真等での比較から、DNA検査まで。確実性の高いものから、低いものまで。
 比較のための材料が何かによって、取れる手段は変わってくるわけだが、中でも指紋認証は、精度の高い方法だろう。

 江戸川少年の指紋を入手するのは、容易だった。
 彼とは交流があり、彼が書いた手紙だの、彼からの土産だの、指紋採取のための材料は多数保有している。
 もう一方の、高校生探偵の指紋は、「新しく入手すること」は困難だ。なにせ彼は現在行方不明。理由もなく彼の家に侵入するわけにもいかないし、だいたい、あの家にはいま居候もいる。
 しかし、困難なのは、あくまでも「新しく手に入れねばならない場合」、だ。
 工藤新一は高校生探偵で、多くの事件に関わり、解決してきた。
 指紋を取られるのは、何も犯罪者だけではない。
 現場に残された指紋から犯人のものを見つけ出すためには、犯人以外の、その場にあっておかしくない指紋を除外する作業が必要になる。そのために、犯人ではないとわかっている人間の指紋もまた、採取されるケースがあるのだ。
 警察官の指紋は勿論のこと。そして、事件現場によく出入りしていた、探偵のものも、勿論。
 そして、指紋Aと指紋Bがあれば、比較し同一人物かどうかを判定することは、可能だ。



 依頼していた鑑定の結果は、すぐに届いた。
 風見は小さく息を吐いて、鑑識から届いた報告書を封筒から取り出す。
 その文言は、真っ先に目に入って来た。

 ──不一致。

 風見はひとつ息を吐いて、報告書を最後まで確認した。
 報告内容は単純なものだ。工藤新一と江戸川コナンの指紋は、一致しない。二つの指紋は確実に別人のもの。そう、鑑識が答えを出している。

(なるほど)

 風見は頭を掻いて、ため息をついた。
 これで、「到底信じられない仮説」は、やっぱりただの妄想だったのだ──と、言えればいいのだが。

(……まだこれでは、断定は出来ない)

 実のところ。
 風見はここで指紋が一致することはないだろうと、予想していた。
 これで一致するなら、とっくに降谷が正体をあばいている。しかし、そうはなっていないのだ。
 今回のことでわかったのは、「降谷が彼の正体に気づいて証拠まで掴んでいるのに、風見に黙っていた」という可能性が、「低くなった」というだけのことだ。

 ──指紋鑑定は、高い精度を誇る。しかし、勿論欠点はある。
 人物Aの指紋とされているものが、真実その人物のものであるかは、目の前で採取しない限り、確かではない。
 例えば、Aが触れたものから採取された指紋が、Aのものではなく、それに触れた別の人物のものである可能性はあるし──極端な話、Aの指紋として登録されたデータが、誤って登録された別の人間のものだったり、あるいは、すり替えられる可能性もある。

(警察のデータベースだ。そんなことは考えたくはないが)

 しかし、相手はあの少年だ。公安の警察官に盗聴器を仕掛け、公安のエースに一目置かれる人物なのだ。彼の周りには、それが可能であろう人物がいることも、知っている。
 そうすべき理由があるならば、やるだろう。
 風見は報告書を片づけた。

「そう楽はさせてもらえない、か」

 つぶやいて、苦笑する。
 簡単に、白黒がつけば楽だが、コナン相手にそれは無理な望みだ。
 とりあえず、改竄の痕跡がないかの確認。あった場合は、その追跡。──そして、別の物証探し。まだ手を付けていないルートも残っている。
 ひとつひとつ。
 可能性を潰していく地道な作業は、嫌いではない。
 それが確実に実を結ぶという、確証がなくても。それでも、それをしなければならないのが、警察官だった。



 橘から連絡があったのは、その日の夕方だった。
 週末から、とりあえず一週間ほど大阪に行くという。
 「いってらっしゃい」と返すのもおかしいし、服部を探るという話が、あくまでも彼女の自主行動であるという建前を考えると、「頑張ってくれ」というのもおかしい。というか、逆なでしそうな気がする。といって、了解、とだけ返すのもどうか。
 悩んだ末に、一言「気をつけて」と打つ。
 返してから、やはり適切ではない返答だったような気がした。
 彼女に対してどういう態度をとるべきか、まだよくわからない。

 旅行に行く前なら、橘が図書館にいることもないだろう。
 そう考えて、風見は気分転換がてら、本を返しに図書館に向かった。
 橘にすすめられて読んだ本は、面白かった。いや、こういうミステリーもあるんだな、と感心したというのが、より正確か。
 探偵がいて、警察がいて、証拠が揃えられ、不可解な犯罪は、鮮やかに解決される。風見は、ミステリーのそういうわかりやすさを好んでいたのだが──今回読んだ本は、合理的な解決がなされたと思いきや、最後に不条理にひっくり返ってしまった。驚いてネットで感想を漁ってみれば、ミステリーと怪奇を融合させた小説の祖として有名らしい。ミステリーというのは思った以上に、なんでもありなようだ。
 橘は何を考えてこんな本を渡してきたのか──いや、あの時点では何の話もしていなかったのだから、意味なんてなくただ単純におすすめなのか。
 彼女の声を、思い出す。

(でも、理由があるんでしょう? その、到底信じられないような仮説を立てた、理由が、何か)

 ポケットに入れたスマホが震えた。
 風見はハッとして、手早く返却を済ませると建物を出た。
 降谷からのメール。出がけに問い合わせたことへの、返答だ。
 メールに目を通し、瞠目する。
 その時、トン、と背中に人がぶつかった。

「失礼──」

 仕事柄、多少気が抜けていたとしても街中で人にぶつかるようなミスはしない。反射で警戒して身を引き、振り返って、風見は一瞬硬直した。

「いえ、こちらこそ申し訳ありません。しっかり前を確認出来ていませんで」

 そう言って、にっこり笑ったのは、本を抱えた穏やかそうな眼鏡の男。
 大学院生──ということになっている、工藤邸の居候・沖矢昴は、おもむろにドサリと、抱えていた本を風見の足の上に落として、「ああ、すみません」と実にわざとらしく謝罪した。

「服と靴を汚してしまったかもしれません。お詫びをさせて下さい」

 自然にことを運ぼうという配慮が全く感じられない態度と、隠すつもりのない圧力。穏やかなのは口元と声だけだ。
 いくら何でも、もっとやりようがあるのではないか。
 風見は反射で口から出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。
 しかし、これはかなり危機的な状況なのではないか。
 誤解しようがない程明らかに、沖矢昴は意図的に、こちらに接触してきている。
 沖矢昴の調査をしても良いかとたずねたメールへの、「絶対接触禁止」という上司の返答を頭に思い浮かべながら、風見は額を押さえた。