次会う時は




 買い物をすませてコンビニを出ると、冷たい風が吹きつけた。コナンはふるりと震える。

(寒っ! さっさと帰ろ。明日早いし、飯食って風呂入って、早めに寝ねーと)

 まだ夜というには早いが、日が落ちて辺りは薄暗い。出がけに見えた蘭の心配そうな顔を思い出して、コナンは足を速めた。
 明日からコナンたちは、大阪に行く予定になっている。小五郎が仕事で呼ばれたのだ。
 年が明けてすぐ、正月休みの延長でちょっとした旅行気分──だったのが悪かったのか、出発前日の今日になって、携帯用の歯ブラシを買っていないことを思い出した。
 明日朝はバタつきそうだから、出来れば今日、買っておきたい。しかし既に夕刻で蘭は食事の支度を始めていた。小五郎は、昼から酒を飲んでいまは夢の中。そこで、コナンが買い物に出ることになったというわけだ。
 速足で道を曲がったところで、反対角からやってきた人に、危うくぶつかりそうになる。

「あ、ごめんなさい」

 寸前でかわして、謝罪を口にしながら顔をあげて、コナンは目を丸くした。

「安室さん?」
「──コナンくん」

 衝突しかけた相手は、安室だった。
 安室は、暗いせいもあってか、どこか疲れているように見える顔に薄い笑みを浮かべた。

「やあ。こんな時間に、一人?」
「ちょっと、買い物でね」

 ビニール袋を少し持ち上げて見せて、ふと気づき、コナンは背筋を伸ばした。

「そうだ、安室さん。あけましておめでとうございます」
「ああ、そうか。──あけましておめでとうございます」

 答えて、安室は少し口元を緩める。
 年が明けて数日。ポアロの営業も始まっていたが、安室は年末からお休みが続いていて、今年会うのは初めてだった。

「……お仕事だったの?」
「まあね」

 安室は短く答える。それ以上は聞くなという雰囲気に、「そう」とだけ答えた。
 事務所まで送って行こう、という申し出を、断るのも面倒だったので受け入れて、歩き出す。

「ポアロのお仕事は、いつから?」

 たずねると、これにはあっさりと答えが返ってきた。

「明日からだよ」
「ふうん。──でもじゃあ、すれ違いかぁ」

 安室は目を瞬かせた。

「すれ違い……って、どこか行くの?」
「大阪にね。三日」
「へえ。……服部くん、だっけ? 彼のところに遊びに行くのかな」
「ううん。おじさんがイベントに招待されたから、その付き添い。まあ、平次兄ちゃんにも会うけど」

 答えて、昨日電話で話したことを思い出す。
 何時の新幹線で来るのか、ちゃんと準備はしたか、何が食べたいか、何が見たいか、等々。
 服部の一方的な質問に適当に相づちを打っていただけなのに、気づけば小一時間程経っていた。

「なるほど。先生ほどの有名人になると、そういう仕事もあるわけか。……でも、そうか。いないんだ、コナンくん」

 安室はつぶやく。

「──何かボクに用があった?」
「用はないよ。……ただ、ポアロに復帰したら君に会えると思っていたから、少し残念だなってだけ」

 コナンは目を瞬かせた。
 珍しいことを言うものだ。なんの意図があるのだろう、と見上げる。安室は視線を受けて、少し気まずげな顔をした。

「あー、いや……深い意味はないよ。常連さんが来ないのは寂しいなっていうだけ」
「ふうん。寂しいんだ」

 言葉尻をとらえて繰り返すと、安室は一瞬嫌そうな顔をした。しかし、すぐに笑顔を浮かべる。

「勿論」

 あっさり過ぎて嘘くさい──が、この場合、嘘は何で、何をごまかそうとしているのだろう。
 寂しいと言ったのが、嘘か。寂しいと言ったのが嘘であるように振る舞っているのが、嘘か。
 いまの流れで素直に考えれば後者だ。だが、コナンたちがいないくらいで、この男が寂しがる理由もよくわからない。

(疲れててうっかりしたとか。言葉のチョイスを間違えたとか? ……それもありそうだよな)

 おそらく年末年始は仕事──公安にせよ組織にせよ、厄介な仕事をしていたのだろう。どこか疲れた様子なのはきっとそのせいだ。
 勿論、安室透としての仕事だって潜入調査の一環で、面倒には違いないだろうが、もしかしたらこの男にとっては、「ポアロの安室」を演じる時間は、多少、気の抜ける時間なのかもしれない。

(梓さん、裏表ないしな……)

 そして、調査対象だとしても、コナンを含む毛利一家も、そのポアロの日常の一部。
 ──もしかしたら、寂しいというのは、そのままの意味、うっかりこぼした本音なのかもしれない。
 考えてみれば、「寂しい」なんて嘘をつく意味はないのだ。そんなことを言ったところで同情をかえる相手ではないことくらい、知っているだろう。

(ってことは……かなりお疲れだな? 安室さん)

 見て察せられるくらいに、コナン相手にうっかりするくらいに。それを隠して、ごまかそうとするのも、何というか、この男らしい気がした。
 少し考えて、コナンは安室に手を差し出した。

「はい!」

 安室は首を傾げる。

「……なに? お年玉なら、いまは用意がないけど」
「え。後なら用意してくれるの……? いや、そうじゃなくって、手」

 コナンは目の前にある安室の手をつかんで、握った。ビクッと、大きな手が一度震える。

「──何? どうしたんだい」

 表向き平気そうに、いつもの笑顔を張り付けてこちらを見下ろす安室に、コナンはにこっと笑って答えた。

「安室さんが、寂しいっていうから、家まで手をつないであげようかなって」

 まあ、要するに嫌がらせだ。
 安室は一瞬固まった後で、にっこりと笑みを浮かべた。

「ありがとう。嬉しいな」

 よく言うよ、と呆れて、コナンはわざとらしく、握り返された手を振って歩く。
 安室の手はひんやりと冷えていた。
 手をつないでから会話が途切れた。自分から始めたことながらなんとなく気まずい。

(……にしても、でけー手だな)

 逃避するように考える。
 いまの姿だから余計にそう思うのだろうが、ごつごつと骨ばった手は、いかにも、大人の男の手だった。
 飲食店勤めの人間らしく爪は短く整えられている。ただ、それ以上のこれといった特徴は見えない。

(どうせ拳銃とか扱い慣れてるんだろうけど……タコとかはないな。あ、左手だからか。……あ。この指ちょっと関節のあたりが硬いけど、何でだろう)

 指を触りながら考えていると、安室が咳払いする。

「──コナンくん。あんまり撫でまわされると変な気分になってくるんだけど」
「変ッ……! ってな…………いや……ごめん、なさい」

 「言い方!」と思ったが、触っていたのは事実である。集中すると色々抜けてしまうのは自分の悪い癖だ。
 謝ると、安室は肩をすくめた。

「いいけどね。──コナンくんの手は温かいなぁ」

 お返しのように指を絡められくすぐられる。ゾワッとして叫ぶ。

「ちょっ……! 変な触り方しないでよ!」
「おっと、ごめんごめん」

 全然気持ちがこもっていない謝罪に顔をしかめると、安室はふきだした。
 少し元気になったように見えるので、まあ許してやることにする。
 コナンはつないだ手を揺らした。

「そうだ……お土産、買ってくるね。何か希望はある?」
「大阪土産の?」
「そう。たこ焼きとか、肉まんとか……」
「持ち帰りが楽なのでいいよ」
「じゃあ、食い倒れ人形のキーホルダー?」

 安室はふきだした。

「いいよ、何でも。そもそも、そんなに気を遣わなくっていい」
「いや、気を遣ってるわけじゃないけどさ」

 話しているうちに、毛利探偵事務所が見えるところまできた。

(──もう着く)

 コナンはぎゅっと、安室の手を握った。

「……なに?」
「んー……」

 コナンは少し考えて、そっか、と口を開く。

「ボクは、寂しいっていうより、もったいない、かな」

 安室は戸惑った表情でコナンを見下ろした。

「……どういう意味?」
「そのまんまだよ。せっかく、安室さんが戻って来たのに、すれ違っちゃうのはもったいないなって」

 コナンは少し歩く速度をおとしながら、続ける。

「だって、もうすぐ家に着いちゃうから、年末年始何してたとか、話せないじゃん。英理おばさんがおせち失敗した話とか、歩美ちゃんたちと初詣行って、おみくじ引いた話とか……帰ってきて、新学期始まった後だと、わざわざ話すことじゃなくなってるじゃない? そういうの、話せないのはもったいないなって、思ったんだよ」

 安室は目を瞬かせた。

「……もったいない」
「そ。だからさ、お土産は、気を遣ってるわけじゃなくて、その代わりっていうか、埋め合わせっていうか、そんな感じなんだけど……」

 安室は沈黙する。
 安室のうっかりにつられて自分まで余計なことを言ったかな、と少し後悔し始めた時、安室の手に、力が込められた。
 見上げると、安室は少しためらった後、口を開く。

「……お土産はいらない」
「……うん」
「代わりに……メールをくれたら」
「……え?」

 コナンは目を瞬かせた。安室はコナンの方は見ず、前を向いたまま続ける。

「だから、メールを。大阪から。何を食べたとか。──面倒なら写真だけでもいいけど」
「それは……いい、けど……なんでメール?」

 大阪に、何か安室の役に立つような情報でもあるだろうかと考えながらたずねる。
 すると安室は、言い訳でもするようにやや早口に言った。

「もったいないって、君が言ったんだろ。だから……帰って来た時の、話題、というか」

 コナンはぱちりぱちりと瞬きする。
 メール。旅先からの。
 ──そんなものが、欲しいのか。
 じわりと、何かが心に満ちる。
 そのくすぐったさをごまかすように、コナンはわざとらしく首を傾げた。

「でもさ、それ、わざわざメールしなくもいいんじゃない?」

 安室は顔をしかめる。コナンはふきだした。

「ごめんごめん、冗談だよ! 何話すか忘れないためにも、毎日メールするね」
「……毎日じゃなくてもいいけど」

 少し赤くなっているように見えるのは、気のせいだろうか。
 照れ隠しなのか、やや怒っているようにも聞こえる声に、「そう」とうなずくと、また眉間にしわが寄って、コナンはクスクスと笑った。
 事務所の前に到着した。
 ゆっくり手を離し、安室を見上げる。

「──じゃあ、送ってくれてありがとう」
「どういたしまして」

 安室はいつもの調子に戻って小さく笑った。

「気をつけて、行っておいで。事件に巻き込まれても、無茶をしないように」
「そうそう事件とか起きないってば。……でも、そうだね。もし何かあったら、メールで報告するよ」
「それは随分やきもきしそうだな」

 安室は苦笑した。

「そんな報告がこないことを祈ってるよ」

 そう言って、「じゃあね」と言うと、安室は帰って行った。
 後ろ姿を見送り、さっきまでつないでいた左手がコートのポケットにおさまるのを確認して、駆け足で階段をのぼる。

(メール、か)

 事務連絡以外で使ったことがないアドレスに、どんな言葉や写真を送ろうかと、考える。
 新幹線。食事。大阪の景色。あるいは服部。──帰って来た時に、話題になるような何か。
 考えていたらなんとなく胸がポカポカしてきて、コナンは「ただいま!」と元気よく毛利家の玄関をあけた。