お返しの渡し方
「──ということで、依頼の件については、様子見で良いかと。データはこの中に」
報告を終え、ベンチにUSBを置く。それが速やかに回収されたのを確認し、風見はひとつ息を吐いた。
降谷と直接やりとりをする機会は、そう多くはない。接触には危険─主には降谷の側の危険が伴うから、どうしても緊張してしまう。
別れるまで気を抜くべきではないが、物の受け渡しが済むと一山越えたような気持ちになるのは、仕方ないだろう。
さて後はタイミングをずらして立ち去るだけだ、と思ったその時、学生にしか見えないラフな格好で都心の淀んだ川を眺めていた降谷が、すっと紙袋を置いた。
「……?」
今日、物を受け取る予定は、ないはずだ。
ただ置いただけか、自分が引き取るべきものか、風見が迷っているのを見透かしたように、降谷が口を開く。
「週内で『密会』を設定して、渡すように。お前からだ、ということにしておけ」
風見は沈黙した。
密会、というのは、風見と江戸川コナンの交流を揶揄した降谷独自の言い回しである。
つまり、週内にコナンと会って、これを渡せ、ということか。
風見は頭の中でカレンダーをめくりながら、紙袋を回収して、中を確認した。──お菓子である。
「……降谷さん」
「命令は絶対だ」
「いえ、しかし、これはご自分で渡せばいいのでは……?」
いまは3月の、中旬。週内にあるイベントといえばホワイトデーで、つまりこれは、ホワイトデーのお返し、ということだろう。
風見は先月のことを思い返す。
先月、風見は上司経由で、江戸川コナンからのバレンタインのプレゼントを受け取った。
受け取ってまず思ったのは、「一体何の嫌がらせだ」ということだ。
降谷は、風見とコナンが陰で仲良くしているのを、良く思っていない。良く思っていないというか、身も蓋もない言い方をすれば、嫉妬している。少年もそれを知っているはずなのに、わざわざ降谷経由でこんな贈り物をしてくるなんて、嫌がらせとしか思えなかったのだ。
しかしどうも、降谷の様子が妙だ。嫌味のひとつでも飛んでくるかと思えば、それもない。
恐る恐る探ってみれば、風見宛のものとは別に、「ゼロの兄ちゃんに」とクッキーをもらったのだという。
なるほど、と納得した。
それなら、わざわざ降谷経由にしたわけもわかる。──つまり、風見はだしにされたのだろう。
無論、ついでであっても、一定の感謝の気持ちのようなものはこもっているのだろうし、上司と少年が仲良くなればいいと思っている風見に、だしにされて拗ねる理由はない。
流れで、料理教室を開いた話も聞いて、良かったな、とてつもなく微妙な顔をしているが、これは嬉しいのを隠そうとしているんだな、と微笑ましく思っていた。
──思っていた、わけだが。
何故、こうなるか。風見は紙袋を見下ろした。
「私がわざわざ集会を設定しなくても、降谷さんは毎日会ってるじゃないですか」
「この前僕はお前宛の荷物を運んでやっただろう。だいたいお前、あの子にお返しをしないつもりか?」
「するつもりですが、それはそれです。ご心配いただかなくても、私は私できちんとお礼を購入してますから」
「じゃあついでにそれも渡しておけ」
「……何か直接渡すのに不都合でもあるんですか」
問うと、しばらくの沈黙の後で、降谷は言う。
「あれは、僕がもらったものだから、安室透がお返しを渡すのはおかしいだろう」
「…………何を言ってるんですか、あなたは」
降谷がもらったものだから、安室からお返しは渡せない。──なるほど、意味がわからない。
「うるさい。安室透はバレンタインにケーキをふるまっているから、いいんだ」
「ケーキ」
新情報でますますよくわからなくなったが、頑張って整理する。
江戸川コナンからバレンタインにクッキーをもらったのに対して、安室透はケーキを返している。なので、コナンはそれでチャラと認識しているだろう。しかし降谷的には降谷としてお返しがしたいから、風見経由でこっそりお返しを渡して欲しい。──と、そういうことだろうか。
(め、面倒臭い人だな……)
風見は額を押さえた。
こんな回りくどいことをしているから、いつまでも距離が縮まらないのではないか。
一言物申してやろうと顔をあげる。しかし。
先程までそこにいたはずの降谷は、いつの間にか姿を消していた。
置き逃げだ。
風見はため息をついて、スマホを取り出した。
善は急げ、というか、面倒臭い案件は早々に片付けてしまおうと、風見はその日のうちにコナンを呼び出した。
購入しておいた自分の分のお返しは、警視庁に寄って回収する。手提げの袋が二つというのもおかしいだろうと、自分の分は降谷の紙袋にまとめた。
少しばかり寒さの緩んだ公園で風見からお返しを受け取ったコナンは、「真面目だね」と笑った。
「お返しが欲しかったわけじゃないんだけど」
「もらった方はそうはいかない」
「それもそうか」
苦笑して、コナンは袋をのぞき込む。
「あれ、二つ入ってるよ」
「どれがいいか考えてたら、しぼり切れなくてな」
降谷には、「お前からということにしろ」と言われている。そうごまかすと、コナンはふうん、と言って中身を取り出した。
「あ、飴! 非常用にもいいんだよね。ありがとう」
コナンは、風見が選んだ瓶詰の飴を手にしてにっこり笑う。
喜んでいる様子は子どもらしいが、言っていることが可愛くない。非常用とはなんだ。
「……そういう、遭難・拉致監禁を想定してお返しを選んだわけではないんだが」
「わかってるってば。持ち歩きと日持ちでしょ。ボクもさ、クッキーにしようって思ったの、チョコより日持ちしそうだからだったんだよね。風見さんといつ会えるかなんて、わからないじゃない? 一応、バレンタインまでにはって思ってたけどさ」
コナンの言う通りだ。案外、菓子類は賞味期限が短い。そして、言われて気づいたが、荒事に巻き込まれがちなこの子どもとの接触を想定していたからか、日持ちの次に強度を優先して選んでいたようだ。
強度が基準のお返し選びなど、可愛らしくないという点で人のことは言えない。
「……というか、その基準だと、最初から私にくれる気はあったんだな」
風見の言葉に、コナンはきょとん、と目を瞬かせる。
「いや、今回は、降谷さんに渡すことがメインなんだろうと思っていたか、ら……」
言いながら、少年の顔がみるみるうちに赤くなるのに驚いて、言葉を切る。
「どうした?」
「か、風見さん、聞いたの……? ボクがあの人にもクッキーあげたこと」
「え? ああ、そのことか。本人からな」
言われてみれば、受け取った礼は伝えていたが、降谷に話を聞いたことまでは話していなかった。
まさか、降谷が風見に話すと思っていなかったのだろう。
コナンは頬をぺちぺちと叩いて赤面をおさめて、そして、ふくれっ面になった。
「ほんっっと仲いいよね、風見さんたち! そんなことまで話すんだ」
「あー、いや……」
「どうしたらそんな状況になるの? てっきり、嫌味言いながら風見さんに渡すだけだと思ってたのに。何、もしかしてお前のついでに要らないもの押し付けられたって愚痴でも言われた?」
「何故そうなる。──単なるメッセンジャーなら君の言う通り、嫌味まじりに手渡してくるだろうが、そうじゃなかったから……というか、様子がおかしかったから、聞き出したんだ」
「様子がおかしいって、何」
少年の顔が怖い。風見はため息をついた。
「──これは、私見だが。嬉しいのに、どうリアクションしていいかわからない顔に見えた。私に話したのも、少し動揺していたからだろう」
コナンは何か思い返すように目を伏せ、黙り込む。少し間をおいて、聞いてみる。
「君から受け取った時は、喜んではいなかったか」
「……驚いてたけど。喜んでたかどうかは知らない」
「まあ、わかりにくいからな降谷さんは。でも」
喜んでいたのでなければ、お返しなどわざわざ用意しないだろう──そう言いかけて、慌てて口を閉ざす。これは秘密だった。
コナンが首を傾げる。
「でも?」
「ああ……あのわかりにくい人が、そういう動揺を見せるくらい、君のプレゼントにびっくりしたんだろう」
「……びっくりしたなら、まあいいけど」
「喜んでいたと思う」
「私見、なんでしょ」
コナンは拗ねた顔で風見を見上げた。
「だいたい、風見さん勘違いしてるよ。元々が、風見さんにあげるため、だったんだよ。あの人の分はついでっていうか、歩美ちゃんが料理教室お願いするっていうから、それなら本人監督の下で作るわけだし、手作りでも受け取ってくれるかなって。思いつきだよ」
コナンは飴の瓶を手の中でくるくると回す。
「ただ安室さんにあげたいだけだったら、既製品でも良かったんだし。……それでも、食べてくれたかどうかはわからないけど」
無闇に貰い物に口をつけるわけにもいかない立場だ。それは、少年もわかっているのだろう。
「こっちはいつも、手作りの料理食べてるのにさ。……って思ったら、なんとなく……」
そこで少し言いよどみ、ため息をつき、自棄になったようにまとめる。
「だから思いつきで、そもそもボクは、風見さんに感謝の気持ちを伝えたかったの!」
「わかった、わかった。それは、ありがとう」
「ほんとにわかってる? 疑われちゃって、ボク悲しいな」
わざと大げさに言っているのだとはわかっているが、言い方が悪かったのはこちらだ。とにかく気持ちを込めて謝罪する。
「すまない」
「まあ、いいよ。お返しもらったし、今回は許してあげる」
少年はけろっと笑顔になって、「そういえばもう一つはなに?」と紙袋をに手を入れた。
出てきたのは、クッキーだった。
猫型のクッキーには、アイシングで三毛だのブチだの色々な模様がつけられている。一緒に魚型のクッキーも入っていて、見た目は大層可愛らしかった。
製造情報のラベルがついていたので、風見も持ってくる前にざっと調べたが、降谷が用意したのは、手作りクッキーの通信販売をしている店のものだった。以前関西方面で期間限定の出店をしたことはあるが、基本は通販のみの営業らしい。
──というか、この店は以前、服部が新大阪駅で買ってきたチョコレートの焼菓子を製造している店だ。
「以前食べたのをきっかけにこの店のファンになって通販しているという設定にでもしろ」ということだろう。半分……いや八割、いや九割方嫌がらせだ。
通販で取り寄せまでして何をしているのだろう。あの人は本当に、面倒臭い上に大人げがない。
コナンは、包装を解いてフタを開け、「猫」とつぶやいた後は、感想も言わずじいっとクッキーを見ていた。
そしておもむろに包装用紙を調べ、箱を調べ、紙袋を調べ、飴を調べて──そして、最終的に二ッと口元に笑みを浮かべた。
パッと顔を上げ、風見を見上げる。
「わざわざお取り寄せしてくれたの? ここ、前に平次兄ちゃんがお土産持ってきてくれたとこのだよね」
「ああ……気に入ってな」
「ふうーん。あ、こっちの飴は、警視庁の近くにある百貨店に入ってるお店のだよね!」
「詳しいな」
「たまたまだよ。最近ボクも、歩美ちゃんたちへのお返し、色々考えてたからさ。──でも、どれにしようかしぼり切れなかったって、さっき風見さん、言ったじゃない?」
「ああ」
「てっきり、同じ百貨店の中で、どこのお店のお菓子がいいか、決め切れなかったんじゃないかなーって思ったんだけど、違ったんだね」
「……」
「しかも忙しいのに、通販の受け取りなんて大変だったんじゃない? 食品ってほら、宅配BOXには入れてくれないでしょ。勤め先で受け取るっていうのも、風見さんの場合難しいよねぇ」
「……」
「だからこれは、事前にきちんと準備してくれてたんだよね。それでも、『しぼり切れなかった』んだ?」
──これは、バレている。
私は何もしてません、この子が鋭いのと、降谷さんの設定のツメが甘いんです、だから私のせいじゃないです、と頭の中で上司に言い訳する。本人の前で口に出したら、「お前の事前のシミュレーションが足りないんだ」と一蹴されるに違いない。
しかし、証拠を提示されたわけでもないのだ、勝手に自白するわけにもいかない。
「……とても大変だったんだ」
「ふうん?」
「ひとえに、君に喜んでもらいたいがためだと、思って欲しい」
そう言うと、コナンはぶはっとふきだした。
「うん、うん、わかった。──風見さん、大変だね」
気を遣われた。風見はため息をつく。
コナンは飴とクッキーを紙袋にしまうと、大事そうに抱えた。
「ありがとう! 大事に食べるね。用事が出来たから、今日はこれで解散でもいい?」
「用事?」
「そう。お返し、もう一つ用意しないといけないの、忘れてたから」
「お返し? ホワイトデーのか?」
この子はさぞ、同級生にモテるだろう。数を失念するくらいたくさんもらったんだろうな、と感心していると、コナンはうなずいた。
「そう。安室さんにもらったチョコへのお返し、用意しないとね」
「ん?」
風見は固まる。
「チョコ、というのはケーキのことか?」
「それも聞いたの? ほんと仲いいな……何でもかんでも報告してるのはどっちだよ」
コナンは呆れたようにぼやいた後で、またうなずく。
「そうだよ。そのケーキの、お返ししないと」
「しかし、君があげたクッキーと、そのケーキで、相殺なんじゃないか」
「相殺」
コナンは笑った後で「でもさ」と首を傾げた。
「ボクがあげたクッキーは、あの人にあげたクッキーで、安室さんにあげたわけじゃないし。安室さんにもらったケーキのお礼は、しなきゃでしょ」
「君は、何を言っているんだ」
わけがわからない。ぐるぐる、考える。
つまり、何か。自分のあげたクッキーは、安室からケーキをもらったことで相殺だと思っていたところに、降谷からのお返しが来た。降谷にあげたクッキーに、降谷からお返しが来たのだから、安室からもらったケーキには、安室へ、何かお返しをしなければならない、と。
「め、面倒臭いな……」
思わず口に出る。
「仕掛けてきたのは、あっちじゃん」
コナンは笑って、ぴょん、とベンチから飛び下りた。
「また同じ手は使えないし、食べてもらえないならお菓子買っても仕方ないし。お花にしようかな。小さい花束だったら、ボクのお小遣いでも買えるし。どう思う? 風見さん」
「…………いいんじゃないか」
少年に花を贈られる降谷を想像する。安室透の嘘くさい笑みをとっさに浮かべられればいいが、不意をつかれては、またあの微妙な顔しか出来ないのではないかと、そういう気がする。
でも。
「きっと、とても喜ぶだろう」
コナンはにっこり笑うと、すいっと風見に顔を寄せ、唇に人差し指を当て、ささやいた。
「事前リークは厳禁だよ、風見さん。びっくりさせて、安室さんが本当に喜んでるか、確認するんだから」
「──了解した」
少年は笑って身を離すと、じゃあね、とひらりと手を振って、駆けて行った。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送り、スマホを取り出す。
とりあえず、無事にお返しを渡せたことだけ打ち込み──手を止める。
──事前リークは厳禁、とのことだが。
安室透にサプライズのお返しを企んでいることを、降谷零に言うのは、彼らの基準で言えば、リークにはならないのではないだろうか。
上司の少年に対するささやかな見栄を優先して情報をリークするか。
少年の意見にしたがって、後で自分が怒られるとわかっていても、上司が不意のサプライズで受ける喜びを優先するか。
さて、どちらがいいだろう。
(──まあ、考えるまでもないな)
風見は苦笑して、追記をせずにそのまま、報告の送信ボタンを押した。