昴さんは忙しい
「では、誰を取材するか相談しましょう」
光彦がコナンたちを見回して、言った。
放課後。少年探偵団のメンバーはいつものように阿笠の家に集まって、テーブルを囲んでいた。
「宿題は今週末まで。結果をまとめるために一日あった方がいいでしょうから、取材に取れる時間は今日と明日の二日間です」
しっかり者の光彦がそう整理して、指を二本立てる。
「あんまり時間ないね」
「まあ、そんなに難しい課題じゃねーから、大丈夫だろ」
不安げな歩美のつぶやきに、コナンは肩をすくめた。
ジュースを運んできた阿笠が首を傾げる。
「課題とは? 今日はみんなで集まって何をするんじゃ?」
「宿題が出たのよ」
グラスを受け取って歩美たちに渡しながら、灰原が答える。
「はい。大人の人に、一日の時間の使い方を聞いて、こういうグラフにまとめるんです」
光彦が、学校で配られたプリントを取り出した。
一番上に大きな丸。天辺が零時で、一時間区切りで目盛がついている。その下には、誰の一日か、話を聞いてどう思ったか書く欄があった。
阿笠はあごを撫でながらそれを覗き込む。
「ほう? 面白い宿題じゃな」
コナンは首を傾げた。
「そうか? 子どもが話を聞ける大人なんて、親がほとんどだろうし、大して面白い話は出てこねーだろ」
「最近、時計の見方を習ったから、復習を兼ねてるんでしょ」
コナンと灰原の冷静なコメントに阿笠は苦笑した。
「それはそうかもしれんがの。それで? 宿題はみんなでやるのかな」
「おう! オレら五人で一班なんだぜ!」
「ねー」
「共働きのご両親がいる子は話も聞きにくいでしょうから、そのあたりに配慮してるんでしょうね」
「班分けも、そこ考えてるみてーだったしな」
「教師って大変ね」
「だな……」
しみじみとため息をつくと、光彦が突っ込む。
「もう、二人とも! そんなこと言ってないで、早く取材対象を決めないと」
そこで、阿笠がハッと気づいたようにコナンたちを見回した。
「わかったぞ。ワシに話を聞きたくて、ここに集まったんじゃな?」
嬉しそうな阿笠に、歩美たちは顔をしかめた。
「違うよ!」
「違いますよ」
「違うぞ」
口々に否定されて、阿笠は眉を下げる。
「何でじゃ。科学者の一日なんて、取材にぴったりじゃろう」
「でもよ、博士の一日なんて取材するまでもねーじゃんか」
元太が言うのに、光彦もうなずいた。ランドセルからノートを取り出して、円を描いていく。
「そうですよ。朝起きて、ごはんを食べて」
歩美が続ける。
「研究して、お昼ごはん食べて」
元太がさらに続ける。
「研究して、おやつ食って、オレたちと遊んで」
「そして、夕飯を食べて、お風呂に入って寝る!」
「聞くまでもないよなー」
ねー、と歩美たちがうなずき合う。ほぼ睡眠・食事・研究の三つで埋められたシンプルな円グラフを見て、阿笠はトホホと肩を落とした。
「そう言ってしまえばたしかにそうなんじゃが……」
「ボクたちは、意外性のある、スリリングな一日を過ごす大人を求めているんですよ。なんてったって、少年探偵団なんですから」
光彦が鉛筆を振って言う。
(オイオイ……)
コナンはため息をついた。
正直小学一年生の宿題なんて、真面目に取り組むのも面倒臭い。適当に済ませて、残りの時間は有意義に使いたいところだ。
「少年探偵団は関係ねーだろ……いいじゃん博士で。もうそれそのままプリントに写して終わりにしようぜ」
そう言うと、歩美が目をとがらせた。
「コナンくん、楽しちゃ駄目だよ!」
「そーだそーだ」
「はいはい、それじゃ、誰に取材するの?」
灰原が手を叩いて場をおさめる。うーん、と歩美たちは首をひねった。
「少年探偵団ならでは、みたいな人がいいよね」
「あ! 毛利探偵はどうでしょうか」
「はぁ? おっちゃん?」
コナンは顔をしかめる。
小五郎に話を聞かせてくれと頼んだところで、鬱陶しいと追い払われるのが関の山だ。
「止めとけよ。おっちゃんの一日こそ、博士より単調だぞ」
「そんなことないでしょう」
「有名な探偵さんなんだから」
「お前ら、全然わかってねーな」
コナンは光彦のノートを奪うと、「いいか?」と言ってカリカリと円を描いた。
「おっちゃんの一日はな、朝起きて、飯食って、新聞読んで、競馬して、昼寝して、テレビ見て、酒飲んで、寝る! こんなもんだよ」
出来上がった冴えないグラフに、歩美たちは顔をしかめた。
「かっこわるい……」
「でもよー、依頼が来たら違うんじゃねーか?」
「そりゃそうだけど、うまくこの二日のうちに依頼が来るかわかんねーぞ」
「……それはリスクが大きいですね」
「だろ?」
無事毛利小五郎が候補から外れ、コナンはホッとして鉛筆を放った。
「じゃあ……誰がいいでしょう」
また悩み出す三人に灰原が言う。
「スリリングな一日って言ったら、警察の人とかじゃないかしら?」
三人の顔がパッと明るくなった。
「さすが哀ちゃん!」
「なるほど。高木刑事ですね。たしかに、ものすごくスリリングな一日を過ごしていそうです」
「どんな一日だろうね?」
「刑事は忙しいって言ってたから、多分寝る時間はゼロだぜ」
「なるほど。張り込みとか、ありますもんね」
「現場検証とか! 犯人追いかけたり」
「何時間くらいやるんだろうな?」
「うーん、一日の半分……より、もっと多いですね。だいたい十八時間くらいじゃないでしょうか」
小学生の想像力は、労働基準法なんて完全無視だ。コナンと灰原は苦笑いする。
「働き者だね!」
「オレには絶対無理だ……飯食う時間あんのかよ」
「容疑者を取り調べる時に、一緒に食べているのかも」
「カツ丼だ!」
「うな重じゃないのか?」
「取り調べなら、カツ丼でしょう。毎日じゃないでしょうけど」
「つまんねーな。取り調べがない時はラーメンでも食ってるのかな」
「刑事さんは忙しくて食べるのが速いって聞いたことあるよ!」
「じゃあ一食十五分くらいですかね。お風呂もそんな感じじゃないでしょうか。パパッと手早く済ませるイメージがあります」
「きっとそうだね。えーっと、じゃあ毎日ごはんを三回と、お風呂で……一時間! ってことだよね、哀ちゃん」
「合ってるわ。良く出来ました」
高木の人権を無視したスケジュールには何もコメントせず、灰原は歩美の頭を撫でる。歩美は嬉しそうに笑った。
「えへへ。やった!」
「仕事と飯で、残り何時間だ?」
「ええと……二十四引く十八、引く一ですから、残りは五時間です」
「五時間かー。何してるんだろ」
「休憩くらいするんじゃねーか?」
「そうですね。いくら大人でも睡眠時間がゼロでは体力が持ちませんし、休む時間は合わせて二時間くらいあってもいいでしょう」
光彦はシビアだ。
「そうしたら、残りは……三時間!」
「正解」
灰原はまた歩美の頭を撫でる。元太が首をひねった。
「三時間……三時間も何するんだ?」
「うーん……あ、佐藤刑事といちゃいちゃする時間じゃないかな!」
歩美の意見に、光彦と元太は顔をしかめた。
「三時間もですか? しかも毎日?」
「気が緩みすぎてるぞ。もっと働く時間多くていいんじゃねーか?」
「同感です」
光彦がうなずいて、グラフにまとめようとしたところで、コナンはため息をついて止めに入った。脱線がひどい。
「こらこら、お前ら。それじゃ取材じゃなくて想像だろ」
「たしかに」
三人はハッと顔を見合わせた。
「実際のところは高木刑事に聞いてみないと」
「早速聞きに行こうぜ!」
「待て待て、その前に電話するから」
さすがに十八時間も働いてはいないだろうが、高木も捜査一課の刑事なのだ。平日昼間なんて、忙しいに決まっている。人がいいから頼めば取材くらいさせてくれるだろうが、事前のアポは必要だ。
コナンはスマホを取り出して、高木に電話をする。
数回のコールの後に、プツッとつながる音。
「あ、高木刑事?」
しかし、流れてきたのは留守番メッセージだ。
定型の機械音生ではない、高木の声のメッセージを最後まで聞いて、コナンは電話を切った。
「どうしたの?」
「出なかったのか、高木刑事」
コナンはうなずいて、肩をすくめた。
「研修だってさ」
「研修?」
「そう。今週いっぱいだってよ」
メッセージを残してくれれば折り返す、とのことだが、さすがに小学生の宿題にそこまで手間をかけさせるわけにはいかない。
三人はがっかりして眉を下げた。
「えーっ、じゃあ取材出来ませんね」
「佐藤刑事とか目暮警部は、忙しそうだもんな……」
高木とよく一緒にいる二人とも顔見知りではあるが、やはり高木と比べると取っつきにくくて気後れするのだろう。高木は忙しくないのか──と思ってしまうが、コナン自身、高木ならいいかと思って頼ることが多いので、人のことは言えない。
人選が振り出しに戻って、三人は困った様子でうーんと腕を組んだ。
「困りましたね」
「誰にしようか……」
やはり阿笠で済ませるのが一番いいだろうと、説得のために口を開きかけた時。
歩美がパッと顔をあげた。
「──あ! 昴お兄さん! 昴お兄さんがいいんじゃない?」
コナンと灰原はギョッとする。
「はぁ?」
「何であの人が出てくるの?」
二人の反応に歩美は首を傾げた。
「え、だって、お隣だから取材しやすいし、歩美たちみんな知ってるし、優しいし、かっこいいから」
「……いや、そうかもしんねーけど」
参ったな、とコナンは窓の外、隣の家に目を向ける。
阿笠家のお隣、工藤家に居候している「昴お兄さん」こと沖矢昴は、潜伏中のFBI捜査官だ。ご近所の子どもと気安く接していい立場ではない──はず、なのだが。昴は阿笠家に出入りするうちにすっかり、子どもたちと仲良くなってしまった。
歩美たちは、自分たちの依頼人も関わった木馬荘の一件で、焼け出されて家を失ったかわいそうなお兄さん、というイメージがあったのか、昴に無邪気に近づいていったし、昴の方は、灰原のこともあるから子どもたちを味方につけた方が得と判断したのか、家に押しかけられても文句一つ言わずに付き合ってやっている。元の姿を知っているコナンからすると、「まさかこんなことになるとはな」という思いだ。
光彦がうなずく。
「いいかもしれませんね」
「昴の兄ちゃん、取材に行ったらカレー作ってくれっかな?」
よだれを垂らす元太も賛成のようだ。しかし、昴を警戒している灰原は難色を示す。
「あの人を取材してどうするのよ。無職じゃない」
「……オイ灰原、大学院生を無職って言うのは」
「無職は無職でしょ」
灰原は食い気味に否定して、ふいっとそっぽを向く。そんな灰原を心配そうに見ながら、歩美が首を傾げる。
「昴お兄さん、大学生なんだっけ」
「大学院生、らしいわね。学生なんて学校行って帰ってくるだけなんだから、取材したってつまらないに決まってるわ」
「……そうでしょうか」
そこで意外なことに、いつもは灰原の意見にすぐ賛同する光彦が反論した。灰原は裏切り者でも見るようなじとっとした目で光彦をにらむ。
「円谷くんは、そうじゃないって言うの?」
「ええ。だって昴さん、普通の大学院生にしては、在宅率が高いと思うんです」
灰原が沈黙する。コナンは頭を抱えた。
(あー……)
これは、どうするか。
別に、昴を取材するというのはそこまで悪い案ではない。すでに少年探偵団とは交流があるのだし、昴ならいきなり押しかけられても無難な対応が出来るだろう。ただ、この三人の好奇心が、厄介だ。
光彦たちは無邪気に会話を続ける。
「ざいたくりつってなんだ?」
「いつもお家にいるってことです」
「……自宅警備員なんじゃないの」
「? 自宅警備員ってなあに、哀ちゃん」
「引きこもりのニートってことよ」
コナンはため息をついてフォローした。
「お前ら、昴さんは学生なんだぞ。オレたちが学校行ってるのと同じ時間に、大学に行ってるだけだって」
「そうでしょうか? ボクの従兄に、理系の大学院生がいるんですけど、研究が忙しくって家に帰る暇もないって言ってました。それに、大学院生が小学一年生と同じ時間しか勉強してないってこと、あるでしょうか」
コナンは内心舌打ちする。光彦は年の割に鋭いところがある。頼りになる時は非常に頼りになるが、いまは面倒だ。
元太が首を傾げた。
「あのさー、大学院生って、なんだ? 大学生とは違うのか?」
「大学を卒業した後、もっと勉強する人が行くのが、大学院です。だから、ものすごーく長い時間、勉強してないとおかしいんですよ」
「ん? よくわかんねーけど、大学の勉強だけじゃ駄目って、補習ってことか?」
「違いますよ! とっても優秀だから、もっと難しいことをお勉強するんです」
「へー! 昴の兄ちゃんすげーんだな」
「でも、不自然なんです。──何か秘密があるんじゃないでしょうか」
「秘密って、例えば?」
「……大学院生は仮の姿で、実は別に正体があるとか」
歩美と元太は目を輝かせ、コナンは思わず目を閉じた。
三人はワッと盛り上がる。
「だって、あのお隣のいわくつきのお屋敷に一人で暮らしているんですよ。ただ者じゃないに決まってます」
「……お前ら、まだ隣をお化け屋敷だと思ってんのか。何度も遊びに行ってるだろ」
「そうですが、あんな広くて立派なお屋敷なんですから、秘密の部屋とか、あるかもしれないじゃないですか」
「すっごくたくさん本があるんだよね」
「どこかに仕掛けとかあるかもしんねーな」
「秘密の通路があるとか……!」
「そこで秘密の取引をしているとか……!」
「誰か悪い人を匿っているかも」
「昴の兄ちゃんはいい人だから、匿ってるとしても悪い人じゃねーだろ」
「悪の組織の取引を目撃してしまった一般人を保護しているとか、そんな感じですかね」
(いいとこ突いていやがる)
無邪気な妄想だが、今度は全く笑えない。
好奇心旺盛なこいつらをこのままにしておくと──。
「私たちに、何かお手伝い出来ることないかな!」
(──ほーら見ろ)
こういうことになるのは、目に見えている。
頭を抱えるコナンを、灰原が冷めた目で見る。
「──江戸川くん」
「……なんだよ」
「この子たちを妙なことに巻き込んだら、あなたたち二人ともただじゃおかないわよ」
低い脅迫に背筋が凍る。
しかし、三人の好奇心をこのままにしておくとまずいのは確かだ。
(仕方ねーな。後で昴さんに相談して──)
その時。ピンポーンとチャイムが鳴った。
灰原の顔が嫌そうにしかめられる。
「はいはい」
阿笠が玄関に向かった。そしてすぐに、鍋を抱えた沖矢昴を連れて戻ってきた。
(タイミング……!)
昴は頭を抱えるコナンをよそに、愛想の良い笑顔を見せた。
「こんにちは。今日は皆さんお揃いですね」
「昴さん!」
「昴お兄さん!」
三人は立ち上がる。元太が鼻を鳴らした。
「この匂い……カレーだ!」
「はい。作りすぎてしまったのでお裾分けに」
灰原が顔をしかめた。
「何日も食べられるカレーをお裾分けですって……? どんな大鍋で作ったのよ」
低い声の文句は元太の歓声でかき消される。
「やったー! 博士、ご飯あるか?」
「待って下さい、元太くん。カレーの前に宿題です」
「宿題? 皆さんは勉強熱心ですね。素晴らしい」
昴は鍋を阿笠に渡して、机の上のノートを覗き込んだ。
三人は顔を見合わせ、光彦が代表して切り出す。
「あの、もしお時間があればボクたちの宿題に協力していただきたいんですが」
「私に協力できることがあるなら、勿論」
昴はあっさりうなずく。歩美に促されてソファに座った昴に、もうなるようになれと、コナンはため息をついた。
昴も現役の、しかも優秀な捜査官だ。子どもたちの追及くらいかわすだろう。
三人は宿題の内容を説明した。ほう、と昴はうなずく。
「面白い宿題ですね。しかし、それなら阿笠博士が適任なのでは?」
「博士の一日なんて取材しなくたってわかるだろ」
「歩美たち、昴お兄さんのこと知りたいなって」
「ふむ。面白い話は出来ないと思いますが、君たちがそう言うなら」
「ありがとうございます!」
光彦は鉛筆を手に取った。
「それでは早速。──昨日は何時に寝て、今朝何時に起きましたか?」
「ベッドに入ったのは十時頃。起きたのは七時頃ですね」
(嘘じゃん)
コナンは目をすがめた。時計の針が天辺を超える前に寝るところなんて、見たことがない。これは「ベッドに入ったのは十時頃だが眠りについたのは二時」とかそんな感じだろう。
「……九時間。結構良く寝てますね」
「睡眠は大事ですから。最低八時間は寝るのが、体のためにもいいんですよ。記憶の定着にも睡眠は大事だと言われていて、よく勉強した後は特に、よく寝るのがいいんです」
「へー!」
「知りませんでした」
しゃあしゃあと説く昴に、コナンは目をすがめた。
睡眠時間なんて二時間あれば十分、などと言って、そんなだから目の下の隈が消えないのだと有希子に怒られていたのは誰だったか。
「ええと、では次。起きた後の行動を教えて下さい」
「身支度をして、朝ごはんを食べました」
「朝ごはんは何時頃食べましたか」
「八時頃ですね」
「なるほど……ん? 七時に起きて、朝ごはんは八時。一時間、時間がありますね」
光彦の目がキランと光る。歩美と元太も、じぃっと昴を見つめた。
「何してたの?」
「何してたんだ?」
──言った通り、身支度だろう。沖矢昴の変装は、そこそこ時間がかかるのだ。
昴はにっこり笑った。
「実は私、低血圧で。目が冷めた後、ベッドで三十分くらいぼーっとしてからじゃないと起き出せないんです」
(それは、まんま赤井さんだな)
起きようと思えば起きられるが、朝は苦手だから起きたらしばらくぼーっとしていたい、というのは、沖矢昴の中の人、赤井の体質である。──嘘をつく時には少し真実をまぜた方がバレにくい、というあれだろうか。
「えーっそうなの? 低血圧って、歩美のお母さんと一緒だね」
「そんなことあるのか?」
寝起きがいいらしい元太が、理解できない様子で首をひねる。歩美は大きくうなずいた。
「うん、朝は毎日大変なの。体質だからどうしようもないんだって。昴お兄さんも大変なんだね」
「吉田さんのお母様も。お察しします」
「なるほど、わかりました。……残り三十分は?」
「身支度と、朝食の準備ですね。朝は一日の始まりですから、ご飯はしっかり食べることにしているんです」
(今度はまたものすごい嘘だ)
コナンは呆れた。朝はコーヒーしか口にしない男が何を言っているのだろう。これは、実は健康な生活をしたいという昴の思いの表われなのだろうか。
「朝は何食べたんだ?」
「パンケーキとスクランブルエッグ、ベーコン、あとサラダとグレープフルーツジュースです」
「すごーい、ホテルの朝食みたい」
「恐縮です」
(何がだ)
なり行きを見守るコナンと、冷めた表情を崩さない灰原には構わず、子どもたちの取材は続く。
「ご飯を食べた後は?」
「今日は午前中授業があったので大学に」
「お家を出たのは何時頃ですか?」
「八時十五分頃です」
「昴お兄さん、ごはん十五分で食べたってこと? 駄目だよ、せっかく素敵な朝ごはん作ったんだから、優雅に、よく噛んで食べないと」
歩美に注意されて、昴は素直にうなずいた。
「そうですね、気をつけます。──大学までは三十分ちょっとかかるので、九時前に大学に到着して、授業の準備をして、九時から十二時まで授業を受けました」
このあたりは、完全にフィクションだ。おそらく家でFBIの同僚とやりとりをしていたはずである。
「その後は、昼飯だな! 昼は何食べたんだ?」
「学食のきつねうどんです」
「学食って、うまいもんいっぱいあるのか?」
「正直、あまり美味しいものではありませんね。勿論、まずいと言うわけでもありませんが……良い所をあげるなら、量が多くて安いことでしょうか」
見てきたように言う。よくきつねうどんなんて知っていたものだ。いや、成りすますにあたり、一度や二度大学には行ったことがあるのかもしれないが。きつねうどんをすする昴の姿はうまく想像出来なかった。
「午後は?」
「今日は午前中でおしまいだったので、帰宅しました。夕飯の買い物をしながら帰ってきたので、所要時間は一時間くらいでしたかね。家に着いたのは一時半頃です」
「……大学院生って、もっと勉強するものじゃないんですか?」
光彦が疑いの目を向けながらたずねる。昴は細い目をわずかに見開いた後、快活に笑った。そして、穏やかに教え諭すように話す。
「すみません、イメージを壊してしまいましたか。──正直、人それぞれなんですよ。それに、タイミングにもよります」
「タイミング?」
「ええ、実験も大詰めとなると寝る暇もないくらいの忙しさですが、準備段階だと、のんびり出来ることも多いんです。本や論文を読むのは、家でも出来ますしね。授業も、今日は午前中でしたが、午後のこともあれば一日中のこともありますし、一日授業がない時もあるんですよ」
「へぇー……そういうものなんですか」
光彦は拍子抜けしたように目を瞬かせた。
「……そういえば、大学生の従姉は、週の前半に授業をつめて、後半はバイトばかりだって、伯母さんが言ってたかもしれません」
「自分で好きな授業を選択できるのも、大学の良い所ですね」
「なるほど……そうなんですね」
コナンはホッと息を吐いた。思いの外すんなり落ち着きそうだ。
その時歩美が首を傾げた。
「でも、じゃあ今日は今まで何してたの? ずっとお家にいたってこと?」
「そうだ、暇なら遊びに行けばいいじゃん」
「確かに。お家にいないといけない理由があるんですか……?」
あっという間に疑いの目が復活してしまった。昴はそんな三人を見て不思議そうに目を瞬かせて、ああ、とうなずいた。
「円谷くんの従姉の方と同様、バイトをしていたんですよ」
「バイト?」
「バイトって、外で働くんだろ? コンビニとか」
「そういうバイトもありますが、私がしているのは翻訳のバイトなので、家で出来るんです」
「翻訳って、英語から日本語にするとか、そういうやつですか?」
「はい。商業翻訳、という分野があるんですが、外国の製品についている説明書などを日本語に訳すお仕事です」
おお、それっぽい設定が来たな、とコナンは感心する。元から考えてあったのだろうか。三人は目を輝かせた。
「すごーい!」
「そんなお仕事があるんですね」
「お金いっぱいもらえるのか?」
「いえ、残念ながら大した金額にはなりませんね」
「お勉強しながらバイトもするって、大変だね」
昴はうなずいた。
「ええ、でもそうしないと無収入で、生活が出来ませんから。工藤さんのお家に住まわせていただいているので、家賃が浮いて助かっていますが──学生なんて、無職みたいなものですからね」
どこかで聞いた言葉に、灰原が嫌そうに顔をしかめた。昴は灰原を見てにっこり笑う。
「そういうわけで、意外と大変なんですよ、学生も。料理をして一時間ほど気分転換したので、これからまた夕飯まで仕事をしないといけません。夕飯の後も、寝る時間までバイトです。働かないと、明日のご飯も食べられませんから……」
深刻そうに言っているが、先程大きな鍋に頼まれてもいないお裾分けを入れて持ってきたのを忘れているのだろうか。忘れたらしい子どもたちは、すっかり同情している。
「そうだったんですね……暇そうだなんて失礼な勘違いをしてすみませんでした」
光彦が言わなくても良いことを白状しながら謝る。歩美も申し訳なさそうにたずねる。
「歩美たち、遊びに行って邪魔しちゃってた?」
「いえ、良い気分転換になっていますから、気にしないで下さい。──ただ、留守の時もありますし、集中したい時はチャイムを切っていることもあるので、そういう時はそっとしておいていただけると、とても助かります」
「わかった!」
「わかったぞ!」
「わかりました」
三人は口々に約束する。
(……一見落着、と)
所々適当だった気がするが、三人は納得したようなので、良いだろう。
昴はにっこりと笑って立ち上がった。
「では、仕事に戻ります。またゆっくり、お話ししましょう」
「はい、今日はありがとうございました!」
(ありがとう、昴さん)
子どもたちの妄想が暴走しはじめて、また勝手に動き出す前になんとかなって助かった。
コナンが彼らの後ろから手で礼をすると、昴は口の端を少し上げ、帰って行った。
「学生さんの大変さ、甘く見ていました」
時間はあるし、もうまとめてしまおう、とプリントに取材結果をまとめながら光彦がため息をつく。
「面白い秘密がなかったのは、ちょっと残念だけどね」
歩美もグラフに色をつけながらうなずいた。
「今日のカレー、野菜がかたいのは安い野菜しか買えなかったからか……?」
カレーを食べながら元太が気の毒そうに言った。
「煮込みが足りないんでしょ」
灰原が素っ気なく言う。
「まあオレは昴の兄ちゃんの料理、面白くて好きだぜ!」
「小嶋くんは胃が丈夫でいいわね」
「おう!」
灰原はため息をついた。
「──さて。あとはみんなで取材の感想を書けば終わりです」
光彦は言って、自分から書き込んだ。
「『大学院生は、勉強もお仕事もしないといけなくて大変だと思いました』──はい、歩美ちゃんどうぞ」
「うん。えーっと、『私もいっぱい寝て、学校で勉強したことをちゃんとおぼえようと思いました』──はい、次、元太くん」
「おう! 『金がなくてもしっかり飯食ってるからえらいと思う。父ちゃんの知り合いの八百屋に、野菜を安く売ってあげてくれって頼んでやろうと思った』で、どうだ。ほら、コナンの番だぞ」
「へいへい」
鉛筆を受け取って、少し考えてから書く。
「『忙しいのにいつも面倒見てくれてありがとう』──って感じかな」
最後に灰原に鉛筆を回す。灰原はしかめっ面でプリントをにらんでから、書き込んだ。
「『お裾分けをするなら、料理も勉強して欲しい』──これでいいでしょ」
「よし! 宿題、一日で終わりましたね」
「そしたら後は、ずーっと遊べるな」
わーい、と盛り上がる三人に苦笑して、灰原に目を向けると、「何よ」とにらまれる。
「いや? 差し入れに来るな、とは言わねーんだな、と思ってさ」
すると灰原はものすごく、ものすごく嫌そうな顔をして、フン、とそっぽを向いた。
「ちゃんと煮込まれてれば、嫌いな味じゃないから。──だいたい、私が何か言ったからって変わるわけ?」
その通りだ。あの人は灰原を見守ることは止めないだろう。──全て解決するまでは。
コナンは肩をすくめた。
「──ま、悪い人じゃねーよ、昴さんは。お前も知ってるだろうけど」
「……どうかしらね」
灰原も真似して肩をすくめると、カレーをもう一杯食べようとする元太と、それを止める阿笠たちの攻防に入っていった。
もう半分だけ、夕飯が入らなくなるから止めなさい、というにぎやかな声を聞きながら、解散した後で、昴にちゃんと礼を言いに行かないとなと考えながら、コナンは飛んできた宿題のプリントを拾い上げた。