どうか良いお年を




 大掃除を済ませた家の中は、空気が澄んで冷たい。
 高い天井を見上げて息を吐き、テレビのチャンネルを切り替えてみたが、どこも同じような番組ばかりだった。
 家に一人、というのはこんなにつまらなく、心細いものだっただろうか。
 テレビを消して、コナンはため息をついた。


 正月を毛利家で過ごすことを遠慮したことに、深い意味はなかった。
 年末、正月はさすがに英理が戻ってくる、という話になって、だったら遠慮しようかな、と軽く考えたのが始まりだ。
 毛利家の一家団欒に、居候は不要だ。単純に、英理が苦手だ、というのもある。
 それにもうひとつ、クリスマス前後から小五郎が妙に「コナンの親」を気にしていたのも、引っかかっていた。
 クリスマスは有希子にプレゼントを贈ってもらってなんとかしのいだが、正月に子どもの顔も見に来ない親、というのは少々不自然だ。

「お正月はこっちに来いってお母さんが言うから、ボク、年末年始はお母さんたちのとこに行くね」

 そう言うと、小五郎と蘭はホッとした様子と少し寂しそうな様子を半々に見せて、承知してくれた。


 さて、毛利家から出てどこへ行くか……となると、自宅だ。
 普段は赤井がいるのだが、赤井は仕事があるそうで、クリスマスからアメリカに戻っていた。阿笠邸のことは、信頼できる人に任せたらしい。
 そうか、と当てが外れた気持ちになっていた時、両親から連絡があった。
 今年は優作の仕事の付き合いで、フランスに行くのだという。
 来るかと聞かれたが、気軽に海外には出国出来ない身の上だ。丁重に断って、こっちにいるから大丈夫、と答えた。
 そうなると、残りは阿笠だ。阿笠のところには灰原もいるし、出かけたりはしないだろう……と、ここでまた、予想外の事態が起きた。
 歩美の両親の誘いで、いつものメンバーで旅行に行こう、ということになったのだ。日頃阿笠に子どもたちが世話になっているから、そのお礼の意味もあるらしい。
 さてここで問題になるのが、コナンが毛利家についた嘘だった。
 「海外の両親のところに行く」と言っているのに、少年探偵団の面々と旅行に行くわけにはいかない。誰の親から話が漏れるかわからないのだ。
 そういうわけで、コナンは不参加となった。
 親と一緒、と言えば、阿笠たちは工藤夫妻が戻ってくるのだと思ったらしかった。
 ──そんなこんなで、一人の年越しが確定したのである。


 年末、二十八日に工藤家の大掃除をしてくれた蘭とその場で別れ、そのまま家に籠ること四日。
 本が読み放題だと浮かれていた気分も、ため込んでいだ新刊を粗方読み切った後は落ち着き、コナンはいささか、この状況に飽きてきていた。
 まだ今日は大晦日。毛利家に「戻る」と言った三日まで、ようやく折り返しというところだ。
 そういえば、食糧がそろそろ無くなってくる。
 籠る時にインスタント食品を買い込んだが、協力者もいない子ども一人に持ち運べる量はたかが知れていて、とてもじゃないが一週間分は無理だった。
 買い物に行かねばならないが、都内にいる蘭たちに見つかったら厄介だよなと思うと積極的に出かける気にもなれず、だらだらしているうちに、夜になる。空腹が無視出来なくなって、コナンはようやく外に出る覚悟を決めた。

 ──大晦日だし、コンビニでそばくらい買ってくるか。

 そう考えて、重い腰を上げた。

 外の空気は、家の中など比べ物にならないくらいに冷たく尖っていた。ぐるぐるに巻いたマフラーに顔を埋めて、念の為周囲を確認して、歩き出す。
 毛利家はこの時間なら、家で食事をしているだろう。初詣に行く時間までは、外で会うことはない。少しだけ、顔を見たいなと思ったが、嘘がばれては元も子もないと首を振る。
 あと三日、何をしようか、何を食べようかと考える。
 
 ──あと三日、と今日の夜。三日は昼までだから……九食か。一日三食、食べないといけないのがまず、面倒なんだよな……昼は抜いてもいいか? ろくに動いてねーし。

 そうすれば一気に三食分、減らせる。
 そうしよう、と決めて足を速めたその瞬間。何気なくそらした視線の先で、建物の陰に隠れていた男と目が合って、コナンは足を止めた。
 眼鏡をかけた私服の男は、コナンを見てギョッと目を見開く。
 視線がうろ、と揺れた。そして、人ごみに目を向け、ハッとしたようにわずかに身を引いた。
 コナンはとっさに男に駆け寄った。

「パパ、ここにいたー!」

 そう言って抱き着くと、男──公安の風見はコナンを抱き上げた。
 高くなった視界、先程風見が視線を向けていた方に目をやると、一瞬、四十代くらいの男と目が合う。男は、風見とコナンを見て、ホッとした様子でまた歩き出した。

「……ごまかせたみたいだけど、完全に風見さんの顔は覚えちゃったみたいだよ。尾行なら、人変えた方がいいんじゃない?」

 抱っこされたままそう囁く。風見はインカムに、符丁めいた文言を数語呟くと、コナンを見つめてため息をついた。

「……君は……いや、まあ、助かった」
「大晦日にお仕事? 大変だね」
「……ああ、まあ」

 甘える子どものふりをして、肩に頭を預けてそう言うと、風見はまたため息をつく。

「パパ、尾行苦手なの?」
「いや……不測の事態があったんだ……まあ、気づかれていてはただの言い訳だな。あとパパは止めなさい」
「ごまかせたんだし、いいんじゃない」

 コナンは改めて、風見の姿を見る。ラフなダッフルコートを着ていると、スーツ姿より若く見える。いくつかは知らないが、案外、安室とそう違わないのかもしれない。
 そういえば、とたずねる。

「今日、安室さんは?」
「あむろ? ああ……あの人は、この業務には関わっていない。バイト先にいるんじゃないか」

 なるほど。そういえば安室にも、見つかったら厄介だから気をつけなければならない。

「ところで君は、こんな時間に一人で何をしているんだ?」
「えっと、買い物」
「こんな時間に、一人でか?」

 繰り返される。コナンは肩をすくめた。

「うち、ここから近いんだよ」
「毛利探偵事務所は、少し離れていたと思うが」

 コナンは内心で舌打ちした。
 毛利家と工藤家は、そもそも少し離れている。そして、万が一にも毛利家の面々と会わないようにと、コナンは毛利家とは逆方向に歩いてきた。風見が「小学生には少し遠い」と思うのも無理はない。

「……えーっと」

 何と言えばいいのか、と考えて、若干、面倒臭くなる。
 そもそも、下手な嘘をついたからこんな状況になっているのだと思えば、そこにさらにごまかしを重ねるのは面倒に思えた。
 顔をしかめて黙るコナンを風見は追及する。

「まさか、毛利家の人と喧嘩でもして家出してきたのか?」
「そういうんじゃないけど……」

 そこで、ぐぅ、とコナンの腹が小さく鳴った。
 そうだ、夕飯を買いに来たのだ。
 風見はコナンを見つめる。それに愛想笑いを返すと、風見はまた、ため息をついた。

 風見はそのまま何も言わず、コナンを近くのコンビニに連れて行くと、肉まんを買ってくれた。

「夕飯前でも、これくらいなら食べられるだろう」
「わ、ありがとう風見さん」

 風見は礼に頷くと、コナンを抱えたまま、コンビニの前で立ち止まり、インカムで暗号めいた短いやりとりをしている。

 ──もっと厳しく追及されるかと思ったけど……それどころじゃないんだろうな。

 本来、子どもにかまけている暇はないのだろう。
 面倒臭がらずに、風見が納得できるような言い訳をして、解放てやった方がいい。

 ──どんな事件かは、ちょっと気になるけどな……。

 子ども連れだとごまかしがきくよ、とでも言って無理矢理連れて行ってもらおうか。
 そんなことを考えていると、コンビニの駐車場に、見慣れた白い車が滑り込んできた。RX-7だ。

 ──げっ

 反射で脱出を試みるが、予測していたのか、風見はがっしり、コナンの腰に腕を回す。

「ちょっと、風見さん! なんで?」

 だいたい、いつ連絡をしていたのか。尾行していた公安の仲間とやりとりしているのだろうと、すっかり油断していた。風見はしれっと答える。

「毛利家に私が電話するわけにはいかないからな。君をこのまま寒空に放置するわけにもいかないし」
「裏切者!」
「私は元々、あの人の部下だ」
「──やあ、コナンくん」

 車からおりてきた安室が、にこにこと笑顔でやってくる。

「年末年始はご両親のいる海外って聞いてたのに、いったいどうしてこんなところにいるのかな」

 嫌な人に見つかった、とコナンはため息をつく。
 安室は当然、毛利家から色々聞いている。「海外か、いいなぁ。気をつけてね」「うん、安室さんも良いお年を」というやりとりも数日前していた。

 ──詰んだ……。

 コナンはがっくりとうなだれた。

「よろしくお願いします」
「ああ、ご苦労」

 短いやりとりをして、公安の上司部下は荷物のようにコナンを受け渡しする。せめてもの嫌がらせにと、風見のコートのフードに、丸めた肉まんの包み紙を突っ込んでやる。
 安室の腕に移ったコナンのむくれた顔を見て、風見はふっとふきだした。

「すまない。私も警察官なものでな。──よいお年を」
「……風見さんもね」

 まあ風見の立場を思えば仕方ないかと、ため息をついて返す。

「じゃあ嘘つきの不良少年はこっちだ」

 安室はコナンを抱え、車に乗り込む。器用にコナンを助手席に移すと、シートベルトを締め、車はすぐに動き出した。

 さて、どうするか。
 落ち着いて座り直して、考える。
 と言っても、安室相手では下手なごまかしはきかないし、毛利家に余計なことを言われても困る。正直に話して、見逃してもらうしかない。
 幸い、と言っていいのか悪いのか、安室はコナンが普通の小学生ではないことを、薄々察している。

「それで、言い訳はまとまったのかな」

 見計らったように、安室がそう言う。窓の外に目を向けながら、コナンはひとつ息を吐いた。

「悪意があって嘘つくつもりはなかったんだよ。タイミングが悪かったっていうか……」

 赤井と両親のことを除いて、ほぼ正直に話す。

「──ってわけで。ボクの親は、忙しいし。蘭姉ちゃんたちに、たまには一家団欒して欲しかっただけなんだよ」
「……呆れたな」

 安室はため息をついた。

「それでもう四日も、子どもが一人で? どこで寝泊りしてるんだ」
「……新一兄ちゃんの家」
「あそこの、沖矢さんだっけ? 彼は」
「ご実家に帰省中」
「役に立たない男だな」

 舌打ちせんばかりの勢いに、フォローを入れる。

「昴さんは学校が冬休みに入ってすぐに帰省したの。ボクが勝手に上がり込んでるんだよ」
「学生は暇なんだな」
「いや、年末年始だよ? 家族で過ごすのが普通でしょ」
「普通、ね」

 信号で停車して、安室はトントンとハンドルを指で叩く。

「いや、まあ、人によっていろんな事情はあるだろうけどさ。家族で過ごせて、過ごしたいなら、それでいいんじゃない」
「それで、君自身は他人の『普通』を守るために、一人輪から外れてもいいと」
「……そういう、健気な思考ではなかったんだけど」

 毛利家に一家団欒のひと時を、と思ったのは事実だが、蘭も小五郎も、ついでに英理だって、コナンを邪険にしたりはしなかっただろう。この家で年末年始を過ごしたい、と言えば喜んで受け入れてくれたはずだ。
 両親だって、事情を話せばフランス行きをキャンセルして、こちらに来てくれたかもしれない。仕事がからんでいる優作はともかく、有希子はきっと、そうしただろう。
 阿笠たちの旅行はたまたまで、それだって歩美たちの親の善意からのものだ。
 結局、ただ少しタイミングが悪かったというだけのことなのだ。
 しばらく間をおいて安室はつぶやいた。

「……息子を他人の家に預けて、こんな時に会いにも来ないなんて、どんなご両親なんだって、思っていたけど──君は、愛されて育った子どもだな」
「え?」

 なぜその前段からその結びになるのかと、コナンは首を傾げる。安室は淡々と言った。

「君は、ひとつも疑っていない。嘘をつかなければ毛利さんたちは自分を受け入れただろうし、来て欲しいと言えばご両親も来たと、そう思っているだろう」
「うん……まあ」
「だから、タイミング悪く一人で過ごす羽目になっても、そんな風に落ち着いている。見捨てられたわけではないと、ちゃんと知っているからだ」

 安室はひとつ息を吐いた。

「……まあ、年のわりに割り切りすぎている、とは思うけどね。普通は、君くらいの年の子は、一人では不安になるものだろう」
「不安じゃない、とは言わないよ。この家の天井、こんなに高かったっけなーって、思った」
「あの家は立派だからね」
「──ねえ、ところでどこに向かってるの?」

 下道を走ってはいるが、どう見ても、米花町に戻る道ではない。

「さあ。君をどうしたらいいか、まだ決めかねているからね」
「新一兄ちゃん家に戻してくれたらいいよ。安室さんは、わかってくれるでしょ。あと三日のことだし、今更蘭姉ちゃんたちのとこに戻っても、やな思いさせるだけだよ」

 嘘がばれたら怒られるだろうが、それ以上にあの一家は、子どもに気を遣わせ、嘘を見抜けなかった自分たちを責めるはずだ。初日に見つかったならともかく、もう四日、コナンは一人だったのだ。
 安室は無言だ。どうすればいいか、考えているのだろう。
 とりあえずは安室が考えをまとめるのを待つしかない。

 ──そういえば、安室さんは家族、いるのかな。

 ふと、それが気になった。
 聞いたことがないが、聞いてもろくな答えは返ってこない気がする。
 愛されて育ったのだろうと、指摘をしたのは、彼自身もそうだからなのか──あるいは逆か。
 コナンは安室のことを、よく知らない。
 本当の所属は公安で、黒の組織に潜入している捜査官。子どもの頃のあだ名はゼロ。料理が上手で、スポーツ万能。ギターも弾ける。嫌いなものは赤井。
 考えてみても、それくらいだ。知り合って数か月経つのに、これではほとんど知らないも同然だ。
 家族は、いるのかいないのかわからないが、危険な任務の最中だ。いたとしても、のんびり帰省など出来ないのだろう。公安に配属されたことは、親にも言えないものだと聞く。
 ならば、年末年始の予定や家族の話など、聞いても無意味だ。
 いても会えない人の話も、会いたい人がいない話も、どちらも積極的にしたいものではない。
 そこで、思いつく。

「ねえ、安室さん、ポアロは今日明日、お休みだよね」
「え? ああ……さすがにね」
「じゃあ、今日と明日は、安室さんがボクの面倒見てくれたらいいんじゃない?」
「……は?」

 安室は、何を言っているんだ、と言いたげな声をあげ、コナンに目を向ける。

「前見て運転してよ」

 安室は顔をしかめて、視線を正面に戻した。

「このまま毛利探偵事務所に乗りつけるのが、僕にとって一番楽な方法なんだけどね?」
「それをするなら、もうしてるでしょ。考慮する余地があるから、迷ってるんだ。ポアロの仕事はなくても『探偵』のお仕事が、入ってる?」
「……いや」
「なら、時間はあるんでしょ。──ボク、安室さんのお家行ってみたいなぁ」

 わざと猫をかぶってそう言うと、安室は眉間のしわを深くした。

「僕のメリットがどこにもない」

 それは、そうだ。
 まあ、断られるだろうとわかっていての提案だ。コナンはうなずいて、「それなら、工藤邸に戻るしかないよね」と言うために口を開く。

「じゃあ──」
「でも」

 安室はさえぎるように言って、ため息をついた。

「さすがに僕も、一人とわかって君みたいな小さな子を放り出すほど、非情ではないんだ。──わかった」

 そう言って、安室は交差点で大きくハンドルを切って、方向転換した。

「いいよ。ご招待しよう。──後悔は、しないように」




 嘘だろ、と思いながら、連れていかれるままに買い物を済ませ、安室透が住むアパートに到着する。
 簡素な、二十代から三十代程度の学生や社会人の一人暮らしには適当と思われる、ごく普通のアパートだ。工藤家からも、そこそこ近いところにあった。

「どうぞ」

 安室は玄関の鍵を開け、にっこり微笑む。ここにきて、少しためらう。

「あの……ほんとにいいの? ここからなら、新一兄ちゃんちもすぐだし」
「子どもを一人にするのが問題なんだと、言わなかったかな。だいたい、うちに来たいって言ったのはコナンくんだろう」
「そうなんだけど」

 見上げた安室は、薄い笑みを浮かべたままだ。覚悟を決めてため息をつく。

「──お邪魔します」
「どうぞ」

 入った部屋は、外観同様、ごく普通だった。今時和室、というのはやや珍しいか。台所と、和室と、おそらくはトイレと風呂につながっている扉。
 家具は極端に少ない。
 ベッドとテーブル──以上。
 なんというか、いかにも潜入捜査官っぽい部屋だ。ここを探っても何も出て来なさそうだ。もっとも、そうでなければコナンを連れてきたりしないだろう。

「テレビとか見ないの?」

 一通り部屋を観察して家主を見上げると、にこにこ見下ろしていた安室は、見ないからね、と答えた。

「ニュースはケータイで十分だろう」
「それはそうだけど……紅白とか見ないんだ?」
「見たいの?」
「そういうわけじゃないけど」

 テレビの音でもないと、この男と二人では気詰まりな気がする。安室は買った食料を冷蔵庫にしまう。

「蕎麦をゆでようか。ご飯食べてないんだろう」
「安室さんは夕飯食べたの?」
「まだだよ」
「お蕎麦で足りる?」
「天ぷら揚げるからね。足りるだろう」
「天ぷら」

 ちょろちょろと無意味に、台所を行き来する安室のそばをうろついていたコナンは、油を使うと聞いて反射で身を引く。安室はふきだした。

「君に作れとは言わないよ」
「えーっと、何かお手伝いすることとか……」
「コナンくんはお客様だから、座ってていいよ」
「でもお世話になるし」

 結局、食料品だの替えの下着だの携帯歯ブラシだののお金を出させてしまったのは後ろめたいし、時間をつぶすにも部屋には何もない。
 安室はにっこりとほほ笑んだ。

「何もしないで見ていてくれると、はかどる」
「──はい」

 ご意見ごもっとも、だ。仕方なく、和室から台所をのぞくことにする。
 この隙に盗聴器でも仕掛けてみようかな、と一瞬思ったが、今回立場が弱いのはこちらだし、仕掛けたところですぐに見つかってしまうだろうから、止めておく。
 安室は決して広くはない台所で、テキパキと料理をしている。
 この男が料理をするところは何度も見ているが、いつ見ても、手際がいい。
 安室の動きは一言で言って、「効率的」だった。無駄な動きが一切なく、手を止めて何かを待つ時間がほとんどない。
 切った野菜をゆでるお湯はきちんと事前に沸かしてあるし、ゆでている間にも別の作業が進んでいく。合間に、片付けもしている。
 料理は頭を使うのだ、とテレビで料理研究家か誰かが言っているのを聞いたことがあるが、これを見ていると、その通りだと思う。
 複数の作業が、あの頭の中で整理されて、無駄のない手順で組み立てられているのだろう。

 ──蘭とも、母さんとも違うな。

 二人の調理は、手慣れてはいるが、ここまで効率化されてはいない。
 「あ、お砂糖切れてた。ごめん、買い置きから補充してくれるかな?」とか「煮込んでる間に、新ちゃんも包丁の練習をしましょうか」とか、料理するところを見ていると、そんな風に、二人は声をかけてくる。
 安室には、そんな隙間は、まるでなかった。

「……ねえ、安室さん」
「なんだい」

 安室は手を止めぬまま答える。コナンは立ち上がり、キッチンに入った。

「やっぱりボク手伝う」
「え」

 安室はようやく手を止めて、困惑したようにコナンを見た。

「でも、もう衣つけて揚げるだけだから」
「じゃあ衣つけて揚げるのやる」
「……」

 引かぬ気配を感じ取ったのか、安室はしばらくコナンを見つめた後で、椅子を持ってきてくれた。

「……じゃあ、衣つけるのをお願いしようかな」
「うん」

 手を洗って、椅子に乗る。
 天ぷらは、海老と野菜のかき揚げのようだ。

「揚げるのは、僕がやるからね。ここは譲れないよ。蘭さんだって君に揚げ物はさせないだろう」
「わかった」

 コナンが衣をつけるのを、安室は落ち着かない様子で見守っている。
 衣を入れたボウルでもひっくり返すと思っているのだろうか。ひっくり返さない保証はないが、気にしすぎだろう。

「これくらい?」
「うん。大丈夫――あ、そっちはもう少し薄い方がいいかな」
「え? 薄く……わかった」

 一度つけた衣を薄くするってどうすればいいんだ、と首を傾げ、衣をついた海老を振ってみる。
 ピ、と衣がボウルの外に飛んだ。

「やべ」

 そろりと安室を見上げると、安室は一瞬間を置いて、ふっと笑った。

「拭けばいいから。服に飛ばさないようにね」
「はーい」

 安心して、新しい海老をつけて、安室に渡す。海老が終わってしまえば、かき揚げは混ぜるだけだ。
 安室の視線から考えるに、多分、なっていないところがあるのだろうが、特に口に出して文句を言われなかったので、そのまま混ぜ合わせたボウルを渡した。

「ありがとう。じゃあ後は任せて」

 うなずいて、そのまま横から揚げるのを眺める。

「……ただの揚げ物なんだけど。見てて面白いかい」
「うん」

 随分器用にまとめるものだと感心する。多分、自分がやっていたら油の中でかき揚げは分解されているだろう。
 見ていたらお腹が空いてきた。ぐう、とお腹が鳴る。
 クツクツと安室が笑った。

「さっき肉まん食べてたのに、足りなかったか。もうちょっと待ってて」

 そう言って、先に揚げた海老をひとつ、口元に持ってくる。食べていいということかと口を開くと、「まだ熱いかもしれないから気をつけてね」と口に入れてくれた。
 丁度良いくらいに冷めていたので、こくこくうなずいて大丈夫だと示す。
 普通のスーパーの、普通の海老だったはずなのに、外で食べる天ぷらと同じくらい美味しい。多分、下処理がうまいのだろう。

「美味しい」

 飲み込んでそう言うと、安室は「それは良かった」と笑った。

「そういえば、風見さんたちは何を追ってたの?」
「──さあ。僕はよく知らないな」
「暗号みたいなのでやりとりしてたけど、あれでどこまで何が伝わったの? ボクがいるって?」
「企業秘密だよ」

 少し大人しくしていなさい、とまた海老を口に入れられて、黙る。
 何を言っていたかはなんとなく記憶しているから、考えればわからなくもない気はする。

 ──ホームズの「踊る人形」みたいに。解けるかも。

「良からぬことを企んでいるね?」
「ン?」

 海老がまだ口に入っているので、何も言わずに首を傾げてみせる。

「……言っておくけど、コードは定期的に変わるから」
「えー」

 思わず海老を飲み込んで声をあげる。だが考えてみれば、当たり前だ。
 安室はかき揚げをあげ終えると、そばをゆで始めた。
 鍋を見ながらつぶやく。

「……おせちとか用意してないんだけどな」
「明日の話? いいよそんな、いきなり押しかけておせちまで食べようとか思ってないよ」
「ここ数日、一体何を食べてたんだ? まさか一人で料理してたわけじゃないだろうし」
「最近はレトルトも美味しくなったよね」

 安室は顔をしかめた。

「否定はしないけど、君くらいの年の子にはあまり推奨しないな。……明日までは見逃して、というか監視させてもらうけど、明後日は毛利さんのところに戻ること。それ以上は、見逃せないよ」
「……はあい」

 仕方ない。2日には適当に理由をつけて帰ろう。無理があったかな、とは思っていたのだ。
 見逃してくれて、二日も面倒を見てくれるだけ、安室は最大限に譲歩してくれていると思うべきだ。

 ──いやでも、本当によく見逃してくれたよな。

 コナンの面倒を見たところで、安室にメリットはない。よっぽど、子どもが一人で年を越すことを憐れに思ったか。それとも、何か別の目的があるだろうか。
 じっと見ていると、安室は居心地悪げに身じろぎした。

「見ててもゆでる時間は短くならないよ。──そこの、引き出しからお箸出して、あと、天ぷらのお皿、あっちの机に置いてきてくれるかな」
「わかった」

 言われた通りに引き出しから塗り箸と割り箸を出して、ひっくり返さないように注意しながら天ぷらを運び、適当にセッティングしていると、安室が蕎麦と麺つゆを持ってきた。

「お待たせ。食べようか」

 手を合わせる。

「いただきます。今年も一年、お世話になりました」

 安室は箸を手にしたまま首を傾げる。

「それ、君の家の挨拶?」
「年末だし。言わない?」
「さぁ……。──いただきます。一年、お世話になりました……?」
「そうそう」

 うなずくと、安室は微妙に落ち着かない様子で、蕎麦を麺つゆの器に入れた。

「じゃあ、コナンくんも、遠慮しないで食べて」
「うん。でもボク子どもだし、あんまりたくさんは食べないから、安室さんいっぱい食べてね」
「そう言わないで、食べて。特に野菜ね」
「はいはい」

 かき揚げはさっくりしていて美味しかった。アクセントに入れられた生姜が、普段食べるかき揚げと違っていて面白い。
 久しぶりに、ちゃんと調理されたものを食べるから、というのもあるかもしれないが、妙に美味しく思えた。

「美味しい?」
「美味しい」
「そう。衣の付け方が良かったのかもね」
「……そんなはずないでしょ」

 蕎麦を取るのに多少手間取ると、横から手伝ってくれた。

「ありがと」
「どういたしまして」

 蕎麦をすすり、ちらりと安室を見上げると、安室は微妙に斜め上を─というか、コナンを視界から外すような妙な方向を見ながら、大人しく蕎麦をすすっていた。
 日頃は、鬱陶しいくらいにじろじろこちらを観察するくせになんだ、と顔をしかめ、じっと見ていると、こちらをちらりと見て、視線が合うなりまた微妙に目をそらす。

「何」
「……いや。何でもない」
「何でもないならこっち見たら?」

 言うと、安室はコナンを見たが、また落ち着かない様子で蕎麦に視線を移し、ため息をついた。

「──なんで年末に、君と、うちで蕎麦を食べてるんだろうと思ったらね。変な気分で」
「は? ああ、まぁ……そうだよね……」

 言われて、こちらにも変な気分が感染する。
 年末は普段、両親と過ごす。
 特別親しいわけではなく、それどころか、簡単に気を許すわけにもいかない相手と二人きりで年越し、というのは、自分から言い出したことだとはいえ、おかしなシチュエーションだ。
 落ち着かない様子になったコナンを見て、安室はため息をついた。

「コナンくん、あんまり深く考えてなかっただろう」
「安室さんだって、どうしていいかわからなくて断り切れなかったんでしょ」
「その通りだよ」
「ボク、ご飯食べたら帰ろうか」
「──それは駄目」
「じゃあ、やっぱり、おじさんのとこに突き出す?」
「それが一番いいんだろうけどね……さすがにこのタイミングは、いくら君でも言い訳に困るだろう」
「うん」
「じゃあ仕方ないだろう」

 安室はため息をついて、蕎麦の残りを自分の器に移した。
 ついでに押し付けられた最後のかき揚げを食べる。コナンが食べ終わるのを見守って、安室は口を開いた。

「──片付けたら、ドライブに行こうか」




 二人で家にいるよりはややまし、ということらしい。
 否は無かったのでうなずいて、後片付けを手伝う。安室が洗った食器を拭いただけだが、コナンに食器を手渡す安室はやはり、居心地の悪そうな顔をしていた。
 片付けを済ませると、早々に家を出る。
 車に乗り込むと、なんとなく少しホッとした。
 外に出てしまうと、現金なもので、せっかく家に入り込んだのにな、という気がしてくる。
 地元は蘭たち知り合いに会う可能性があるからか、安室は何も言わず高速に乗った。
 夕方家を出た時には、数時間後こんなことになっているなんて想像もしていなかった。

「眠かったら、寝ていいからね。僕の隣じゃ寝にくいかもしれないけど。年末年始、仕事納めも過ぎているし、一時休戦としよう」
「一時休戦……?」

 考えて、まあいいかとうなずく。先ほども考えた通り、今回こちらは借りがある身だ。

「いいよ。安室さんはお正月休みってことだね。──ってことは、あなたのことは何て呼べばいいの?」
「コナンくんは安室透と対立しているわけじゃないだろう? それを言うなら、僕は君を何て呼べばいいのかな」
「やだな、ボクはボクだよ。おまわりさんとは違うもん」

 にっこり、笑みをかわす。
 調子が戻ってきた。このやりとりで調子が戻ったというのもどうかと思うが、いまのところ、安室との関係はこんなものだ。
 先ほどまでの、なんだか家族みたいな、妙な近さは、自分たちには似合わない。
 そう考えて、そうかさっきのは家族みたいだったんだと、気づいた。家族の、真似事。おままごとだ。
 コナンは首を振る。

「それで、どこ行くの?」
「決めてないけど……初日の出でも見に行く?」
「こんな時間から? かなり遠くまで行けるんじゃない」

 時計を見ると、まだ10時過ぎだ。時間を確認したら、ふわ、と欠伸が出た。
 この体は、見た目の通り小学生仕様なのがたまにもどかしい。

「本当に、寝ていいよ。寝て起きたら、お日様が昇ってるよ」
「いやいや……多分寝ちゃうけど、出来るだけ起きてるよ」
「あんまり気を遣わないでいいから」

 安室は車内のエアコンをつけ、ついでにラジオをつける。温かい風と、年末恒例のクラシックが流れてきた。コナンは顔をしかめた。

「寝かしつける気?」
「変えてもいいよ?」

 その言葉に、適当に回すと、ラジオから鐘の音が聞こえてきた。

「うわっ、除夜の鐘ってこんな時間から鳴らしてるのかよ。っていうか中継してるの?」
「回数が多いからね」

 ゴーン、ゴーンと余韻を残して鳴る鐘の音を聞いていると、本当に寝てしまいそうだ。慌てて別の局にまわしてみたが、普段聞きなれないラジオはどれも興味を引かなかった。最終的にラジオを切る。
 その時、スマホの通知音が鳴った。
 ポケットから取り出して見ると、蘭と、阿笠だった。
 コナンが寝てしまう前に、年末の挨拶を、ということらしい。
 お父さんお母さんと楽しく過ごしてますか、良いお年を、と異口同音に伝えるメッセージを眺める。
 ふっと笑うと、安室が「蘭さんから?」と聞いてくる。

「うん。お父さんお母さんと楽しく過ごしてるかって」
「──君はね、蘭さんたちの善意を無下にしていることを少し反省した方がいい」
「わかってるよ。あと、安室さんに嘘の片棒担がせてることもね」
「それはどうでもいい」

 安室は素っ気なくそう言う。
 コナンは黙って、もう一度メッセージを眺めた。
 添付された写真には、酔っぱらった小五郎と、呆れた様子の英理が写っている。阿笠からのメールには、友人たちの姿が。
 自分も親と一緒にいる写真を送るべきなのだろうが、そんな準備はしていなかったから、文章だけ返す。
 安室は何も言わずに、コナンがスマホをしまうのを横目で見た。
 初日の出を見に行こうという人は意外と多いのか、高速道路はそこそこ、混んでいた。安室の運転にしてはゆっくり流れる窓の外の景色に目を移して、コナンは口を開いた。

「……ほんとにね、数日一人でいるくらい、平気なんだよ。本もたくさん読めたし、食事にはこだわらないし」
「そこは、こだわって欲しいところだな」
「うん。──でもさ、今日みたいな日は、一人だなって思ったら、ちょっと寂しかったのかも。夜まで外に出る気になれなかったの、だからかな……って、ちょっと思った」

 安室は何も言わない。らしくないことを言ったと、コナンはふっと笑った。

「そうしたら、怖いおじさんに捕まっちゃったけど」

 安室も笑う。

「君が変な事件に巻き込まれる前に捕まえられて良かったよ。風見には年明けお年玉をあげないといけないな」
「そういえば、風見さんの今日の格好、可愛かったよね。ねえ、風見さんていくつなの?」
「さあ、いくつだろう」

 そうはぐらかされて、それも秘密なのかとため息をつく。
 安室はまっすぐ前を向いて運転しながら、少し間をおいて、つぶやく。

「──君は」
「うん?」
「……いや。何でもない。今度からは、そんな悲しい思いをしないように、嘘は控えることだ」
「わかってるよ。それはそうだけど。言いたいのはそっちじゃなくって。……だからさ、放り出さないでくれて、いま横にいてくれてありがとうって、ことなんだけど」

 安室は、横顔でもわかるくらいはっきり、どう反応していいのかわからない、という顔をした。
 黙っていると、しばらくして、ため息が聞こえてきた。

「いや……まあ、一人の年越しにならなかったのは、こっちもだから……」

 何とも歯切れの悪い言葉に、苦笑する。

「大人の人でも、一人で年越しするの寂しい?」

 たずねると、安室は笑った。

「大人になると、寂しくなくなるんだよ。……一人でもね」
「……そっか」

 安室はエアコンの温度をあげて、またラジオをつける。コナンは大人しく、流れてくるクラシックに耳を傾けた。






 ふっと、意識が浮上した。
 一瞬、どこにいるのかわからず戸惑う。

 ──安室さん。

 目を開けて身を起こすと、体にかけられていた大きなコートがずるりと下に落ちた。
 シートが倒されて、安室のコートをかけられて──いつの間にか随分本格的に眠っていたらしい。
 車は停車していた。運転席は、空だ。
 まだ外は暗い。うっすらと見える景色から考えると、ここは山の中のようだ。
 スマホを取り出して、時間を確認する。六時半過ぎ。
 スマホには、友人たちからの通知がいくつか見えた。新年の挨拶だろう。
 安室はいったいどこに行ったのか、ここはどこなのかと少し不安になった時、コン、と窓ガラスが叩かれた。
 顔をあげると、安室だ。コートを掴んでドアを開ける。冷たい空気が流れ込んできた。
 安室は笑って言う。

「やあ、良く寝てたね」
「安室さん、コートも着ないでどこ行ってたの。っていうか、ここどこ?」
「自販機を探しに。コートはありがたく返してもらおう。ここがどこかは、秘密」

 そう言って、まだ熱いお茶のペットボトルをコナンに手渡す。

「目が覚めたなら、行こうか」
「行くって、どこに」
「初日の出。見に来たんだろ」

 言われて、思い出す。慌てて車から降りる。

「人の多い所は嫌だからね。穴場にご招待」

 こっち、と手を取る安室について、薄闇の中を歩き出す。車を停めたすぐ近くに、山道を登る階段があった。
 冷たい空気のおかげで思考がハッキリしてくる。

「安室さん、もしかして寝てない?」
「仮眠はしたよ。少しだけだけどね。──さて、到着」

 上がり切ると、広場と呼ぶにはいささか狭いスペースがあった。
 朽ちかけたベンチと柵の向こう、低い山の向こうから、太陽が顔を出しかけている。

「いいタイミングだね」
「──すっげー……」

 柵の手前まで小走りに駆け寄り、じわじわと昇る太陽を見つめる。あたりはみるみるうちに明るくなってきた。
 無言で、日が山の陰から出るのを見守る。

「……眩しいね」

 声に、振り返る。少し離れたところから、安室はこちらを見て目を細めていた。
 朝日に照らされる男の姿を見つめる。
 不思議な気持ちだった。
 知り合って数か月の、まだよく知らない男。その男と、初日の出を見ている。
 「江戸川コナン」の姿で年を越すのは初めてで、そしておそらく、次はない。
 その一回を、やはりいずれいなくなる「安室透」と共に過ごすのは、「江戸川コナン」に相応しいような、そんな気がした。
 いまこうして二人でここにいるのは、偶然の積み重ねだけれど、必然だったような──そんな気が。
 思わず笑う。

「なんだい」
「うん。きれいだなーって」
「ああ……初日の出?」
「ううん。安室さん」
「え」

 ぱちり、と安室は瞬きする。

「髪が、光に透けてキラキラしてる。お日様、似合うんだ。知らなかった」

 そう言うと、安室は困ったような、怒ったような、なんだかよくわからない複雑な表情でコナンを見た。

「──それは、君の方だと思うけど」
「ボク? が、何?」
「お日様の光が、よく似合う」
「それ子どもだからでしょ」
「違うよ」

 安室は苦笑して、歩み寄ると、コナンを抱き上げた。

「お日様の光が似合う、というよりも……君が、お日様みたいなのかな」

 そんな風に言われる理由がわからず、近い距離になった安室の顔を見つめる。安室は困ったような顔をしていて、そしてそれは少し、泣きそうな顔にも見えた。
 ──不意に、この人は一人なんだ、と思った。
 いま、二人一緒にこの場にいるのが必然だったのだと思ったのは自分だけで、この人にとっては、違うのだ。

 ──大人は。一人で。寂しくない。……でも。

 肩口に置いた手にぎゅっと力が込もる。

「……どうしたんだい。そんな顔して」

 安室は、そう言って笑う。その台詞は、こちらの台詞だ。手を伸ばして、下がった目元に指で触れる。

「……ボクはまだ子どもだから」
「うん?」
「──なんでもない」

 コナンは手を離して、笑う。

「どっちかじゃなきゃいけないってことは、ないんじゃないの。二人とも似合うんで、いいじゃん」
「君とお揃いか」
「そうだよ。不満?」
「まさか」

 安室は笑って、コナンの手を取った。

「そうだね。君が言うなら。──そうだったらいいな」
「そうなんだってば」

 軽く蹴りを入れると、「こら」とたしなめられる。

「お行儀の悪い子にはお雑煮作ってあげないよ」

 言われて、温かい雑煮を思い浮かべた瞬間、お腹がなる。
 コナンは赤くなり、安室はふきだした。

「昨日から元気だな、本当に」
「う、うるさいな、もう!」
「お腹が空くのはいいことだよ。うん」
「ああもう……初日の出見たから、早く帰ろ」
「はいはい。でも家に着くのは昼になるだろうから……その辺で朝ごはん食べて行こうか」
「おもち」
「昼にお雑煮も食べるのに? だいたい、あるのかな」
「あるよ。お正月なんだから」

 そこで思い出す。

「そうだ。──安室さん、あけましておめでとう」

 安室は瞬きしてから、ほほ笑んだ。

「あけましておめでとう、コナンくん」

 今年もよろしく、という言葉は、自分たちには似合わないような気がして、言わなかった。安室も口にはしなかった。
 いつものように笑って、安室はコナンを下ろすと、じゃあ帰ろうか、と言った。

「朝ごはんを食べて、家に帰ってお昼を食べて……それからどうする?」
「お昼寝する。安室さんも寝た方がいいよ。昨日寝てないんでしょ。それで、起きたら夕飯作る」

 安室は顔をしかめた。

「それ、食べて寝るしかしないことになるけど」
「寝正月は伝統的なお正月の過ごし方だよ」
「君は意外とインドア派だよね」
「寒いし。外うろうろしてると見つかるかもしれないし。それに、だってボクたち二人で何するのさ」

 安室は、昨日の夜の微妙な空気を思い出したのか、顔をしかめた。

「……テレビ買って帰ろうか」
「いやいやいや、この日だけのために無駄遣いしないでよ」
「じゃあ、まあ……まあ……寝正月でも仕方ないか……」
「考え方を変えてみようよ。お正月にゆっくりお昼寝なんて、なかなか出来ることじゃないよ」
「物は言いようだな……確かにそうだけどね。もうちょっとこう……いや、まあ……初詣もないね」
「でしょ」

 毛利家と一緒でも、少年探偵団と一緒でもなく、安室と二人で初詣とか、微妙だろう。何をお願いすればいいかわからなくなる。
 安室透と江戸川コナンの顔をしっかりしていられるなら、やることは色々あるだろうが、こんな日にはそれも難しいことは、昨日実証済だし、ならば目を閉じて時間を消費するしかないだろう。
 それはいまの二人には当たり前のことなのに、少し寂しいような気がした。

 ──いつか、全部片付いたら。そうしたら、安室さんは誰かと年越しとお正月、するのかな。

「コナンくん? そんなにお腹空いたの?」

 コナンの顔を覗き込んで、安室はそんな見当違いのことを聞いてくる。
 コナンは苦笑した。

「──ぺこぺこ!」
「じゃあ、急ごうか」

 安室はくしゃりと、コナンの頭を撫でた。

「そうだコナンくん、いまのうちに言っておくけど、うちに布団は一組しかないからね」
「えっ……いや、そりゃそうか……でも、うん、ボク小さいから、大丈夫だよね」
「──コナンくんは、案外、軽率なところがあるな」
「なに、安室さん寝相悪いの?」
「悪くないよ。悪くないけどね。……まあいいか」

 山道をおりて、車に戻ってくる。
 あと一日。休戦を宣言したこの人と、過ごす日が穏やかに過ぎることを祈る。
 そして、来年は安室も幸せなお正月が迎えられるといいなと、そう思いながら、コナンは車に乗り込んで、シートベルトを締めた。